母が天国へ旅立ってしまいました。 4人姉弟の中で 1番怒られたのはわたしだったよね! と生前母に話したことがあります。 「あの時は、苦しくて大変だったものね!」と母 そんな時、言うことを聞かなかったのが わたしだったらしい。 (容量が昔からわるいらしい。笑) 常に一生懸命動いている母の姿しか思い出せない。 仕事をしているときは、化粧をばっちりして! 定年後は真っ黒になりながら畑のことをして! 休みなよぉ〜っていつも声をかけてたなぁ〜 姉が亡くなったときも涙を見た記憶が
訪問が終わり事務所に戻ってきたら 机にメッセージと共に チョコが置いてありました❣️ ある職員さんからで 「仕事の合間にチョコ食べて癒されてください💙」って 今日の疲れが一気に吹っ飛んだ‼️ そして、今からまたやる気満々💯モード 発動🚗 紡ぐでは、 「住み慣れた自宅や地域で暮らし続けたい」 「自分らしく、好きなことを続けたい」 「大好きな家族と一緒にいたい」 今までと変わらない生活を続けるためにご本人様やご家族様の心や身体に寄り添い毎日の暮らしを支えることを
職員から事務所の裏によばれる! ハラハラ!ドキドキ💓 なんだろうか? と思いながら裏へ 💐を持った職員さんから心温まる花束を いただきました! 誕生日でもなく 特別な日でもなく。。。 その理由は 3月に母が 4月に息子が 相次いで病気🤢がわかり 慌ただしくなっていました。。 6月に入り息をするのも苦しくなり 1人になると 「自分がとった行動はこれでよかったのか?」 とぐるぐる🌀 いつもは 仕事では背中を押したり、横で一緒に歩いたり☀︎時には走ったりしながら関わらせ
令和5年7月1日 「今までとかわらない生活を続けるためにご本人さま、ご家族さまの心や身体に寄り添い毎日の生活を支える」 ことを目標に 訪問看護ステーション 心つむぐ 誕生🐣 しました❣️ 「心つむぐ」を開設することにした理由 わたしの中で2つあるんです。 一つ目は、32年前の姉の死 まだまだ若かった私。 まだまだ生きて欲しいと願い 鹿児島に帰ってきたいという姉を関東の病院に 小さかった甥っ子に姪っ子を鹿児島に そして、別れがきて どんなに辛かったことか 悲しかったこと
9月から担当させていただいていた K様が今日、天国へ旅立たれました。。。 初めは、先生から話されるきびしい説明を ご主人は耐えられないと思う、と1人できき そして、1人で決めておられました。 「お正月🎍は来ないでしょう」 「大量出血起こしたらおわり。。。」 などなど といわれていたK様 ある時、私が死んだらこのメモ帳みてね😊 それまでは秘密🤫と そして、 別れた子供様のこと 引きこもりになっていたこと ご主人のこと 支援中にたくさん話をしてくださいました。 時には
超絶ネガティブだったわたし。 「だって、、、」 「いや」 「でも」 まず否定からはいる あと 悪いことしていないのに 「すみません」 と。 いってしまうわたし。 自己肯定感も低い‼️低い‼️ 10年以上も前から 変えたほうがいいよと友人にいわれ続け それでもなかなかだったわたしが 変身するきっかけ。 それが人の脳の🧠構造と思考の癖をある学びでしった。知った時はハッとしたのだけれども。 自分が相手のために発する言葉は 1番最初に聞いているのは自分と。 そんな当たり前
今、命を向き合う仕事をしています。 看護師になった動機は単純で 「親に迷惑かけずに学校にいくにはどうすればいいか?」 でした。 私の時代、この田舎では大学に行くなんて人は お金持ちの子か とっても頭がいい子か くらい わたしは勉強だぁ〜いきらいだったので 通知表はあひる🦆が並んでました😆 だから私の頭でも入れる看護学校🏫が地元にあったわけです🤭🤭 そこに入学🏫 なぜか?父はとっても喜び🤩 入学式の後だったか 制服採寸の後だったか その記憶は曖昧なのだけれども 父が洋
76歳になった母。 45歳でばあちゃん👵になり 55歳で娘を亡くし 71歳でじいちゃんとわかれ 53歳から第二の子育てを70歳までしてくれた母。 私の記憶では、仕事をしている、常に動いてる母。 父が亡くなってから特に年々、小さくなっていく。 身体も心も。。。 それなのについつい電話がかかってきてもゆっくり話しすることなく淡々と会話してしまう。 だめだなぁーっとそのあと後悔する。 ある学びからの繋がりでジェルネイルをしった。 美容なんて程遠い存在であったわたしからすると
毎日、お米たべていますか? 昔からお米大好き💕なわたし。 我が家の毎年の恒例行事の一つ 稲刈り🌾がありました。 田んぼのすみを手刈りして そのあと、機械でかります。 そして、我が家はまだまだ掛け干し‼️ コンバインではないんです。 竿をたて、一つずつかけていきます。 周りの田んぼは年々、コンバインに変わっていく中、我が家だけがぽつんと掛け干しされた稲がさがります。 そして、私の仕事には落ちている稲拾いがあります。 大きいばあちゃん(祖母👵)に 「一粒のお米には七
昨日のこと 全くもってそういうつもりはないのに、相手からかえってきたびっくりする「言葉」。 「え?」という衝撃🫨が💨はしる。。。 相手を思い、会社のルールとして、そして伝わり手にもわかりやすいようにと気をつけながら一つ一つ言葉も選び、原稿も準備しての言葉を発したはずなのに。。。 なんでだ??? 言葉のシャワー🚿を浴びながら頭の中ではぐるぐる🌀🌀 そのシャワーを浴びているときは、悲しさ、辛さ、悔しさ、、等いろんな負の感情🫨が湧き起こり仕事も手につかない状態に。 時間
物心ついた時から、人の目👀が気になり、話した言葉もあとから「これは言わない方がよかったのかな?」「どう思ったかな?」と考えていたり、なんでも完璧にしないと気が済まない! そんなわたしでした。 だから自分が失敗😔するとどこまでも反省と落ち込んでしまう。 「なんて自分はだめなんだろう👎。。。。」 全てを「失敗」と考えていた‼️ と。 そして、尋常ではないほどの心臓🫀バクバク、汗💦だらだらになる! これが自分なんだ!と思っていた。 6年前、会社からある講座に参加するよ
昨日の朝礼で職員1人とのやりとり! ☀︎職員 「◯◯についていいましたけどもどうなっていますか」 ☀︎わたし 「え?それ情報の段階では?」 ☀︎職員 「そんなわけないじゃぁないですか?予定を組んでくださいということですよ!」 ☀︎わたし 「え?わたしには◯◯なんですよね〜ってこの前話されてましたから確定ではないとそのあとの返事待ってましたよ」 ☀︎職員 「そんなことないですよ!確定でスケジュール決めてもらうの待ってました!」 「意見があうことはありませんね!」 ‥‥‥(この
え? まじか💦 最近、 記憶がない 寝落ちしてる 優先順位がコロコロかわる わたし。 土曜日から昨日まで 今、いかないと後悔する! ことがあり それを優先にした 帰宅後 毎度恒例の寝落ち💤 そして、 たった今 娘が起きてきて言った一言目 「おはよう」ではなく 「わたしのブラウスは?」 ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` ) はい! 洗濯機の中です。。。。 zoomの画面からいなくなり セッセとアイロンかけて 衣類乾燥をセット 間に合うのか? 娘は優雅に朝食🥞た
昨日も仲間のおかげで。。。。 ということを書かせていただきました! そこにまだまだ続きがあるんですねー♡ 今日はその続き😊 自分を大きく変えるきっかけになったのは 5年前! 超絶 マイナス思考のわたし 出る言葉は負 自信のなさ 眉間にしわをよせ必死になってる 人を信じない、信じられない 人見知り 友達がいない やばくない😅わたし いまこうやって書いていても 🤢いやぁ〜🤢 びっくり‼️します💦 こんなわたしがいま、笑っていられる もう一つが 2年前に出会った仲間
こころから友と呼べる仲間がいますか? わたしも5年前まではいませんでした。。。 それはなぜか?というと 信用できなかったから 人との関わりをしているわたしが なにいってるの?? と思われるかもしれません 自分にとっても自信がなかったんです。 「自分なんて。。、」とおもっていたし、 自分を信じられない 自分を愛せない 自分がとってもきらい どこまでやっても満足できない だから どんな自分だったかというと 必死に勉強する とにかく自分がやらないといけない 完璧に
24時間ある「時間」 この世に生まれてきたわたしの「人生」 どう使うかはその人次第。 時間は無限にある! わたしなんかどうせ! と どこかでおもっていたひと昔 ひと昔といってもそれがいつなのか? わからないというか覚えてない!! のが本当のところ😱😱 歳を重ねたから? 学んだから? 人に言われたから? 大切な人との別れをしたから? やっぱり 父との別れが1番なのかな。。。 今は 「時間は有限⏰」 「人生一度きり」 と思い行動するように心がけてる それは自分の時間も