「これが私の本当にやりたいことなのか?」って私以外の誰がわかるの?
気づけば5月ももう中旬。
書く時間がなかなかつくれないまま
どんどん時間は流れていく~。
こちらの記事にも書いたように
家事をやることにしたからです(笑)
やりだすとしばらくは
過度に没頭してしまう傾向がありまして。
あれもこれもと気になり始め。
家中のものを断捨離し、
隅々まで丁寧に磨きながら
スッキリと整えている最中にいます。
とはいえそれは、
今まで見てみぬフリをしてきた部分を
結局今、やり直しているだけにすぎません。
本当は気になっていること
引っかかっているものを
見ないフリしてやり過ごしても、
必ずどこかでやり直しがやってくる。
きっとあなたにも、
そんな経験があるのでは?
だとしたら、
気になった時に
気づいた時に
ササッと動いた方が良い。
できる範囲でいいから
「その時に」
軽くやっておくのが大事だなと、
最近よく思うことです。
これは私が本当にやりたいことだろうか?
これは本当の望みだろうか?
よくわからないから動けません。
「これで合ってる?」と
誰かに確認したくなる時こそ、
やってみる。
やってみてどうだったか。
ここにしか答えがないから。
子供のころからずっと
マルかバツか
正解か不正解かで
評価され続けてきた私たちは
「間違うことは恥ずかしいこと」
そんな感覚を持っている。
その「恥」を感じたくないから
とにかく慎重に
なるべく少ない手数で
「正解」に辿りつこうとしてしまう。
でもそれは
学校でするお勉強の話で、
「自分の人生を生きる」と決めた大人には
あんまり関係ない。
だってそれは
正解も不正解も
丸ごと引き受けていくってことだから。
これは私が本当にやりたいことだろうか?
これは本当の望みだろうか?
本当にやるべきこと
必要なこと
それらに気づくためのことは
必ず、
そう必ず、
何度も目の前にやってくる。
眺めているだけでは
それが「本当」かどうかは
わからないってだけで。
※いや多分薄々気づいているけど
怖いだけ
気づくまで何度も、
カタチを変えて
より大きくなって
より大変な事象でやってくる。
やらざるを得ないギリギリでドカンとやるか?
日々楽しんでちょこちょこやるか?
ここは選べるのに、
ついつい
見ないフリ
気づかないフリをして
ドカンとやる羽目になるんだよなぁ。
※私の場合です(笑)
これは私が本当にやりたいことだろうか?
これは本当の望みだろうか?
特にやりたいことじゃなかったとしても
その時はそれが何になるかなんて
わからなかったとしても、
それはどうせ全部が
「本当にやりたいこと」に
繋がっていく。
私たちはいつだって
その最中で
途中にあるのだとしたら?
何を選ぶかは
さほど重要じゃないのかもよね。
そう、好きにすればいい。
▶繋がりを知り、必ず「愛と感謝」に辿りつくノートは土台づくりにおススメです。
▶︎ノートタイムのお供に「日付シート」も是非
▶「お母さんのせい」が口癖の方は是非