虐待を受ける側はわからない
「虐待としつけは違う」千葉県野田市の栗原心愛ちゃん、東京都目黒区の船戸結愛ちゃんは虐待により亡くなった。最近では札幌市で池田詩梨ちゃんが虐待により衰弱死した事件が起きた。
彼女たちは虐待によって生命を奪われた。絶対に虐待は許してはならない。許してはならない。しかし、虐待としつけには密接な関係があるように思う。しつけがエスカレートしてしまい、虐待に繋がってしまうこともありうる。
父は今思うと、私に虐待をしていたのかもしれない。父は仕事でイライラすることがあったのか、幼い私が父に対し少し気の触るようなことをしてしまうと、叩いたり、暴言を吐かれることは日常茶飯事であった。
その経験から私は父を怒らせまいと普段から人に気を遣いながら生きる術を身につけた。そのため、今でも異様なほど他人に気を遣ってしまう。これが虐待による後遺症なのかもしれないと感じたのは大学2年生で児童福祉の講義内で虐待について学んだ時だ。私がしつけだと思っていたものは虐待だったのだ。しかも大学2年生まで気付かなかった。
幼い頃に自身が受けた暴力、暴言が虐待であると気付くことは難しい。幼い子は自分自身の暮らす家庭しか、家庭のカタチを知らないからだ。そんな無知な状態で「これは虐待だ。ダメなことなんだ」と理解することができるだろうか。
虐待は受けている側にとって、しつけとされている場合がある。虐待をする側もしつけをしていると自分を正当化しているかもしれない。どちらも「しつけ」と勘違いした状態で虐待は起こってしまう。
虐待をなくすためにはすべての人が子どもと親の関係性について勉強する必要がある。
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