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「Masae」第一部

〇ニューヨーク
イースト・ビレッジのウェブスターホール。入り口の突き出した軒先の看板には今日出演のパフォーマーの名前「MASAE」が大きく掲げられている。9時から始まる目玉のMASAEのショー目当ての客たちが入り口の階段付近に列をなしている。ホール内の客たちがバーで飲みながらショーが始まるのを待っている。夜9時過ぎ、一瞬、ホール内のライトが暗くなり、スポットライトが点くと、その中に、ストレートのロングヘアで前髪をまっすぐに切り揃え、エキゾチックな黒のフェティッシュ系コスチュームを身にまとった正恵が現れ、客席から大きな歓声が沸き上がる。最近新しくレギュラーメンバーでステージに立つようになった正恵を品定めするかのように観客が正恵のパフォーマンスに見入る。
­­­­­­­バーのカウンターに座っている男の客が、正恵に目をやりながらバーテンダーに話しかける。
客「最近、土曜日のパフォーマンスに入ったあの子、誰?」
バーテンダー、正恵のほうに視線をやりながらにやりと笑って「ああ。MASAEだよ」
正恵が体をくねらせながら躍る。背中にはのぼり龍のフェイクの入れ墨。BGMの音量がだんだん大きくなる。
正恵、ファイヤーのポイを振り回しながらステージに立つ。観客はその妖艶な美しさにくぎ付けになっている。
 
〇里内家・外観
京都の郊外、滋賀県栗東にある里内家。その長女正恵(5歳)。
 
〇里内家・台所
里内家の朝の食卓。正恵の母「正恵、またこんなに残して!なんでこんなに残してるの?ちゃんと食べないと大きくなられへんのよ!食べるまで、テレビは無しやで」
正恵「色がきらいやなんやもん~食べられへん~」椅子の背にもたれて頬をぷうっと膨らませる。
母、いそいそと朝食の準備をしながら「そういうところも、ほんまにおかあはんそっくり。綺麗な色のものしか食べられへんって、なんやのそれ?わがまま言わずにちゃんと食べなさい!大きくなられへんよ!」
正恵、母に言われても朝食に手を付けようとしない。父が片腕を外套に通しながら、玄関のほうから、声をかける。
父「おい、もう出るぞ。早うしてくれ」
母「はーい、ただいま!」あわてて玄関まで出て行く。父に弁当を手渡し送り出す。
母、三つ指をついて「はい、どうぞ行ってらっしゃいませ。気を付けて」
父「うむ。行ってくる」
母、父を見送りだした後、自分もいそいそと身支度を始める。洗面所の鏡を見ながら化粧をし始める。母、居間で塗り絵に没頭する正恵を横目にイヤリングをしながら言う。
母「正恵、ええ子にしといてや。おばあちゃんを困らせんといてよ」
正恵、塗り絵の手を休めることなく「わかってる」
 
〇里内家・裏庭
里内家の庭には、祖母が植えた色とりどりのバラが植えられて咲き乱れている。家の奥から三味線と長唄が聞こえる。
 
〇里内家・和室(縁側に面している)
正恵が、部屋の隅に正座して、鮮やかな色彩の着物をまとった祖母が日舞の稽古で踊る姿をうっとりしながら見ている。時折、祖母の動きの真似をして手足を動かす正恵。祖母は、そんな正恵のほうを見て、優しい笑みを浮かべながら茶目っ気たっぷりにウィンクする。
 
祖母のけいこが終わる。正恵は縁側で一人無心に塗り絵を塗っている。塗り絵の本を何冊も広げ、色とりどりの色鉛筆が散らばっている。日舞のけいこを終えた祖母が居間のほうから正恵を呼ぶ。
祖母、手招きしながら「正恵、ちょっとこっち来てみ」
正恵、顔を上げ、祖母のいる居間のほうに走っていく。
 
〇里内家・居間
正恵「おばあちゃん、なに?」
祖母、桐ダンスの中から、若いころに来ていた振袖を出して正恵に見せる「これ見てみ。綺麗いやろ。おばあちゃんがうんと若かった時に着てた着物」
正恵、祖母のビンテージの着物を触りながらその鮮やかな色彩にうっとりとする。
正恵「綺麗やなぁ~」
祖母「この着物、あんたにあげる。いつかおおきゅうなったら着たらええ。正恵はべっぴんさんやから、きっとよう似合うわ。そしたらおばあちゃんにもきっと見せてな」
正恵「うん!おばあちゃん、有難う!おばあちゃん、あのな、正恵、またあのおばあちゃんのキラキラが見たい!」
祖母「ああ、あれやな。ええよ!」祖母、タンスの中から、ビロードの布の宝石箱を取り出す。
正恵、祖母から宝石箱を大事そうに受け取り、そっとそのふたを開ける。宝石箱の中には色とりどりの指輪やネックレスやイヤリングが入っている。
正恵「綺麗やなぁ。私、キラキラが大好きやねん」正恵、赤いガラスのネックレスを手に取って宝石を居間の電灯にかざす。祖母はそんな正恵を優しく見守りながら、
祖母「あんたはほんま私に似とるなあ。人一倍色に敏感で、おしゃれが大好きやもんな」やさしく正恵の頭をなで、正恵が手に取った赤いガラスのネックレスを正恵の首に付けてやる。
 
祖母、縁側に散らばった塗り絵本に目をやり、「あんたまた塗り絵してたん?ちょっとこっちに持ってきてみ」
正恵、縁側に行ってさっきまで塗っていた塗り絵の本と色鉛筆を取ってきて祖母に渡す。
祖母、どの色の鉛筆を選ぼうか迷いながら「そうやなぁ。ドレスは。。。」ターコイズの色鉛筆を手にお人形のドレスを塗り始める。正恵、目を丸くしてみている。
祖母、次は黄色の色鉛筆を取って「そして襟は黄色で決まりや」どんどん塗っていく。
正恵、目を輝かせて「おばあちゃん、すごぉい!」
祖母「そうか?」ちょっと得意そうに言う。
正恵「靴は正恵に塗らせて!赤が好きやねん」
祖母「赤い靴?ええやないの!」
二人で盛り上がる。
 
〇長浜小学校、美術室
図画工作のクラス。絵の題材は、アジの開きにヒイラギ。正恵が画用紙に覆いかぶさるようにして、水彩画の色を塗っている。緑の絵の具が足りなくなり、正恵は周りを見回すが、友達に絵の具を貸してと言えない。仕方なく半ば投げやりに、ない絵の具を絞り出して、薄くなった緑色を筆でごしごし引き伸ばしながら作業していると、図画工作の担当教師が気付いて正恵に声をかける。
教師「里内さん、仕上がりはどう?」
教師が正恵の絵を手に取って見ながら、
教師「いい感じやけど、植物の緑がもう少し濃くてもいいかもね」
正恵、もじもじしながら「緑の絵の具が無くなっちゃったのでこれ以上塗れません」
教師、隣の同級生に「山本さん、正恵ちゃんに緑の絵の具貸してあげてくれへんかな」
同級生、快く緑の絵の具を渡す。
正恵「有難う」
正恵、ほんの少しだけ絵の具をパレットに出して、すぐに返す。
同級生「もっと使ってもいいよ」
正恵「大丈夫。いっぱい使うと悪いから」
教師が正恵と同級生の会話を聞いている。しばらくしてまた様子を見に来る。
教師「ああ、さっきより緑が鮮やかになった!やっぱり塗り重ねて良くなったわね」
正恵、あやふやな感じに頷く。
教師、正恵の様子を見ながら、緑の絵の具を差し出す。
教師「先生の絵の具、緑があったから使って。先生、あなたの絵が大好きやから、最後まであきらめんと頑張り。なんも遠慮することないからね。あなたが納得できるまで時間をかけて描き上げればいいから」
正恵、自分の気持ちをわかってくれた教師の気持ちが嬉しくなり、大きくうなずく。緑の絵の具を思い切り沢山パレットの上に絞りだして作品に取り掛かる。
 
〇小学校の体育館
全校集会で全校生徒が集合している。ステージ上で正恵が、県の絵画コンクール入賞の賞状を校長から受け取り、恭しく礼をして、ステージを下り、自分のクラスの列に戻っていく。周りの同級生が正恵に注目し、話しかける。
〇小学校の1階、メインの廊下
生徒たちの絵画や書道など様々な作品が貼られている掲示板。県の絵画コンクールで入賞した正恵の絵が飾られている。その前を生徒たちが行きかう。正恵が掲示板に貼られている自分の絵を見上げて少し誇らしげな表情をする。そして立ち去る。
 
〇里内家居間
正恵を前に、父がテストの点数のことで長々とお説教をしている。父は腕組みをしている。正恵はその前でうなだれて聞いている。
父、答案用紙を手に持ってひらひらさせながら「お前は絵や音楽や体育は人一倍できるのに、ほかはなんでもう少しでけへんのや?」
正恵、無言でうなだれたままもじもじする。
父「お父さんがお前の年の頃は、クラスでずっと一番やったぞ。それは一生懸命コツコツ努力して勉強してたからや。それがなんでお前にはできんのや?なんでいっつも40点なんや?」
正恵、だんだん集中力が切れ、父の言葉が遠のいていく。
父、ぼうっとしている正恵を見て、ちゃぶ台を平手でパンとたたき「正恵!お前ちゃんと聞いとるんか?」
正恵、父の声にびくりとして「あ、はい!」
母、台所のほうから父にお茶を持ってきてちゃぶ台の上に置く。
母「正恵、お父さんの言うてること、ようと聞いときなさい。あんたはちゃんとやればできるんやから」
正恵、いつも身に着けている、祖母からもらったお気に入りの赤いガラスのネックレスを両手で触りながらうなだれたまま、だまってうなずく。
 
〇里内家の居間
正恵が、テレビのミンキーモモを夢中になって見ている。順子も、見るともなく一緒にテレビの画面を見ている。ミンキーモモの真似をして、違う自分に変身することを夢見る正恵。
正恵「私もミンキーモモみたく変身してみたい!そしていつか人助けをすんねん」
順子「じゅんこ、ドラえもんのほうが好き~。いつでも助けてくれるもん」
正恵、順子を無視してテレビの画面のミンキーモモの変身シーンに見入っている。
 
風呂の準備を終えた母が、居間をのぞくと娘たちががテレビを見ているのに気づく。
母「まぁたそんなテレビばっかり見て!勉強しないんやったら早くお風呂に入って寝てちょうだい。片付かへんから。お母さんまた明日仕事なんやから」
正恵、テレビにくぎ付けのまま。返事もしない。
順子、母の言うことを素直に聞いて「はーい」
 
母、畳んだ洗濯物を持って二階へと上がっていく。
正恵、鏡に映った、地味でさえない自分を見つめ、テレビの中のミンキーモモの変身シーンと見比べる。正恵は、平凡で地味な子供服を着ている。しかしアクセサリーだけは、祖母にもらった赤いガラスのネックレスを身に着けている。その赤いガラスが、正恵の本当の姿を知っているかのように、キラリときらめく。
 
〇放課後の校庭
正恵、シーソーで遊んでいる。あとから来た友達二人が、正恵にシーソーを譲るようせがんでいる。正恵は気弱な笑顔を浮かべ、仕方なくシーソーを下りて友達に譲り、その場から少し離れたところから、友達が遊んでいるのをどこか寂しそうに見ている。 
 
〇里内家・夕方
正恵が家に帰ってくる。いつになく元気がない。
正恵「ただいま」
母と順子が台所で楽し気にしゃべっている。
母「おかえり」
正恵、そのまま子供部屋に行き、電気も点けずに夕暮れ時の薄暗い部屋の隅で体操座りをする。正恵のすねには擦り傷の後がいくつかある。白いブラウスも少し泥で汚れている。正恵が首につけている赤いガラスのネックレスにそっと手をやるとガラス玉が少し欠けている。膝を抱えてうつむく正恵。台所のほうから母と順子の会話が聞こえる。
順子「それでね、礼子ちゃん、私のも、恵子ちゃんの分も給食全部食べたんよ!」
母「礼子ちゃん大食いやな!あそこはお母さんも太ってるもんね」
二人の笑い声を聞きながら、正恵はじっとしている。
 
 
〇ある週末。長浜の地元の楽市デパート
母と買い物に来た小学四年生の正恵。いつものように地味な服装の正恵。デパートの子供服売り場で洋服を見ている。綺麗な緑のTシャツが正恵の目に留まる。そのTシャツが気になって仕方がない正恵。
正恵「お母さん、あれが着てみたい」
母、ちらりと目をやるが、正恵の服をあれこれ物色しながら、「あんなきつい色、あきません。目立ちすぎてあかんわ。もっと大人しい色の服にしなさい」
正恵、懇願して「でもこの緑がどうしてもええの。ねぇ、着てみてもええでしょう?お願いします」頭を下げる正恵。
母、仕方ないという風に、Tシャツを手に取って正恵に渡す。
母「じゃあ、早く着てみなさい」
正恵、試着室へ行き、着替えて出てくる。店員が近寄ってきて言う。
店員「まあ!!お嬢さん、とてもお似合いですよ!」
母「はぁ。。。」ぴんと来ないという風に首をかしげながら試着した正恵を見ている。
正恵、少しはにかみながらも、自分にピタリと合っている、カッコいいと感じて今までにない自信を感じる。前とは別人のように鮮やかな色がなじんでピシッとして見える。自分でもびっくりして鏡の前で何度も自分の姿を見直してポーズをとってみる。自分の中身まで変わったように感じてとても愉快になる。
正恵、鏡の前で、軽くターンして、何度も自分の姿を鏡で見る。
 
〇里内家・居間
家族で夕飯の食卓を囲んでいる。卵かけご飯を食べている小学6年生の正恵。テレビがついているが特に誰も見ているという訳ではない。画面にはニューヨークから現地レポートするアナウンサーが映っている。気にも留めずにご飯を食べ続ける正恵。と、アナウンサーの声が際立って大きくなり、正恵の耳に入ってくる。
父、味噌汁を飲み干して、ぞんざいに「おい、お茶」
母、「はい、ただいま」母、素早く席を立ち、台所にお茶を沸かしにいく。
アナウンサーの声「やはりニューヨークというのは世界で一番カラフルな場所で、世界中の人々が夢を追いかけて集まってくる、そんな特別な場所なんですよね~!」。
正恵、食べていた卵かけご飯から何気なく目線を上げ、テレビの画面をぼんやりと見つめる。画面にはクリスマス前のロックフェラーセンターや五番街、エンパイアステートビルや自由の女神が映っている。正恵の箸が止まる。
台所から急須と湯飲み茶わんを持って戻ってきた母、正恵の箸が止まっているのに気づく。
母「正恵、ぼうっとしてないで早く食べなさい。片付かへんから」
正恵、我に返って卵かけご飯をかきこむ。
 
〇里内家・子供部屋
二段ベッドの上。その晩、正恵は寝付けず、じっと天井を見つめている。下の段では妹の順子
が寝息を立ててぐっすり眠っている。
正恵が目を閉じると、テレビに映っていたニューヨークのきらびやかな摩天楼が目に浮かんでくる。すぐに眠気が襲ってきてうとうととする正恵。すると、どこからともなく声が聞こえてくる。
不思議な声「お前は日本に生を受けただけで、いつかは世界を見ないといけない」
正恵(目をつむったまま、寝ぼけながらうんうんと頷いて)「うん。ほんならお金貯めんとあかんわ。。。」
そのまま寝落ちる。
 
〇里内家・栗東の祖父母の家・尚学年生の夏休み
祖母「正恵!おじいちゃん、おばあちゃんと正恵の3人でディズニーランドに行くで!」
正恵「ほんま?!」
祖父「ああ、ほんまや。せっかくの夏休みやからな。おじいちゃんとおばあちゃんが連れてったる。楽しいでぇ~!」
正恵「やったー!」
手をたたいて飛び上がる正恵。
祖父「おい正恵、これ、ご近所の岡野さんから正恵にお小遣いやて。ディズニーランドに行くさかいな」
祖父、小遣いが入った小さな封筒を正恵に渡す。
正恵「わぁ。有難う」
祖父「あとで岡野さんにお礼の電話しとき」
正恵「はーい」
正恵、自分の部屋に戻る。
 
〇正恵の部屋
机の上の豚の貯金箱をひっくり返して中の紙幣や小銭を出す正恵。1000円札や500円玉、祖父から受け取った、ご近所さんからの小遣い袋を開けると5000円札が出てくる。それも袋から出して大事そうに貯金箱に入れ、正恵はぎゅっと抱きしめ、天井に向かって貯金箱を持ち上げる。
正恵「いつか私は絶対にニューヨークに行くんだ!」
 
〇ニューヨーク(ウェブスターホール)
天井を仰いで両手を伸ばし、最後のポーズを決める正恵(前のシーンの最後とのオーバーラップ。背後からスポットライトを浴びている正恵の後ろ姿が浮き上がる)。
司会がマイク越しに叫ぶ「Give Masae a round of applause!」
会場からは大きな拍手喝さいが巻き起こる。正恵の表情がほころび、白い歯がこぼれる。観客へのあいさつを何度もし、最後は客席に投げキッスをして、カーテンの袖に入る正恵。そこには、遠慮がちで大人しく、自己主張できない幼いころのあの正恵の姿はみじんもない。
 
 
〇ある日曜日、栗東の平和堂デパートに買い物に来た中学3年生の正恵と母
正恵がスニーカーを物色している。靴売り場でスニーカーの棚を見渡すと、色々な色がある中で、赤いNewbalanceのスニーカーが正恵の目にとまる。正恵、スニーカーを手に取り、試着してみる。すると足元がぱっと明るくなって足から力がみなぎってくるような感覚を覚える。
正恵「これにする!」
母「店員さん、ほな、これお願いします」
店員「はい、かしこまりました」
 
〇実家・夜
母が一人忙しく夕飯の後片付けをしている。
正恵が部活から帰ってくる。
正恵「ただいまー」
母「お帰り。食べるんやろ?」
正恵「うん、食べる」
母、正恵の食事を電子レンジに入れて温め、みそ汁を火にかけ、ごはんをよそう。
居間のほうから父が母を呼ぶ声。
父「おい、お茶はまだか。早くお茶をくれ」
母「はーい、ただいま」
父「新聞も」
母がいそいそとポットのお湯を急須に注ぎ、お茶を入れ、テーブルに置きっぱなしの夕刊を見もせずに居間の父のところに持っていく。
父「夜は朝日やないって!日経やて言うてるやろ。わからんやっちゃなぁ」
母「ああ、えらいすんません」
母が日経新聞を探し出して父のところへ持っていく。母がテーブルにつこうとした瞬間、今度は順子が子供部屋から母を呼ぶ。
順子「お母さん、私の体操服どこ?明日いるねんけど!ゼッケンつけてくれた?」
母「つけといたよ。さっき畳んでベッドの上に置いたで。ちゃんと見て!」
順子「どこにあるかわからへん!」
母「そこにあるやろ!もう~!」
母、子供部屋の順子のところへ行く。
正恵、夕飯の魚のフライを箸でもてあそびながら、家族のやり取りを冷めた様子で見ている。
 
〇中学校でのマラソン大会
大勢のクラスメイトと一緒に群れの最後のほうを走るグループの中に正恵がいる。あの赤いスニーカーを履いている。途中から正恵の集中力が増してくると、赤いスニーカーの鮮やかさが増して、それと同時に正恵が猛烈に追い上げる。追い抜かれたクラスメートたちの息は上がっている。ごぼう抜きにクラスメイトを追い越し、あっという間に先頭グループに食い込む。先頭グループのほとんどは男子。
正恵、心の中で「男になんか絶対に負けてたまるか!」
正恵、歯を食いしばり、ぐんぐん追いつき追い越すが、トップになれないままゴールインする。1、2位は同級生の男子。
クラスメートたちが歓声を上げて駆け寄ってくる。
クラスメート①「正恵、女子なのに3位に入るなんてすごい!」
クラスメート②「やったー!!」
正恵、うんうんと頷きながらクラスメートたちに応じながらも、複雑そうな顔で1位と2位の男子たちを見ている。
 
〇正恵が通っている高校・文化祭
校門の前に文化祭の看板が立っている。
正恵たちの出し物の教室に人だかりがしている。教壇に、トップはシャツの上に花の飾りをつけたブラジャー、下はアンダースコート姿という過激ないでたちに、レインボーカラーのアフロヘアのかつらをかぶった生徒会長、お笑い隊長、そして正恵の3人組が自作自演の「ぺちゃパイ音頭」に合わせてセクシーな踊りを披露してどんちゃん騒ぎしている。観客の中の男子学生や男性陣からは冷やかしの歓声が上がる。女子学生や父兄の中には唖然としている者もいる。
教師①と女教師が騒ぎを聞きつけてやってくる。正恵たちのいでたちを見てぎょっとする二人。
教師①「またお前たちか!何やっとんだ?!やめんか!!」
教師①と女教師、3人の腕を引っ張って教壇から引きずり下ろす。
 
〇職員室・応接間
3人組が校長、教師①、女教師の3人の前にうなだれて座っている。校長から注意を受けている。
正恵、生徒会長、お笑い隊長の3人はそれぞれぺこりと頭を下げ、「すんまっせん」。お笑い隊長は笑いをこらえている。
教師たちは、手が付けられない、といった表情で首を振り、あきれ果てて顔を見合わせる。
 
〇生徒会長の家
正恵、生徒会長、お笑い隊長、他のテニス部員が生徒会長の部屋でまったりしながらだべっている。部員の一人が下ネタのジョークを言い、みんなが笑う。ひと際カラフルなオレンジのマフラーを首に巻いてオレンジの靴下をはいた正恵が、ベッドの上に寝そべってみんなと大笑いしている。
生徒会長「佐々木先生、怒ってたなぁ」
お笑い隊長、少し間をおいて思い出し笑いをしながら「うん、めちゃ怒ってた」と吹き出す。正恵もつられて笑いだす。部屋の中のつけっぱなしのテレビでマドンナのインタビューが流れている。インタビューに答えるマドンナのコメント。
マドンナ「I am my own experiment and my own work of art(日本語字幕:私という人間は、私自身の実験であり、芸術作品なの)」
正恵、色めき立つ。
正恵「しびれるわ~。このセリフ!!」
正恵、マドンナの声色を真似て「『私は私自身の芸術作品なの!!』」
みんながどっと笑う。
生徒会長「マドンナのこの新しい髪形めっちゃイケてない?」
正恵「次はみんなでまたこのかつらかぶってはじけよか?」
みんながまたどっと笑う。
 
○里内家 学園祭の日の夜遅く
学園祭の打ち上げが終わって帰宅が遅くなった正恵が寝静まった家の玄関のドアをそろりと開けて家に入ろうとする。と、ぱちりと玄関口の電気がつく。正恵が顔をあげると、目の前に母が険しい顔で立っている。
母、声を殺しながら「あんた、今一体何時やと思てるの!門限過ぎてるってわかってるやろ。こんな時間まで一体どこに行ってたん?」
正恵「朝出る時に、今日は学際の打ち上げやから生徒会長の家に寄る、遅くなるて、ちゃんと言いました」
母「高校に入ってから服装もなんや急に派手になるし、門限も無視。どうなってるの?」
正恵、むっとした顔で母を振り切り、部屋のほうに行こうとすると、父が廊下に腕組みをして立っている。
父「正恵、お前一体どういうつもりや。お前はまだ高校生やで」
正恵「何もやましいことなんかしてません。会長の家でみんなでしゃべってただけ!いい加減、少しは信用してください!」
父「親のすねをかじって生活しているうちは、うちのルールに従ってもらうことが条件てわかってるやろ。それが嫌なら今すぐ出ていけ」
正恵、唇をかみながら「言われんでも、高校卒業したら出ていきます!」
苛立ちから、無言で両親を振り切り、奥の自分の部屋に歩いていく。
父「お前、親に向かってその態度はなんや!まだ話は終わってへんで。ちゃんと説明せい!」
正恵が子供部屋の扉を開けると、寝ていた順子が目を覚まして扉の前に立っている。
順子、眠気眼で「もう~、何の騒ぎ?」
正恵、順子を無視して部屋に入ると扉をぴしゃりと閉め、鍵をかける。
母、おろおろしながら、「お父さん、もう今日は遅いから、明日私がちゃんと言い聞かせますから」
父「そんなこと言うてお前、お前がそうやっていつも甘いからつけあがるんやろう」
母「すんません。。。」
両親の言い争いが聞こえる。
順子、ぶつぶつ言いながら大あくびをしてしぶしぶ二段ベッドの下に戻り、布団をかぶる。
正恵、二段ベッドの上の段に大の字になり、憮然として天井を見つめ、そして目を閉じる。
 
〇里内家 翌朝
制服を着て、オレンジ色の太めのマフラーを首に巻いた正恵がむすっとした顔で部屋から出てくる。
母「あんた、今何時やとおもてるの。はよ食べんと遅刻するで」
正恵、母と目を合わせず「朝ごはんはいりません。行ってきます」
玄関で、トレードマークのオレンジ色のマフラーに、同じ色の靴を履こうとしている正恵に母が言う。
母「またそんな派手な色ばっかり身に着けて!」
正恵、うんざりした顔でため息をつき、母の小言をこらえながら無視をして家を後にする。
 
〇里内家(深夜)
みんな寝付いており、家の中は静まり返っている。
電気の消えた子供部屋でベッドに横たわっている正恵。パッと目を見開くと、下の段のベッドの順子に声をかける。
正恵「順子?」
返事はなく、順子の寝息だけが聞こえてくる。正恵、順子が寝付いていることを確認するとと、ゆっくり布団から起きあがる。すでに、出かける服装をしている。パンクファッションで、ヒステリックグラマーのロングTシャツにゆったりしたパンツ姿といういで立ち。ハンチングをかぶり、こっそり裏口から外に抜け出して行きつけのクラブに向かう正恵。
 
〇行きつけのクラブ
クラブの仲間たちと、フロアで思い切り踊り狂う正恵。暗い空間を、ついたり消えたりする光に正恵の姿が照らし出される。複数の男たちが正恵が踊る姿を見ている。
 
ひとしきり踊ったあと、ラウンジでくつろぐ正恵の前に、突然どこからかカメラマンが現れて正恵にカメラを向ける。正恵もごく自然に応じ、ハンチングに軽く手をやり、茶目っ気たっぷりに舌を出して挑発的なポーズをとってみせる。
 
〇里内家・居間
正恵、両親の前にうなだれて正座している。ともにしばらく黙っているが、正恵、そのうち三つ指をつき、両親に頭を下げ、切り出す。
正恵「高校を出たら、働きながら美容専門学校に通いながら美容室で働くつもりです。高校を卒業したら家を出て自活しますので、どうぞよろしくお願いします」
両親、顔を見合わせて困惑気味な表情を浮かべて無言のまま。正恵、額を床につけたままじっとしている。父と母、黙ったまま深いため息をつく。
 
 
〇正恵が初めて一人暮らしを始めたアパート(1998年、春・京都 勤め先のサロンの2階、三畳一間)
商業高校を卒業したばかりの正恵。段ボール箱を抱えて床におろし、箱の中の荷物を取り出している。まだ家具もないがらんとした部屋に腰を下ろして部屋の中を見渡すと、やっと家の束縛から解き放たれたという解放感がこみあげてくる。深呼吸をする正恵。母から届いた小包。段ボール箱を開けると、お菓子やインスタント食品などが箱一杯に詰まっている。母からの手紙も入っている。無表情のまま手紙を読む正恵。
 
〇京都美容専門学校・昼間
クラスでカットの講習を受けている学生たちの中に正恵がいる。講師が正恵のカットの仕上がりをチェックするためにモデルの髪に触れながら正恵にフィードバックしている。正恵は熱心に聞き入りながらうなずいている。70年代のファッションで、ワイドのパンタロンにメルヘンチックなビンテージなトップでユニークなスタイルの正恵はひときわ目立つ。
 
〇京都の老舗サロン・夜間
新米の正恵が、サロンの受付に立って笑顔で客を迎え、サロン内の席に案内している。
正恵が、ホウキを持って床に落ちた髪の毛をホウキで掃いている。カットが終わって店を後にする客たちに会釈している。奥のシャンプー台で洗髪を終えたお客の髪をタオルで乾かしながら、同僚の櫻井真矢(アンディ)が正恵のほうにちらりと視線を送る。正恵もそれに気づいて視線で返す。
 
〇京都のクラブ・夜
バーエリアでひとり物思いにふけりながらカクテルを飲んでいる正恵。
バーテンダー「あれぇ?キャシーちゃん、今日は早いね?一人なん?」
正恵、ぼうっとした表情で、カクテルをスティックでかき混ぜるのを見つめながら、「あぁ、うん。そやねん。今日は珍しく早く上がって、ちょっと来てみた。。。」
バーテンダー、正恵の様子がいつもと違うので、いぶかしげな表情で「ふん、そうか。まあゆっくりしていってや」
正恵、カクテルを飲み干すと、ふらりとフロアに向かい、流れているトランス・ミュージックに合わせてゆっくりと動き出す。やがて頭を左右に激しく振りながら、動きがだんだん激しくなってゆく。正恵の眉間にしわが寄り、どこか苦し気な表情になる。何か忌まわしい記憶を断ち切ろうとするかのように、頭を何度か左右に振り、半ばトランス状態になって正恵は激しく踊り続ける。
ひとしきり踊った後、正恵がバーエリアに戻ると、いつの間にかいつものクラブ仲間の常連たちが到着し、たむろしている。
仲間①「キャシー!待ってたで!今日もそのショッキングピンク、めっちゃクール!!似合ってる!」
仲間②「私もキャシーさんのセンス、好きです~」
仲間③「なんか、実家出てから一段とはじけたんちゃう?」
正恵、おどけながらポーズをとって「やっぱりわかる?」
みんな笑う。
仲間③が他の二人がいなくなったすきに正恵に顔を近づけて、言う。「あんた、さっきなんやだいぶ激しくやってたけど、大丈夫か?なんかあったん?」
正恵、質問を振り切るように「え?なんもないで」
仲間③「そう?そんならええけど。そういえば、専門学校の時の同級生と鍋パーティーするてこの間言ってなかった?もう行ったん?かっこええ子おった?」
正恵、一瞬ぎょっとした表情で「ああ、うん。おもろかったで。あの子変わらんなぁ。やっぱりあの子はほんまぱっとせんわ。あはは。あー、今日はいい汗かいた!」
正恵、はぐらかすかのように「なあ、この帽子、ええやろ?」­
 
〇京都市内
京都の町を歩く正恵。道行く人々の誰もが、網タイツ、チューブトップ、ショートパンツ、ハンチング帽といういで立ちの正恵と、すれ違うたびに振り返って二度見する。
待ち合わせの場所で、櫻井が時計を見ながら正恵を待っている。
正恵「お待たせ~!アンディー!!。陽子ちゃんもまだ?」
櫻井、振り返って、正恵の姿を認めると、一瞬ぎょっとした顔をする。
櫻井「今日もまたえらい、ど派手やな。。。キャシーちゃん。。。」
正恵「え、これでもだいぶ抑えたつもりやねんけど。。。」
櫻井「目立ってしょうがないから、かなわんわ。お願いやからもうちょっと普通の格好してや。キャシーちゃんがそんな目立ってると、隣におる俺まで見られてまうやん」
正恵、自分の服装を見直しながら「えっ、そうなん?」
櫻井「それに、肌見せすぎやろ。またクラブで危ない目に遭ったらどうすんの?そんな格好してたら襲われても文句言われへんで」
正恵の顔が一瞬こわばる。
そこに友人の陽子がやってくる。
陽子①「おまたせー!うわっ。キャシー!まったあんたそんな奇抜な格好してぇ!」
櫻井「せやろ~。今ゆうてたところやねん。恥ずかしいからもうやめてて」
陽子「そら言うわ。キャシー、あんた派手すぎるわ。オーナーも、何も言わへんけど絶対に思ってるて!」
正恵「そんな。。。派手かな?」
陽子「キャシ~!ここは日本やで。そんなかっこうしている人ほかにだれもおらへん。あんただけや。なあ、アンディ」
櫻井「そうや、陽子ちゃんの言う通りや。もっと言ったってや!俺が言うても全然聞かへんねん」
通りすがりの通行人たちも、これ見よがしに正恵を物珍しそうに見ながら通り過ぎていく。そのうちの一人とぴったり目が合い、目線を合わせたまま、すれ違う。一瞬その通行人の動きがスローモーションのように見える。まるで奇異なものでも見るような、通行人の刺さるような視線が正恵に注がれる。
櫻井と陽子が掛け合い漫才のように正恵の恰好をネタに話している。彼らの声が遠のく。疎外感を感じる正恵、ただ立ち尽くしている。
 
〇正恵のアパート
夜中12時半。ベッドに正恵と櫻井が寝ている。正恵は寝付けず、何度か寝返りを打つ。そのうちあきらめたかのように、櫻井のほうを見て声をかける。
正恵「なぁ、アンディ。寝てる?」
櫻井はすやすやと寝息を立ててぐっすり寝ており、返事はない。正恵はベッドから出て、櫻井を起こすまいと電気を消したまま、暗い中、トイレに向かって歩く。その時、足元の箱に思い切り足をぶつけて躓きそうになる。チャリンというかすかな音。
正恵「いったぁ」小さくつぶやきながら足元の箱を足で脇に押しやろうとして、ふと箱の中身が気になり、しゃがんで箱を開けてみる。中から、将来ニューヨークに行くために小学4年生からお金を貯めていた豚の貯金箱が出てくる。正恵の中に、しばらく忘れていたニューヨークへの思いが思い出されてくる。
正恵の回想(初めてテレビで見た、画面に移される華やかなニューヨークの街角、聞こえてくるレポーターの声)「世界一カラフルな街、ニューヨーク。。。」
何気なくアンディのほうを振り返る正恵。アンディは相変わらず屈託のない寝顔で寝込んでいる。正恵、それを見て一瞬、気弱な笑みを浮かべる。
 
〇正恵のアパート・夕飯時
櫻井、ご飯をほおばりながら「え?ニューヨークに一人旅?」
正恵「うん、行ってもええやろか?」
櫻井「そらぁ、勿論、キャシーちゃんが行きたいんやったらええけど。なんでまたニューヨークなん?オーストラリアかどっかのほうが安全なんちゃうか。ニューヨークてずいぶん危ないっていうやないか」
正恵「うん、わかってる。でもニューヨークじゃないとあかんねん。すぐ帰ってくるから。たったの一週間だけやし」
櫻井「うーん。お父さんたちにはもう言うたんか?」
正恵「まだ。。。言うたら、『危ない!行くことはならん!』言うて絶対に反対されるに決まってるから。帰ってきたらお土産持って事後報告するつもり」
櫻井「まあな。確かにキャシーの両親はコンサバで厳しいことは確かやけど。まあ、ええわ。なんか聞かれたら俺からもよう言うといてあげる」
正恵「たのんます。アンディは、おとうはん、おかあはんから絶大な信頼を置かれてるからなぁ。私なんかよりも全然信頼されてるわ」
櫻井「まあな。さ、ええから、はよご飯食べり。遅れるで」そういいながら、櫻井が正恵にご飯をよそってあげる。
正恵「うん」
 
〇ニューヨーク・JFK空港(2003年8月)
到着のターミナルに、大きなスーツケースを持った正恵がゲートから出てくる。きょろきょろとあたりを見回しながら、何とかタクシー乗り場までたどり着き、止まっているタクシーの運転手に片言の英語で話しかける。
正恵「マンハッタンのチェルシーまで」
荷物を渡し、座席に乗り込む。ハイウェイを荒っぽい運転でタクシーは一路マンハッタンへ向かう。運転手がラジオをかけている。シンディ・ローパーのGirls Just Wanna Have Funが車内に流れている。
いよいよマンハッタンに入るQueens Boro Bridge、タクシーの窓からマンハッタンの摩天楼が見えくると、正恵のテンションは最高潮に達する。
正恵、タクシーの窓ガラスに額を押し付けて「うわぁ!テレビで見た通りやわ!!」
正恵は西23丁目チェルシー地区の安ホテルの前で降りる。古く狭いホテルの部屋に着くと、スーツケースを開けて、キャミソールとパンツのいでたちに、持ってきた服の中でも飛び切り派手な、黄緑のネオンのレインコートを身にまとう。仕上げにディオールのサングラスをかけ、鏡の前でポーズをとる。
正恵「いざ、出陣!!」
正恵は、最初はぎこちなく歩いている。しばらく歩いていると、すれ違った女性が正恵に何か声をかけてくる。正恵、何を言われたかわからず、ぽかんとしている。女性は繰り返す。
女性「あなたのジャケット素敵ねって言ったの!」
褒められていることがわかり、正恵は嬉しくなる。
正恵「サ、サンキュー!」
またしばらく歩くと、ゲイと思しき黒人男性から声をかけられる。
男性「あなたのスタイル好きだわ!」
褒められていることが何となくわかって嬉しくなり、正恵は背筋をぴんと伸ばし、胸を張ってさっそうと歩きだす。
 
〇イーストビレッジのクラブ・夜
正恵がカウガール風のいでたちで踊り狂っている。厚底ウェスタンブーツにぴったりしたホットパンツ、テンガロンハットをかぶった正恵はひときわ周りの目を引く。まるで水を得た魚のように生き生きした表情、激しい動きで踊る。自分を解放する気持ちよさに酔いしれる正恵。ずっと踊っている。ギャラリーの中に、じっと正恵のことを見ている男たちが何人かいる。見られることに快感を覚えながらも、無視してただくたくたになるまで踊り続ける。
 
〇京都・正恵のアパート・夜
正恵がニューヨークで撮った写真を櫻井と見ながらニューヨークの思い出に浸っている。
櫻井、お茶を入れ、テーブルの上に湯飲み茶わんを置く。そして一枚の写真を手に取って正恵に訊く「これは、どの辺?」
正恵、写真を見ながら「ああ、これはな、私が泊まってたチェルシーいう、ゲイの多いエリアのバーやねん。もお~、カラフルでお洒落な人たちが一杯おってな。ほんま楽しくてな、毎日毎日、通って踊りまくっててん」
櫻井「キャシーちゃん、ニューヨークでもまあたクラブ通いしてたんか!ほんま好きやなぁ。まあでもなんも事故もなく無事に帰ってこれてよかったな」
櫻井、正恵のニューヨークでの写真をまじまじと見る。
櫻井「でもこの恰好、ニューヨークやったら確かになじんでるかもしれん。違和感ないわ!」
正恵、嬉しそうに応じる。
正恵「そうやろ!道歩いてたらいろんな人にめっちゃ褒められてんで!」
櫻井「ほう、そうか!良かったやんか!でもこれは京都ではきっついわー!あきまへん」
正恵「またぁ。そんなこと言うて!大体、アンディはコンサバすぎるわ。私の感覚にもっと慣れてもらわんと」
櫻井「あはは、そらあ一生無理やわぁ」
正恵「もう~!」アンディの肩を軽くはたく。二人で屈託なく笑っている。
 
〇正恵が務める京都のサロン(2003年9月)
ニューヨークから帰国して日常に戻った正恵がサロンにいる。
正恵「恵子ちゃん、じゃあ後はよろしく」
恵子「はい。キャシーさん、お疲れ様でした。あ、ニューヨーク土産のチョコレート、さっきいただきました。美味しかったです。ご馳走様でした」
正恵「あ、そう。よかった」
他のスタッフも一斉に「お疲れ様でした!」一同、正恵を見送る。
帰宅ラッシュの電車に揺られ、家路につく正恵。
 
〇正恵とアンディが同居するアパートの入り口
帰宅途中、スーパーに夕飯の買い物に立ち寄る。手には買い物袋をいくつか下げている。アパートの一階のポストをチェックすると、チラシが入っている。正恵、チラシを手に取って読んでみると、「京都文化講座」と書いてある。「色は心の鏡です。あなたが選ぶ色に心の本当の答えが見つかる」というコピーに目が留まる。正恵、なぜかチラシを見てハッとして目を見開き、急いで部屋に戻る。
 
〇正恵のアパート
正恵、カバンをソファの上に放り投げ、片手にチラシを持ったまま、急いで電話をかける。
正恵「あ、もしもし、虹のしずくさんでしょうか。はい、チラシを見て電話している者ですが。。。」
 
〇西市場のアーケードの細い小道
正恵、住所を見ながら、あたりをきょろきょろ見渡して、『虹のしずく』が入っている雑居ビルを探し当てる。
正恵、「ここやわ」
チラシの住所を確かめながら、緊張した面持ちで、古びた雑居ビルの2階へと階段でゆっくり上がっていく。
 
〇虹のしずくのオフィス
正恵がカラーセラピストの西野と雑居ビルの一室で長机を挟んで向き合っている。正恵、黒地にターコイズブルーのコンドル柄が入ったワンピースを着ている。緊張から、うつむいている正恵。西野、正恵のことを優しいまなざしで見守りながら、終始にこやかに頷いて話を聞いている。
正恵「ニューヨークに行くと言っても美容師でやっていくつもりはありません。ダンスで思い切り自分を表現したいんです。でも、ダンスも本格的にやったことはありません。今は美容師の仕事も順調やし、大きな賞とったり、店を任されるようになったりもして。友達も一杯いて、大好きな人もいて、これを全部捨ててニューヨークに行く価値あるのかなって。単なる自己満足なんじゃないかと思って。どうすべきなのか、人生の選択に悩んでます。結婚するのか、それともニューヨークに自分を試しに行くのか。。。」
西野、うんうんとうなずく。
正恵「あ、でもフィアンセは私の服装が好きではなく、いつも私のことを変人扱いするんです。私はとにかく小さい頃からカラフルなものが好きで。。。色が持つ力を味方につけて人生切り開いてきたというか。。。今は周りの友人たちもとても良い人たちです。でも私のことを本当には理解してくれていなくて、それで自分らしくいられなくって時々苦しいというか。。。すごく疎外感を感じるんです」
西野、優しく微笑んで頷きながら切り出す「じゃあ、まずお誕生日を伺いましょうか」
正恵「1979年の12月10日です」
西野、なにやら計算している。そして顔を上げて正恵を見つめ、頷きながら「なるほど!やっぱりね!」
正恵、驚いて思わず顔を上げて「え?」
先生「あなたが何を着ても目立たはるのはしょうがないのよ。あなたの誕生日カラーは黄色。あなたはやっぱり輝くために生まれてきはったのね。光の存在だから、あなたは自由なのよ。そしてあなたには、どんな闇も光に導く力がある。あなたがあなたらしく一番輝ける場所にいるべきだよ。それはどこ?」
正恵、ゆっくりと目を閉じる。目にはうっすらと涙が浮かんでくる。
 
〇正恵の回想(2003年8月、初めてのニューヨーク訪問の記憶)自分が持っている一番派手な洋服ばかりを身に着けてウェストビレッジを練り歩く正恵。「あなたの服、すごくクールね!」「その服、どこで買ったの?」行く先々で道行く人に声をかけられ、ほめられて、最初は戸惑うものの、嬉しくなり、だんだん胸を張ってさっそうと歩き出す正恵。フラットアイアンビルを背景に、全身赤のワンピースで、まるでメアリポピンズのようにたくさんのカラフルな風船を持ち、時折、ターンしながら横断歩道を渡る正恵。
 
 
正恵、ゆっくりと目を開けて「ニューヨークです!」
正恵の頬を大粒の涙が伝って落ちる。
西野、まじまじと正恵の顔を見て言う。
西野「思い切りやらはったらええわ。行きなさい、ニューヨークに!」
正恵の表情が一気にほころび、その背中にこわばって硬く閉じていた翼がばさりと音を立てて広がり、大きくストレッチする。
 
 
〇勤務先の京都のサロン(2005年)
真剣な表情で、見習スタイリストのカットの仕上がりをチェックしている正恵。見習いに適宜アドバイスをしている。見習いが正恵の指示にうなずきながら聞き入っている。正恵は全身コバルトブルーの鮮やかな青に身を包んでいる。正恵の横顔を、奥のシャンプー台でお客の洗髪をしている櫻井が少し心配そうに遠くから見守っている。
 
〇京都の町中
魂が抜けたような疲れ切った表情で、全身青のいでたちで、京都の町をあてもなくさまよう正恵。行き交う通行人とぶつかりそうになりながら、おぼつかない足取りでゆらゆらと行きつけのバーに向かう。
 
〇正恵行きつけの京都のバー
正恵が陽子と飲んでいる。正恵は寝不足のため、目の下にクマができている。
陽子「キャシー、この間も店で青やったよな?なんか最近、ブルーが多ない?」
正恵「そう言われればそうやな。言われるまで気づいてなかったけど。カラーセラピーではブルーって、内省とか内にこもるいう意味がある色やねんて」
陽子、正恵の顔を覗き込んで「へえ、そうなん。で、何があったん?」
正恵、最初はうつむいて黙っているが、耐えかねて切り出す。
正恵「陽子ちゃん聞いて。私もうほんまにどうしたらええのかわからんようになってもうてん。ニューヨークに行くべきなのか、それともあきらめるのか。。。」
陽子、正恵のいつもと違う様子に驚いて「え?一体何があったん?」
正恵「全国のコンペでも優勝して、スタイリストとして認めてもろうて、仕事も順調で店も任せてもらえるようになった。友達にも恵まれてて、アンディみたいな優しい百点満点のフィアンセもいて、両親も彼のこと大好きで、今私本当になんも問題ないし、幸せやねん。でも、どうしてもニューヨークにも行きたい。どうしても自分の夢を諦められへん」
陽子が真剣な面持ちで、鬼気迫る正恵の話を頷きながら聞いている。少し間をおいて言う。
陽子「そうか。。。でもな、キャシー、アンディみたいな良い人、もう絶対に二度と巡り合われへんのんちゃうかな」
正恵「わかってる。。。」
陽子「それにあんた、全国のコンテストでも優勝して、その若さで店まで任されるようになったんやないの!これからやん」
正恵「子どもの頃からの夢やねん。世界一カラフルなニューヨークで、体を使って思い切り自分を自由に表現したいんよ。私はまだまだ本当の自分を表現しきれてない、そう思ってまうねん」
陽子「夢を追い求めたいあんたの気持ちもようわかるで。正恵は奇麗やし、人一倍色々な才能や能力もある思う。でもなキャシー、あんまり欲張りすぎんほうがええんちゃうかな。なんも住まんでもええんちゃう?旅行じゃダメなん?」
正恵、黙って聞いている。
陽子「とにかく、よぉく考えたほうがいいと私は思うけどな」
正恵、陽子の言葉に、それ以上何も言えなくなり口をつぐむ。
 
〇正恵と櫻井のアパート・夜
正恵と櫻井が夕飯の準備をしている。櫻井がなんとなく正恵の顔色をうかがいながら切り出す。
櫻井「聞いたで。この間、陽子ちゃんに会ったんやて?」
正恵、料理の手を休めることなく「ああ、うん」
櫻井、正恵の様子を少しうかがいながら「何か大分思い詰めてるみたいやって心配してたで」
正恵、無言で黙々と夕飯の準備をしている。
櫻井、真顔で正恵のほうを向き、黙っている正恵の顔を覗き込み、目を見つめて言う。
櫻井「キャシーちゃん?」
正恵、炒め物の火を止めて。今度は蛇口をひねり、フライパンをを洗いだす。櫻井の質問に返事はしない。
櫻井「何があったん?話してよ」
正恵、耐えかねて、洗っていた茶碗を置き、泣き出す「もう悩むの疲れたわ!ニューヨークなんかもう行かへん!!」
正恵、泣き崩れる。
櫻井「落ち着けって」
正恵「ニューヨークでダンサーになんかなれるはずないのに、すべてを捨ててニューヨークに行くやなんてできるわけない!」
櫻井「いいから、落ち着けって!」、正恵の手を握り、目を見つめながら言う。
櫻井「また行きたいんやろ?ニューヨークに。わかってたで。キャシーちゃんのこといつも見てるから。ニューヨークから帰ってきたとき、あんな生き生きしたキャシーちゃん見たの初めてやってまじで思った」
正恵、うなだれていたが、顔を上げて櫻井の目を見つめ返す。
櫻井「俺は男のせいで夢をあきらめるお前になんか興味はない。お前は動くことしかでけへん人なんやから。そりゃあ、勿論俺かて心配やし、しばらく寂しゅうもなるけど、俺は何があっても、お前のことずっと待つから!」
正恵「アンディ。。。」
涙をうっすらと浮かべて櫻井を見つめる正恵。櫻井が正恵を見つめ返して優しく笑う。そして正恵を抱きしめて言う。
櫻井「大丈夫やって!」
正恵、櫻井の肩に顔を埋めて、うんうんと何度もうなずく。
 
〇成田空港(2006年3月)
櫻井が、正恵の乗った飛行機を遠い目で追っている。正恵、飛び立つ飛行機の窓から、どんどん遠くなる地面をしばらく見つめている。シートに深く身を沈めると、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。

第二部: 

フィナーレ:


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