ニューヨークから見る終わりの始まり
第一話:蔓延する万引き
コロナから丸3年が経ち、ようやくパンデミックは終息しました。まだ時々周りでも、「〇〇さんがコロナにかかったから今週は集まりに参加できない」、といったような話は聞くものの、地下鉄の中でもマスクをしている人は今やごく少数派だし、混んだレストランでも人々は気にせず食事を楽しんでいるし、消毒液でまめに手を消毒している人もほとんど見ません。街には観光客が戻ってきて活気を取り戻していて嬉しい限りです。「すっかり日常が戻ったね」とこちらの友人ともよく話します。
しかし、ほっとしたのもつかの間、パンデミックが終わって、私たちの社会が抱える様々な矛盾がこれまでになく浮き彫りになっているのも事実です。黒人やアジア系などマイノリティに対する人種差別の問題、格差の拡大、ホームレスの激増、犯罪の増加。これらはどれも以前から存在してきた問題であり、何ら目新しいことではありません。ただし見逃せないのはその先鋭化です。
これはニューヨークだけではなく全米でそうだと思うのですが、最近、ドラッグストアに行くと、多くの商品棚には鍵がかかっており、欲しい商品がある場合には、いちいち店員を呼んで鍵で開けてもらわなければならなくなりました。コロナ前から、一部の高額商品の棚には鍵がかかっていたものの、今は施錠された棚がとても増えました。なぜこうなっているかというと、その理由はあまりにも多くの万引きが起こっているからです。万引きの発生頻度が高いエリア(多くの場合、低所得世帯が多いエリア)にある店舗の中には、閉鎖に追いやられているところさえあるのです。
「店員や警備員がなぜ取り押さえないのか?」
記事を読んでいる皆さんは当然考えると思います。しかし、アメリカは銃社会です。あまりに多くの人が当たり前のように万引きをし、もしかしたら相手が銃を持っている可能性もあるとしたら、そう簡単に手出しや口出しをすることができないのが現状です。従業員が危険にさらされると、企業は訴えられる可能性もあるため、会社側も店員や警備員に対し、「万引きを見つけたら捕まえろ」と言えません。苦肉の策として、治安の悪いエリアの店舗では銃で武装した民間の警備員を配備しているところもあるというのですから、全く物騒な話です。
先日も、筆者がマンハッタンの中心部ミッドタウンにある大手ドラッグストアのチェーン店でレジで支払いを済ませていたら、レジを打っていた店員の男性が突然、急いで出口に向かう若い男を見て叫び出したのです。
「おい!またお前か!これで今日は二度目だろう!やめろ!」
フードをかぶった男はちらりとレジの男性店員のほうを一瞥はしましたが、意に介さない様子で回転ドアを押してそのまま出ていきました。店員によれば、男は午前中も来たそうで、その時は棚にずらりと並んだポテトチップスの袋をがっさり胸に抱えて持ち去ったそうです。多分こういう光景がいつの間にか日常的に見られるようになったことに正直、驚きを隠せません。盗みを目の当たりにしながら何もできない店員たちはどんなにかやるせない気持ちだと思います。この男性店員はなす術もなく、ただ首を振ってフラストレーションをあらわにしていました。
Forbsによると、2021年に万引きが米国の小売業に与えた損害額はなんと1000億ドルにせまる勢いだというのですから、被害規模の大きさ、問題の深刻さが分かると思います。今や万引きは、企業の業績にさえ悪影響を及ぼすほどの(そして企業は万引きによる損害額を予算に織り込んでいるというのですから驚きです)、社会現象にもなっているレベルで蔓延していることがお判りいただけるのではないでしょうか。
ではなぜ、万引きがここまで日常的に行われているかというと、それが許容されており、ほとんどおとがめなしで放置されているからなのです。皆さんは万引きが犯罪にならないと聞いて驚かれることでしょう。そうなんです。普通の万引き程度ではもはや罪にならないのです。
サンフランシスコやニューヨークなどの大都市では、Proposition 47(PROP47)という法律があり、万引きは、950ドルを超えなければ軽犯罪として処理されるようになったのです。そもそもなぜこんな法律ができたのかというと、それは刑務所が収容のキャパシティ超えてしまうのを防ぎ、より多くのリソースをより深刻な犯罪に割くためです。コストを節約できた分を犯罪予防やその他のプログラムに投資するためだそうです(一人の囚人を収監するのに年60Kのコストがかかるそうですが、例えばカリフォルニア州は、PROP47の導入で6億ドルもの節約ができたそうです)。つまり、万引きの頻発が素地にあり、あまりに多いのでその罪で刑務所に入れるコストが高くなりすぎたため、それを軽犯罪としかみなさなくなった、事実上おとがめなしになったので、それを受けてさらにみんなが万引きをするようになった、ということなのです。
最近では盗品をネットで気軽に売れるようになったということも万引きの蔓延を促しているといえるでしょう。そして万引きは組織的に行われているケースも多く、それ自体がビジネスになっているという側面もありそうです。
こうした盗みの場面を日常的に目の当たりにしている一般市民への心理的影響は小さくありません。自分はちゃんとお金を払って商品を買っているのに、払わなくてもおとがめなしで放置されている人がいるのを見ると、不公平な気がしますし、複雑な気分になります。中には影響されて、万引きへの心理的なハードルが下がり、同じように万引きに手を染める人も出てくるかもしれない。さらに、企業はこうした損失を補うために、商品の値段にそれを上乗せしてくるはずです。結局、払っている者が、万引きのコストを肩代わりすることになるのです。言い換えるなら、万引きの肩代わりとなることを甘受できる人たちに、コストを払わせている、ということです。そしてここで起こってくるのは、中間層の崩壊です。富裕層はそもそも富裕ですから、少々のコストの肩代わりぐらいどうということはありません。しかし我々のような一般市民はたまったものではありません。これには本当にやるせない気持ちになりますし、頭にもきます。不満も募ってきます。
こういった今の状況から言えることは、社会全体の秩序がついに崩壊しつつある、ということです。何でもありの無秩序な世界。無法状態は、これまでも社会の中のどこかには必ず存在してきましたが、それは限られた地域や規模でしか起こっておらず、一般市民がそれを目の当たりにするのはごく例外的な経験だったはずです。ところが、現在のニューヨークではこの無法状態が大規模に発生しており、それが日常化してきています。これは社会やそのシステムに対する信頼が失われていることの裏返しに他ならないと私は思います。なぜ人々が社会や社会システムへの信頼を失っているかというと、社会や社会システムを信頼して、そのルールを守ったところで、自分にとってのリターンが少ないからでしょう。つまり、自分がフェアに扱われてこなかったり、社会の大きな枠組みやルールを決めたり、それ動かす力を持つ人々、つまり社会経済的に支配的な立場にある人たちが、ルールを守っていなくても咎められたりすることがない姿をずっと見てきたからだと思います。社会が自分をフェアに扱ってくれないとしたら、そして、社会経済的エリートたちがルール違反をしても放置され、より大きな富や権力を掌握するのを見続けたら。。。それでも、自分ばかりルールを守って良き市民であろうと果たして思い続けることができるでしょうか?よほどしっかりとした自尊心と高潔な志を持っている人でない限り、そういう態度を貫くのはきっと難しいでしょう。
言うまでもなく、盗みをすることはもちろん絶対にいけないことでそこに議論の余地はありません。私は盗みをする人たちのことをかばうつもりは毛頭ないものの、一方で「まあこうなるわな」とも思うのです。実は現在のような状況についても、驚いてはいるものの、当然の帰結のようにも思えます。
パンデミックが起こっても、経済的には全く影響を受けることなく、むしろ給与が上がって豊かになった富裕層が沢山います。一方で、多くの商店がパンデミックの影響で閉店し、職を失った人も少なくありません。そこを、激しいインフレが直撃し、一般市民の生活はかなり厳しいものになっていると感じます。一見平和そうに見えますが、街を歩いていると、実はみんなかなりストレスを抱えているという感じがします。とにかく怒っている人が多い。ちょっとしたことで小競り合いや言い合いになっている人たちも良く見ます。そしてそうした光景を見るたびに、「ついに終わりが始まった」と思うのです。
これまでは、自分が社会の中で優位な立場に立つことで、こうした社会の矛盾の中で苦しい立場に立たされることがないように、もっとスキルや知識を身につけて、キャリアを積んで、もっと稼いで、という方向に多くの人の意識が向かっていたと思います。私も少し前まではそうだったと思いますし、今でも社会の大部分の人はそういう「サバイバルモード」で毎日生きていると思います。しかし、年を取ってきたせいか、「本当にこれでいいのかな?」と思い始めたのです。そして、やがて、どうしたら、この矛盾に満ち、不公平なシステムにできるだけ巻き込まれることなく、自由でいることができるのか、を考えるようになりました。そんなことができるかどうかもわからないのですが、とにかくそういうことを考えるようになりました。
このシリーズでは、パンデミック前後に私がニューヨークで見聞きした出来事をベースに、壊れつつある既存の社会システム、そして新しいシステムを構築していくためにどんなことができるかを、読者と一緒に考えていきたいと思っています。