ファンアートを贈るという行為に対する躊躇い。
昨日、人生初の、ファンアートの現物のみを送り返されるという出来事を受けて、記事タイトルのような躊躇いが私の中において生じました。
ファンアートを送り返した橋本ちかげさんは、私をXさんのDMでブロックするにおいて、それについての説明も書いておられたかもしれません。
しかし、私はそのDMを見ておりません。
開かなくとも、内容が垣間見えることがあります。
正直な所、その垣間見た内容を含む、ちかげさんからのDMの全文章を拝読する気には到底なれませんでした。これまでの経緯もあります。
相手に言いたいことだけ言い尽くして、その上で相手からの異論や反論、または反撃などに門戸を閉ざす為に即、ブロックされる方は珍しくありません。
公平性に欠ける態度かと私は思いますが、それがSNSのDM機能の実情の一部であることは確かです。
そしてブロックした側は、相手が自分のDM内の文章を読んだかどうかの判別がつきます。
読まれたなら〝既読〟という文字が出るからです。
ご自分が最後に相手(この場合は私)に送った文章が読まれていない。
その判断もまた可能だったでしょう。
それを確認しなかった、という可能性はかなり低いかと思われます。
もしも当然読まれるものと思い込まれていたのであれば、それもまた、かなりご自身にとって都合の良い解釈と思います。
ちかげさんがこれまでに私に対して行った仕打ちを鑑みれば。
くどいようですが、その詳細はまた後日。
ここからは、ちかげさんがDMの文章に既読がついてないかどうかを確認した、と仮定した上での話となります。
それを念頭に置かれた上でお読みください。
確認して読まれていないと判明する。
それであるならば、例え最後のDMの文章内で、ファンアートを送り返す旨、その理由や事情を述べておられたにせよ、私には伝わっていないこともお解りでしょう。
ちかげさんとは通話も度々しておりましたし、ラインで繋がってもおります。
ですから、DMを読まれない、ファンアートを送り返される事情などが私に伝わっていない。
そうと知った時点で通話やラインでそれらを私に知らせる手立てもございました。
打てる筈の手立てをなさらずに、ファンアートを一言の添え書きもなしに送り返す。
それがご本人の中ではまっとうな振舞いと思われたのでしょうか……。
私は友人たちに、この件について個人的な遣り取りで相談してみました。
表でするには憚りも多いでしょう。
ちかげさんとしては露見されたくないことまでもが詳らかになってしまう。
いずれは私自らの手でそれらを綴ることになるにせよ、今はまだそこまでしたくないと感じたのです。
表で遣り取りするにおいて、友人たちに迷惑がかかることも危惧致しました
以下、その方たちのお言葉です。ちかげさんの事情を考慮して、少しぼかしている箇所もあります。
「このようなことがあるのかと私も驚いております」
「とても素敵なファンアート。こんな形で朋さんのお手元にあると思うと胸が痛みます」
「一度そういうことがあれば(盗作騒動時の話)朋さんがその方を信用できなくなるのは当然では」
「何がしたいのかよく分からない人ですね」
「軽薄で無責任と感じます」
「何がなさりたいか?どう思わせたいか?私にはよくわかりませんなあ…」
「その方が絵を返したのではなく、絵がその方を見限った。そう考えます」
絵師の友人たち含め、こうした反応が返って来ました。
私は人を選り好みするタイプです。これまでの人生経験から、自然と洞察眼もそれなりに備わるようになりました。それでも失敗はありますけどね。
選り好みすると申しましても、自分をチヤホヤおだてる方とだけお近づきになるというのではなく、時に厳しく私を戒めてもくださるであろう、状況をじっと俯瞰出来る大人(実年齢問わず)の方たちに親しみを感じます。
ですから、上のお言葉はそうした方たちによるものです。
そして思考は初めに戻ります。
また、誰かからファンアートが送り返されて来たらどうしよう。
少なくとも絵を描く方であれば、それにかなりの労力を要することはご存じでしょう。
誠心誠意を籠めて送ったファンアートが今回のように自分の手に戻る。
悲しいですし、傷つきます。
それは人として当然の情ではないでしょうか。
これからは、ファンアートを贈る相手のことも、よくよくその為人を見てからにしたほうが良いのかと苦い思いで感じている現状です……。
翻せば、私がこの先ファンアートを贈る方は、私が為人をとても信頼している方ということになります。
※補足。今は向上さんではない向上さんは、もう少し慎重に動かれたほうがよろしいかと存じます。私が申し上げるのもなんですが。
あれから時も流れ、盗作騒動が起きた当時とは諸事情が変わっています。貴方が当時なさっておられたやり方は、今では古風となり、いつまでも通用するとは限らないと私は考えています。