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30代無職が「暇と退屈の倫理学」を読む

30代無職の「とも」です。8月から無職になり、noteを再始動しました。
最初の記事は「なぜ仕事を辞めることにしたのか」にしようと思っていたのですが、思いの外読書が捗ったのでまずは読書記録を書いてみることにしました。

今回は、國分 功一郎氏の「暇と退屈の倫理学」について書いてみます。

なぜ「暇と退屈の倫理学」を読むことにしたのか

8月から無職になったわけですが、私はしたいことがあって退職を選んだわけではありません。仕事自体は割と楽しくやっていたのですが、先の見えない忙しさが続いていたことでモチベーションが上がらなくなり、少し仕事から離れるために退職、無職を選択しました。
そうなると休んで何をするのかが課題になります。

まさに、暇と退屈に直面することになるんだろうなあと思っていた時に、家の本棚にあるこの本が目にとまりました。

本の概要

題名の通り、暇と退屈についての哲学書です。哲学書といっても割と読みやすい本だと思います。哲学入門書としてもおすすめです。
・暇と退屈とはなんなのか?
・人類はいつから、そしてなぜ暇と退屈に悩まされるようになったのか?
・暇と退屈の中で人はどのように生きていけば良いのか?
をさまざまな哲学者の論考を参照しながら明らかにしていくものです。
パスカル、マルクス、ハイデガー、ハンナ・アレントなど錚々たる哲学者の議論に触れることができます。

感想

議論の手法が面白かった

まず、この本の議論の進め方が面白いと感じました。
過去の哲学者の論考を引用、丁寧に解釈した上で、著者の主張を付与して議論を深めるというスタイルなのですが、まさに「巨人の肩に立つ」を感じることができました。

私も過去仕事をしている時に、ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんの言葉を引用することもあったのですが、なんとなく言葉が上滑りする感じで、相手に響いたなと感じることがあまりありませんでした。

これは引用元の言葉に対する解釈が足りなかったことが原因だったのかなと思います。
引用元の主張だけでなく、主張の裏にある外部環境、そこに至るロジックを丁寧に説明した上で、自分の主張をする。
そうすることでより引用のパワーを増すことができるのではないかと感じました。

環世界とは

暇と退屈の正体を明らかにし、その中で我々がどう生きていくべきかを示すため、本書の後半でハイデガーの「形而上学の根本諸概念」、ユクスキュルの「生物からみた世界」を用いて、「生物固有の空間、時間の捉え方 = 環世界」について議論を進めていきます。

我々は同じ空間、同じ時間の中で生きていると思っているけれども、本当は生物によって空間や時間の把握の仕方が異なる。実は人間同士でもその人が持つ興味や関心によって異なっている(本書の中では天文学者の天体の捉え方や地質学者の石の捉え方とそれらに興味がない人の捉え方の違いによって説明されます。)こと。
これって同じ人の中でも違ってくるんだなと思っています。

例えば、朝7:50過ぎに聞こえてくる「NHK おかあさんといっしょ」のファンターネの歌。
無職になる前の私にとっては、子供を保育園に送っていく = 仕事に行く ために外に出る時間であることを知らせるものでした。でも退職してからはその歌には家を出る時間という意味は無くなりました。
興味関心によって世界の捉え方が変わるってこういうことだなーと感じています。

そして私はどう生きるのか

で、無職になった暇と退屈の中で私自身はどう生きるのか。
この本の結論にかなり影響されているのですが、まずはいろんなことに興味を持ちたいなと思っています。
今までは、仕事と育児に集中していたので、仕事に関係のない本を読むことも少なかったし、通勤時間はニュースとポッドキャストを聞いて街の音を聞く暇もありませんでした。
これからはとりあえず時間はかなりあるので、本読んだり、散歩したり、いろんな情報に接したりする中で、少しでも興味を持つことがあれば積極的に深堀していきたいなーと思っています。

その上で、自分がどういうことに興味を持ちそうなのか、何ならストレスフリー(は無理でもストレスが少ない状態)で働けそうなのかなどを理解できていけたらいいかなと思っています。

この本を読んで、焦って何かを決めないことの重要性を認識したのでまずはゆっくり、じっくりと考えてみたいと思います。
※暇と退屈は人間に決断を迫るが、決断をすることによって何かの奴隷になる可能性がある らしい

暇と退屈の倫理学は私にとってはかなり面白い本でした。
単行本版がKindle Unlimitedでも読めるみたいなので、ご興味あればぜひ!

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