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【随筆】2024年の正月 -3- 壁の向こう

”生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。
 それほどに差はないような気がした。”

志賀直哉『城の崎にて』

 生と死が両極だとしたら、私は今どこに立っていることになるのだろう。生きている私は、生の地点からしか死を指さすことはできないはずだ。
 だから、生と死の間には、差がないどころか越えることのできない壁があるはずで、死は見えない壁の向こう側としてしか、あらわせないもののような気さえする。


 正月の一日から寝込んでしまった、暗く憂鬱な前日とは違って、この日は考えが自由に散歩したがっていた。寝室では、初詣で健康を祈願したはずの妻が、具合悪そうに寝ている。壁の向こうに昨日の私をみた。

 壁とは境目だ。此処と向こう、内側と外側、そうした二者の、狭間。
 その壁に向き合う私は、しかしそのどちらかにいる。―――いやそうではない、壁は常に私に対してあり、そうあることで向こう側が、外側があるのだろう。―――いや、あると思っていることそれ自体が、壁の、境目の、存在とイコールなのだろう。

 向こう側から、妻が私を呼んでいる。妻が存在していることがわかる。
 体温計、バニラアイス。
 タニタのそれを妻に渡して、私は外へ出かけた。外には冷たい空気があった。

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