命の大切さ
今、命を向き合う仕事をしています。
看護師になった動機は単純で
「親に迷惑かけずに学校にいくにはどうすればいいか?」
でした。
私の時代、この田舎では大学に行くなんて人は
お金持ちの子か
とっても頭がいい子か
くらい
わたしは勉強だぁ〜いきらいだったので
通知表はあひる🦆が並んでました😆
だから私の頭でも入れる看護学校🏫が地元にあったわけです🤭🤭
そこに入学🏫
なぜか?父はとっても喜び🤩
入学式の後だったか
制服採寸の後だったか
その記憶は曖昧なのだけれども
父が洋食店につれていってくれたことが記憶に残っています。
そんな父が7年前に膵臓がんがみつかりました。
本当の初期😱
こんな小さい状態でみつかるなんてラッキーだねって言ったくらいでした。
手術をし、経過観察していましたが
一年後に手足の筋力が落ちていく、階段ものぼれなくなるくらいの筋力が落ちる病気に。
がんの再発😢
そこから抗がん剤治療がスタート▶️
少しずつ弱っていく父
生きたいと頑張る父
歩行器で歩行練習する父
そんな父が救急車🚑で搬送された日
わたしはターミナルの方の訪問を優先。
父は1人で少し離れた病院へ搬送。
2時間遅れで私は到着。
退院してからも通院は続き
耳の聞こえない父は医師の話が伝わらず
自己解釈する
その度に
「なんでね!先生はこーいったがね!」
ときつい言葉をいっていたわたし。
再発からI年後
この日がくるわけです。
胃と腸を繋いだ場所がつまりもうどうすることもできない状態になり入院。
仕事をしながら母を連れて面会にいく。
飲んでは吐くからダメなのに隠れて水を飲む父💦
どこか仕事があるからと逃げる💨わたし。
もう長くない!今までの勘でそう感じる。
今日から病院🏥に泊まろう!
そう決心し父にも話、準備していた日の夜
急変
大好きな孫の到着🛬も間に合わずに息を引き取る
その瞬間から
「後悔」
と自分が発した言葉に態度
ぐるぐるループ🔁🌀
日に日に生きていることさえ嫌になったわたし。
仕事にはいかないといけない。
命と向き合う
でも、
家に帰ってくると笑えないわたし。
心が追いつかない。
涙が止まらない。
そんなとき
友に助けられたわけなんです。
この友のおかげで自分を取り戻し今があるわけです。
このもう一度いただけたこの命だからこそ
わたしのような想いをする方の支えになりたい
と6月に独立もしたわけです。
また、この続きは明日にでも😊
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