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22歳,節目のとき:ロバート・フリップの御言葉から

9月が終わり,10月に差し掛かった。大学生最後の学期が始まる。
先週まで和歌山ではツクツクボウシが鳴いていたが,今その声は聞こえない。
外に出ると秋の色を感じることも増えてきた。

9月の後半は学会の大会で初のポスター発表や卒論関連の植生調査,トンボ調査があり,忙しくしていた。合間にあった自分の誕生日も特に何することなく,日々が過ぎていった。

そんなバタバタがひと段落したため,改めて齢をひとつ重ねたことを述べておきたい。

今年の「22歳」という年齢は私にとって節目だという意識がある。それは一昨年に経験した,ある出来事ゆえだ。

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2年前の夏,まだギリギリ10代だったころの話。
私はひとり,アメリカのニュージャージへ訪れていた。
目的は,キング・クリムゾンというバンドでギターを担当するロバート・フリップが開くギター・サークル(以下,GC)のイベント「Introduction to the Guitar Circle」(以下,Intro)に参加することだ。

IntroはGCへの導入のために開かれ,これを経験することにより,GCファミリーになることができる。私がそこに参加することになった経緯は,かつて日本で開催されたGCのイベント「レベル1」(今でいうIntro)に父が参加し,そこで出会った人たちが現在私のギターの先生で,その先生のひとりからIntroの話を聞いたためである。(先生は長年GCに参加し,そのインストラクターとしても活躍している)

Introの期間は1週間。泊まり込みでギター三昧。楽器や音楽に対する姿勢や日々の意識的な生活態度を体感する。

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Intro最後の日の前日,Introコースに参加する者全員とロバートとのミーティングがあった。それは各々がロバートから直接聞きたいことを聞ける唯一の機会だった。(ロバートが自ら開発したチューニング「ニュー・スタンダード・チューニング」をどのように発見したのか,どうしたら緊張せずにパフォーマンスできるのか,など)

質問を促され,英語をほとんど話せない私だったが,10代が終わるという一抹の不安から「私は20代を迎えるにあたり,いろいろな人の話を見聞したいのです。あなたが若いころはどういったことを考え,行動していましたか」とタドタドしい英語で尋ねた。

実際に質問を正確に伝えることはできなかった。しかし,それを受けて彼は「これはひとつの意見としてだけれど」という前置きのもと,次のようなことを仰った。

The Guitar Circle in Hope 2015.6メモ:
6/11 17:00 Intros / Robert in the Room Dismal
ロバートの言葉
「---これはひとつの意見としてだけれど,2年はいろんなことを感じなさい。世界に対して。見て,聞いて,たくさん迷いなさい。---そうして,28歳であなたはつかむだろう。そのときに続けていることを,それから先,あなたの人生で続けなさい」

彼は質問のニュアンスを汲み取り,できるだけ簡単な英語を選んで,ジェスチャーを交えて,私へ確かな言葉を与えてくれた。その言動や姿勢は幼少期から憧れた英国紳士のそれであった。明確な数字を持つ言葉を受け,その厳格さを伴ったやさしさに私はとても感動してしまった。

(その1年後のアルゼンチンにおいて,歴史上,ロバートによるGCが最後となる時,彼が残した言葉は“Keep Going.”だった)

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北村昌士著の『キング・クリムゾン -至高の音宇宙を求めて-』(1981)には次のことが記載されている。

「私は十八歳の時,その後十二年間の計画をたてた。その目的のひとつは三十歳で引退することだった。私はその計画通り引退した」
ずっと後になってフリップはこんなことを言っている。ある一定のレヴェルまでの自己訓練期を終え,実践期が到来したことを彼自身自覚したのが十八歳の時だった。

この証言通りに18歳で以後12ヶ年の計画を考えていたのかはわからないが,ロバートが幼い頃から理念を持ち,計画を練り,実践を意識していたことは確かだろう。

数字に対して意識的な彼からの言葉は感慨あるものだと思う。

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初めて参加したGCから2年。22歳が今。
思考することを知った10代から2年が経ってしまった。

焦らぬようにと人は言ってくれる。だが,恩師からの御言葉を無に還したくはない。ここから先は,次の明確な節目を思い,計画し,実践を試みることだ。

(記:2017年10月2日 A・K)


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