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2025/02/25、講談社の社員さんの対応について、講談社広報室に連絡をさせて頂きました。

 「講談社の方からは私の声により、新たな気づきを得られた。
 こうした声があったこと、諸問題、それらについて真剣に検討したい。」

 

 冒頭の文は、上に置いた2024/11/20公開の私の記事の内容、一部抜粋です。

 非常に真摯に私の言葉に耳を傾けてくださった方で、創作家界隈でも話題・問題となり物議をかもしているAI関連についての会話も、共にしてくださいました。

 私は、こうした方と、AI関連についてもっと語り合いたい。
 そう感じておりました。

 私の記事をご覧くださっておられる方ならご存じかと思いますが、諸事情あり、その願いを実行するにかなりの間が空きました。

 ようやく、数日前に講談社さんにお電話。

 件の方がおられるであろう部署(リンクを貼った記事を書いた当時、延々とたらい回しにされたので、部署の電話番号に確証はなかった)の方に、一連の流れを説明しました。

 私が表現出来るAI問題の一つの考えの参考例として、ノベルアップ+さんで公開した『僕の絵を学ぶ人たちへ』をその方にお読み頂きたいこと。ご多忙な中、失礼なお願いをしているであろうことの謝罪も述べつつ、電話を取られた方に申し上げました。


『僕の絵を学ぶ人たちへ』表紙絵。

 私は絵も文章も嗜む人間です。
 そうした人間がAI関連の諸事をどのように見ているか。考えているか。
 私が絵と文章を作成した、こちらの短編をお読み頂けたら会話も入りやすいと考えたのです。

 そこで勘違いが生じたようです。

 電話で応対してくださった方の態度は冷淡で、飽くまで比喩表現ですが「群がる虫を追い払う」ような邪険と取れるものでした。

 私の印象です。
 人それぞれ主観は持つものであり、その時の私の主観はそのようであったという話です。

 反応はほとんど期待しておりませんでした。
 それは私も承知の上でしたので、そこに筋違いの不満はありません。

 ですが、それにしても脳裏に反芻されるのは、先の電話対応された方の心無い物言い。

 これも主観ですが。
 私は傷つきましたし、憤りも抱いていました。

 私が発達障害者であることはnoteさんでも隠しておりませんし、隠す必要も感じていません。
 発達障害者の特徴の一つ。

 「今現在の自分の感情が自覚・認識されにくく、通常の方よりも遅れてそれらがやって来る」

 私にもこの特徴はあります。
 日が経つにつれ、ようやく受けた傷の痛みを知覚するようになる。この「時間差」は、発達障害者を生き辛くさせる最たるものの一つと捉えています。

 ですので昨日、私が再度、講談社さんの電話対応(数日前)してくださった方には多少の驚きもあったでしょう。

 私はその方に前回、とても低い物腰で語っていました。
 昨日は、それとは打って変わって静かな憤りの籠った声になっていましたから。

 残念なのは、その方の態度が人によって変わるものだと、私には判じられた点です。

 前回、かなり高圧的だった方が、昨日は私の声を聴くなり、怯んでおいでのようでした。
 
 弱者に強く、強者に弱い。
 そのような方であったのかと。
 内心では、そのように失望しながら話していました。相手の方もご不快だったでしょう。

 しかし、私が「御社の社員教育について、先程の上司の方と話したいので、電話を代わってください」と言いますと、とてもお怒りになられました。
 
「そんな必要はない」

 荒々しく電話を切られました。怖がっておられたようにも感じます。

 察するにその方は、怒りの沸点も低い方なのでは、と。

 確かに私の物言いも、穏健ではなかったと思います。
 そこは自覚しています。自分の憤りを心中でなだめすかしながら、冷静、且つ温和に話すことは至難の業です。

 その穏健でないクレーマー(のように思われていたのではないかと推測)に対して、穏健でない、を通り越して子供のように癇癪かんしゃくを起し、電話を切ってしまわれる社員さん。

 驚きました。

 世には女性に言い負かされることや、正しい叱責であっても受け容れられない、プライドが高い男性が多くおられます。
 講談社さんという大手に勤めておいでの方ですから、その方もやはり相応にプライドが高く、上で述べたような男性のお一人だったのだろう。
 失礼ですが、そう推し量った次第です。

 講談社さんに限った話ではなく、どこの組織、企業でもそうした言動は、良識ある社員としての枠をはみ出していると感じます。
 そのように「枠をはみ出して」人を傷つける行為は、昨今でもよくされた憶えがありますが、ここで語ることではありません。

 そこで講談社さん広報室に、上記のような出来事があった旨をお報せしました。

 電話に出られたのは女性の方でした。

 私の話を聴いてくださり、この件は社としても情報共有すると言ってくださいました。

 そもそも、スタート地点での認識・論点のズレもありました。
 電話を荒々しく切ってしまわれた方が、非常識で傍迷惑な売り込み狙いの物書きであった、と私のことを考えられていたとしても、そのような持ち込みは全般的に受け付けていないこと等の説明をきちんとするべきだった。

 そのようにも仰られ、丁寧な謝罪を頂きました。

 些細なことがきっかけで、社全体が悪印象を抱かれることは良くないと考えている。

 慎重さが窺える、そんな発言もしておられました。

 今はどんな大きな組織でも、何がきっかけで大きなダメージを被るか判らない。
 フジテレビさん、文春さんの騒ぎを鑑みて、講談社広報室の方としても気を張っておられるのかもしれません。

 強者不滅の絶対神話が、風の前の塵に等しくなりつつあるご時世です。
 現代は、そうした時代の過渡期なのでしょう。
 あらゆる世界、業界、諸分野においての大きな節目である。
 私はそのように現代社会を俯瞰しています。
 時事をご存じの方なら、多かれ少なかれ、同様に感じておられるのではないでしょうか。

 ここで終われないのが、良くも悪くも私という人間です。

 確かに、広報室の女性社員の方は丁寧そうな対応をしてくださいました。

 「丁寧そうな」と申しましたのは、その方はとても饒舌でやや冗長な話を、お一人で滔々とされる時間が電話の最中にあったからです。
 私がそこに思うところ、感じた点を差し挟む隙を与えてくれないのは、悲しいと感じました。
 広報室さんに電話する端緒となった方も、私の話や説明を、まともに聴いてくださろうとなさいませんでした。
 それでは誤解や勘違いが生じても、無理からぬことではないでしょうか。

 かなり物侘しい気持ちで、広報室さんにまた掛け直すと、別の方が電話に出られました。

 時間的にも、情報共有に至るには無理があります。

 その広報室の方も私の話は、まだご存じでありませんでした。

 同じ話をまた一から十までするには疲れておりましたので、内容はほぼ割愛して、酷い対応を受けこちらに電話したが、広報室の方の対応にも不安を覚えたこと、これらの内容を記事にまとめようと考えていること。
 自分は日頃より思い、感じたことを発信する生き物である、と言いました。

 私の発言に只ならぬものを感じられたかどうかは、解りません。

 「貴方がそうされたいものを、止めるように言う権限は自分にはない。
 だが、その結果が講談社に大きなダメージを与えるのであれば、こちらもそれに対応すると思う。」

 概括として以上のようなことを言われました。
 牽制の意味合いもあったでしょう。
 それは自社を守る立場の人の言動として、間違っているとは考えません。

 私は、自分はそこまで影響力を持つ人間ではないし、記事を書くとしてもあらぬ誹謗中傷は以ての外で、それは私自身の矜持が赦すところではない。
 実名も、もちろん載せない。

 そう、お伝えしました。

 私の感じたこと、考えたことそのままです。

 もし、この記事をご覧になった講談社さんの方が、法的措置を取る必要ある、悪質な表現の羅列である。社に大きなダメージをもたらす。

 そう判断されたなら、私を訴えるなりなさるでしょう。
 それは講談社さんの信条と信念に基づいての行動でしょうから、批判されるものではないと考えます。

 私はおもねる、媚びる、へつらうことの出来ない人間ですし、したくもありません。
 保身も好みません。

 どんな大きな組織の方も、私を断罪したいと思われるなら、されたいようにされるとよろしいのです。

 これは美しい、正しい、と人が感銘を受けるようなやり方であれば、それは私個人や大きな組織さんの範疇に留まらず、ワールドワイドで佳いことであると思っていますから、寧ろ僭越ながら推奨致したく存じます。



※この記事に載せました文章、写真、絵は全て九藤朋の作品です。



 


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