日常は奇跡〜私が心理士になるまで〜
高校生の頃、友人から「昨日お父さんに背中をバットで殴られてさあ」そう言われて、目玉が飛び出るほど驚いたことがありました。
その事実にも驚いたけれど、それをまるで昨日の夜ごはんを私に教えてくれるかのようなテンションで、ごく普通に語る友人に1番驚いたのです。
この友人以外にも、心も身体も痛い経験をしている子が何人かいて、その子達の話しを聞いてから、私の中でこんな疑問が浮かびました。
「こういう経験をしている人って、日本にどのくらいいるんだろう?🧐」
「こういう経験をした人が助けを求められる場所ってあるのかな?」
そうして調べていくうちに、虐待という言葉の意味や種類があること、そして臨床心理士という仕事があることを知りました。
でも、当時の私は知識が浅く、臨床心理士が子どもとどのように関わっているのかイメージが持てず、学校の先生の方が子どもに密に関わることが出来るのではないかと考え、教員を目指したのです。
苦戦した教員時代
大学を卒業後、晴れて教員になりましたが、びっくりするほど教員に向いていなかったです😂(笑)
なぜかって、全く指導ができない。注意や叱ることをする前に、
「この子はどうしてこういうことをしたんだろう?」
と、その子の行動の背景を考えてしまうのです。それに、私が言う正しさが、この子にとって正しいとは限らない。私の一言で、この子の行動を否定していいのか?と。
今思えば、その子を思っているようでただ自分の指導に自信がなかっただけなのかなとも思えますが、当時の私にはとても難しかった。
自分の仕事に納得感が得られず、苦しい時間でした。
今はスクールカウンセラーとして先生方と協力して仕事をさせていただいていますが、先生方の指導力の高さや仕事量の多さ、集団を引っ張っていく力は本当に尊敬します。
「この仕事でいいのか」考えた結果、やっぱり心理士になりたい。と思い、大学院を受験することにしたのです。
大学院で学びながら仕事をする
法政大学大学院に合格し、沢山のことを学びました。ゼミでは「母子の愛着」について学び、遊戯療法や知能検査、バウムテスト・S-HTP法等の心理療法・心理検査について学びました。
同期は皆意識が高く、良い刺激になりましたし、何より自分がしたいと思う勉強を存分に出来たことが本当に楽しかったです。
同時にこの頃、児童養護施設で仕事をすることにしました。児童養護施設というのは、保護者のいない子どもや虐待を受けた子どもを保護し、自立の援助を行う施設です。
具体的な仕事内容は、わかりやすくいうと専業主婦です。掃除・洗濯・料理・アイロンがけ・PTAの参加・子どもの寝かしつけ等。お弁当作りもしましたし、長期休みは皆で旅行にも行きました。
大学院で授業を受け、実習をし、夜は施設で働き子ども達と関わる。そんな忙しい日々を過ごしていました。
大変だったけれど、この経験は今にとても活かされています。
忘れられない一言①「ここって、こんなに安全なんだ」
大学院に通いながら児童養護施設で働くようになり、楽しかった反面、子どもの心の複雑さや傷つきの深さを知りました。
ある日、いつものように朝ごはんを作り、洗濯物を回し、子どもが起きてくるまで家事を進めていたところ、ちょうど入所したての子どもが起きてきて、ボサボサの寝癖を直しながらこんなことを言いました。
「ここってこんなに安全なんだね。布団もあるしご飯もある。叩かれたりもしないもんね。」と。
私にとってはごく当たり前の、布団で寝ることや、ご飯を準備してもらえること、親から危険なことをされないことは、この子にとっては当たり前ではないんだ。と、この時どう返答したら良いかわからなくなりました。
その日から、寝かしつけの時間も、子どもの髪の毛を乾かす時間も、何気ない会話も、「今日、雨降るから傘🌂を持って行くんだよ。」の声がけも、自分の中でじっくり味わいながら行うようになりました。
忘れられない一言②「なんでいつか死ぬのに今死んじゃだめなの?」
かなり緊迫した場面だったと記憶していますが、夜に大泣きしながら「なんでいつか死ぬのにさあ、今死んじゃだめなの!?どうせ死ぬじゃん人間なんて。」と言われたこともありました。
その子の絶望感や挫折感をびしびしと感じて、「人間なんて」が「私なんてこの世界にいらないじゃん」と言っているようにも感じて、私は焦りを隠しながら言葉を選んでいた記憶があります。
〈確かに人はいつか死ぬ。でも、死に方の問題だよ。私の人生何もいいことなかった、生まれてこなければよかったと思って死ぬのか。色々あったけど楽しかった、と思って死ぬのか。私はあなたに、辛いことも苦しいこともたくさんあったけど、でも私の人生悪くなかった。今日まで生きていてよかった、そう思って最期を迎えてほしいよ。〉と言い、布団にうずくまる子どもの背中を撫でました。
咄嗟に出たこの言葉は、今も思い出し、自分で言ったからにはそういう生き方を目指そうと、背筋を正すことがあります。
この他にも印象深い出来事はたくさんありますが、子ども達が施設職員と笑い、ぶつかり、関わり合いを深めながら成長していく姿は何よりも私の人生に影響を与えてくれました。
日常って、奇跡です。尊いのです。家があることもご飯が食べられることも辛い時に誰かがいてくれることもお金があることも歩けることも笑えることも泣けることも喧嘩が出来ることも何もかも全部。
悩めることも、もしかしたら幸せかもしれません。
私の臨床は、ここでの経験が根っこにあります。
◎どんな境遇であっても、誰かの協力を得ながら自分で人生を選び、作ることができる。
◎自分の内面に変化が起こると、見える世界はいかようにも変わる。
全て、子どもの生きる姿から学びました。
臨床心理士としても一人の人間としても、日々の尊さを忘れずにいたいと思っています。そして、私の今の悩み、なんとかなっていけるかも。頑張れるかも。そう思うきっかけになれたら、その過程を共に歩めたら、と思います。
スクールカウンセラーとして働き始める
宮城県に戻り、区役所での心理判定員やオンラインカウンセリング等を経て、スクールカウンセラーになりました。
初めは地元の小学校に勤め、先生方とお話をしたり、クラスを見て回ったり。徐々に予約も増え、保護者の方にも利用していただいています。
スクールカウンセラーを知らずに卒業していく子どもの方が多く、何をしている先生なのか聞かれることも多いのですが、意外と仕事はあり、1日はあっという間に過ぎていきます。
気をつけているのは、忙しい中でも私が余裕をなくさないこと。忙しなく振舞わないこと。余白を作ること。
忙しなくしていると、それは必ずカウンセリングに影響すると思っているからです。
これからも自分の軸を大切にしながら、少しでも貢献できるようにがんばっていきます。
きっとここに辿り着いてくださった方々は、ご自身の悩みを「なんとかしたい」と思っている方が多いのではないかと思います。
皆さんの中にある怒りや悲しみ、罪悪感などのマイナスと呼ばれるものも、「必要だから出てきている感情」「否定せず、大切に扱う」ことをしていきます。
そして、お話しを聞かせていただきながら、一緒に変化を受け入れていくことが出来るようにお手伝いをさせていただきます。
どうぞ、お気軽にご利用ください。
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