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珈琲タイムと昔話。母と姉と少し父。
画像のコーヒーカップとソーサーは、祖母が生前に使用していた品です。
NARUMI。母がよく口にしていたメーカーの名前で、耳に馴染みがあります。良品ながら購入しやすいと。
フィギュリンはオプションに置きました。冬っぽい感じが出て、目で季節を楽しむことも私は好きです。
ボールを持った少年(青くんと呼んでいます)の出自は定かではありませんが、女の子はロイヤルコペンハーゲンから来た子です。
私と姉は二人姉妹で、六歳、年の開きがありました。
私の目から見ても、母は私のほうを贔屓、優遇する悪癖があったと思います。
姉と母は互いに譲れないきつい気性の持ち主同士でしたので、よく衝突もしていました。姉と祖母もよく喧嘩していました。
姉自身も、自らの苛烈な性格を持て余していたのでしょうね。祖母は特段、きつい気性ではありませんでしたが。
不思議でした。
少し譲れば。抑えれば。
母とも祖母ともあんなに激しい衝突を重ねることはなかったでしょう。
姉はもっと平穏に成長出来たのではないかとも考えました。
「あんたは要領が良いから」
「外ヅラが良いから」
よく、彼女からそのように言われていましたが。
妹より、自分自身の内面を探るには幼な過ぎたのでしょうか。
やがて姉が大学に入って一人暮らしするにあたり、母がお祝いとして上等な銀のカトラリーセットを贈ったことがあります。
そこでまた衝突が起こりました。
姉曰はく「自分の希望を聴いてからこんなことはするべきだ。勝手に贈られても」とか、そんな感じの主張でした。
母としては、言わば折角の親心を姉から否定されたも同然です。当然のことながら気分を害して、激しい口論が始まりました。
姉の気持ちが理解出来なくもありません。私も自分の好みに拘りを持つ人間です。
しかし、それは置いても立派な品でした。門出を祝福する親心は確かに籠められていたでしょう。
その心を汲んで「ありがとう」と、それだけでも言えれば良かったのに。
そう思いました。
目前で繰り広げられる母と姉の諍いを唖然として見ながら。
私には仲介する力もなく、そんな立場でもありませんでした。
家庭内では最も弱い人間でした。
父は家庭内のそうした揉め事に口を出すのは男らしくない、と考えている様子で、彼女たちを止める気もなかったようです。
部屋の片づけが苦手な姉でしたが、一人暮らしをする上で、それなりに整理整頓が可能となった頃の話。
母と私を自分の住まう部屋に招きました。姉の城、ですね。
自慢したかったのでしょう。
場所は九州大学六本松キャンパスの近くだったかと記憶しています。そのキャンパス自体、今は移転しているようです。
私は室内を見渡して、確かに姉の頑張りを見て取りました。
大きくて丸い文字盤の見やすい掛け時計があり、食器類も片付けられて、ポストカードが飾られてもいました。
お洒落に暮らしている、と言っても過言ではない部屋です。
けれど母の言葉は私の感想とは違いました。
「あんたにしては片付いてるけど、もっと綺麗な部屋にする人もいるからね」
冷たい言葉だと感じました。母にはそうした、乾いた言葉を吐くことがよくありました。
恐らくは母に褒められたかった姉の耳には、より無情に響いたのではないかと思います。
母の言葉は正論ではあるかもしれません。
けれど、どうしてそこで姉の努力を認めて「綺麗だね」くらいの言葉をかけてあげられなかったのか。
私は福岡から移転する前、母にそうしたことも言いました。
姉は贈られたカトラリーセットに感謝の言葉を言うべきだったし、母は片付いていた姉の部屋を見て褒めてあげるべきだったと。
私よりも姉に、もっと母としての情を注いだほうが良いとも言いましたが、一笑に付されました。
「もう家庭を持って独立して子供もいるあの子に、そんな必要はないわよ」
言葉が届きません。
論点はそこではない。
幾つになっても親を、母を慕う心は在り続けるのに。
所帯を持った今からでも、母自身がそのことに気づきさえすれば、まだ取り返しはつくと考えていた私の見解は、非常に甘いものと知りました。
祖母の形見であるエメラルドの指輪。
母が若い頃に自分の給料で奮発して買ったルビーの指輪。
それらを私に、と考えていた母に、私は内心で眉をひそめました。
ルビーの指輪は姉のほうが似合うだろう、とそれとなく言うと、母は笑って「あの子はこんなものに興味ないから」と。
そこも違います。
姉は物欲に乏しい。物に愛着する心が薄い。
それは確かです。
けれど、だからと言って彼女の心を慮ることなく、貴重な品々を私に譲渡するという行為は浅はかであり、情に欠けています。
例え返答が解り切っていたとしても、母は姉に確認や念押しをするべきでした。
その必要性を微塵も考えていなかった点等も含め、思い遣りのほとんどが欠落していた家庭の一例でしょう。
祖母が亡くなった小学二年生の時。
私の世界は急激にモノトーンとなりました。
母が「これは貴方がおばあちゃんの形見として貰っておきなさい」と言って渡された華奢な腕時計をぼんやりと見つめました。
後日、それを知った姉が激怒して「何であんたがこんな物を持ってんのよ!」と奪い取った行為の向こう。
姉の心には、母から蔑ろにされたという悲しみや悔しさ、そして私に対する憎らしさがあったであろうと今は確信しています。
姉は祖母の形見の腕時計が欲しくて執着した訳ではない。
遣る瀬無い憤りを私にぶつけただけです。
今も私は祖母の腕時計に未練がありますが、当時から長い時を経た今現在、姉が紛失せずにそれを大切に保管しているという想像と可能性が、上手く頭に思い浮かばないのです。
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