答えはどこにある?
常に答えは1つだと思っていた。
だから小さな頃から学校の先生の言うことを、学校の先生の言うことだけを正しいと思っていた。
それが、高校に入学して突然モヤモヤしてきた。
なんか先生の言っていることに納得できない。
そう、高校生になってから学校の先生を信用しなくなった。
中学3年生までは盲目的に先生の言うことを聞いていて、すべて先生が正しいと思っていたのに。
中学まで先生の言うことを聞いていればテストで良い点が取れた。
高校へ入って急にテストで点が取れなくなった。それは、先生の言うことを聞かなくなったから。何が正しいのかわからなくなったから。
まぁ高校生位で気づいてよかったのかもしれない。
それは、大人になった今、自分の周りを見渡すと、答えが1つしかないと思ってる人が多い意外と多いからだ。
そんな大人の1人が私だった。
高校生の時、一度、大人を信用することをやめたはずなのに、いつの間にか再び大人を信用し始めた。
大人が言っていることが全て正しいと思ってはならない。
目上の方が言われることが全て正しいとも限らない。
社会人になり、盲目的に上司の言うことを聞いた。
常に上司が答えを持っていると思っていた。
でもそんな奴は結局出世できない。
答えが作れない奴は価値を生み出していない。
30代中盤で、MBAを取得するために大学院に通った。
そこでは経営のいろいろなノウハウを学んだ。
あるFINANCEのクラスにて、自分がはじき出した数値と先生の出した数値が異なっていたため、クラス終了後先生のところに駆け寄りなぜ自分の数字が先生の数字と違うのか質問した。
その時先生が放った一言が今でも忘れられない。
自分が説明できればそれ(その数値)が答えなんだよ。
その時、私は答えというものは1つしかなく、「先生という存在」がすべての答えを持っていると信じていた。
結局1つの正しい答えなんてこの世の中にはない。
自分が作った正解をいかに説明できるか、その能力を持っていることが大切だ。
私は変わった。
まず自分で答えを作ってその答えをいかに説明できるかということに時間を費やすようになった。
私の周りには、いまだにあるはずもない唯一の答えを求めてさまよっている輩がたくさんいる。
きっとこれは教科書に沿って勉強していく大日本教育スタイルの弊害なのかもしれない。
そういう意味では英語の英作文と言う問題はクリエイティブさが求められる。
英作文の問題こそアートだ。
採点する人がどのように採点しているかわからない。ただその文章(回答)の放つ美しさで採点してほしいと切に願う。
例えば、「やっとのこと無事に到着した」と言う文の英訳問題があるとする。
"successfully arrived at ~"とか書くのかもしれない。日本語の言葉通りに訳す教育を受けてきたものたちは。
そこを、"made it to ~"と答案用紙に書く勇気が欲しい。
ただ、受験生は、どうすれば高得点がもらえるかしか考えないから味気ない発想になり、無難に点数を取りに行くようになる。
ちなみに英作文にはたった1つの正解などない。
でも、学校や塾ではそのないはずのたった1つの正解を教え込む。
子どもたちは、試験で良い点を取るために勉強する。
試験に出ないものは勉強しない。
つまり、受験勉強ではクリエイティブさは養われない。
自分で自ら正解を作り出そうとする力を養えない。
何事もこの世にたった1つの答えなんてない。
だから、自分でまず答えを作ることが重要だ。
何か困難に直面したら、まず自分で答えを考える。
そしてその答えを自分でどう説明するかを考える。
自分で答えを作るって楽しい。
そこに自分が作った説明で人を導くことはもっと楽しい。