愛犬の死から6日経って思ったこと
15歳のヨークシャテリアのオス、名前はアポロ(お菓子の名前が由来)である。高齢犬のため、母とはいつ別れが来てもおかしくないと常々話していたが、いざ現実のこととなると私たちは大いに取り乱した。
その晩は子供のように何度も泣きじゃくり、次の日は気を抜くと涙が溢れてしまい生活がままならない。3日後に、調布・深大寺のペット霊園で火葬をしてもらった。火葬は、まるで人間さながらに執り行われた。スーツを着た男性職員が、神妙な面持ちで手順をすすめる。花や着ていた服、使っていた寝床に囲まれて、小さなアポロが大きな窯に入っていった。私たちはカジュアルながら黒い服を着て、母は数珠を握っていた。なるべく丁寧に弔ってやりたいという気持ちがそうさせた。
家族同然、それ以上の存在であった。随分前から主従は逆転し、生活の最優先事項はアポロであった。彼が家に来てから15年の間に姉と妹は独立し家を出た。15歳だった私は30歳になり、実家に暮らしている。これほど長い年月を一緒に過ごしたものの死に直面するのは初めてのことだ。アポロの死から六日が経ち、気づいたことがある。
これまで漠然と抱いていた「生の延長線上にある死」というイメージは、実際には全く違っていた。私が帰宅したのはアポロが息を引き取った10分後だ。抱き上げた身体にはまだ温もりが残っていたが、弛緩した身体は生前と明らかに異なっていた。これまで交わっていたアポロと私の世界が断絶されたような気がして、大きなショックを受けた。
次第に亡骸は冷たくなる。硬直した腹を撫でると、命の正体は「温もり」なのかと思い知り、身体があるのに、そこにいないことを痛切に感じた。
また、寂しさは均一ではなく、まだら模様にやってくるということも知った。アポロのことを思い出して穏やかな気持ちになるときと、悲しくてたまらない気持ちになるときがランダムにやってきて、それはコントロールできない感情の波であった。身を任せ、泣いたり微笑んだりして過ごしている。
今私は、悲しみを受け入れるプロセスの中にいるのだと思う。毎日変化していく自分の心を観察しようと思った。
アポロのために設けた祭壇を眺めるとき、お線香をあげて手を合わせるとき、なんとかエッセイにするために一歩離れた位置から振り返り考えるとき、生傷のようにジクジクした心の痛みが少しだけ癒やされていくのを感じる。
アポロから多くのことを学んでいる気がする。本当に本当に可愛い犬だった。