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作家として、自分の思いを、届けたい人に届ける。

インスタを見ていると、本当にいろんな環境でいろんな作品を作る作家さんに出会う。海外の国際アートフェアで大作を発表する人や、小さな貸しギャラリーで発表を続ける人など。皆それぞれ、自分の身丈にあった活動をしている。

デジタルアート始めてから10年くらいは、自分がどのような場所で活動するのがいいかわからず、誘われるままいろいろな展覧会にでた。企画ギャラリーに取り扱われることや、海外の大舞台へ行くことがいいことだと思っていた。しかしデジタルアートという異色な作品を作り、美術史の流れにも無関心だったのに、そんなところへ行けるわけなかったな。

4畳半という小さなアトリエで、大作を制作するのは無理だし、海外へ何度も作品を送って発表できるほど資金もなかった。本当に海外での発表を望む人は、お金がなくてもやってしまうのだろうけど。

今はそのような野心はない。

そんなところまで行って活躍したところで続くわけないと思うし、名声とか成功とかいうものよりもっと大切なものがあることに気づいたからかもしれない。それはまたの機会に書くことにする。

等身大の自分がわかっていなかった。何を大事にして、誰にどんなことを伝えようとしているのか。それを考えると、わざわざ海外まで飛んで行かなくても、他にやり方があるだろうなと思って。

活動の原動力になっていたのは、私の生まれた場所、育った環境の影響だった。応援してくれていた父と母は、どれだけ自己表現というものを欲していたのかと思う。その夢を私に託したのだ。
そうやって進んできて美術業界の現実を見て、なんか違うなと思って、ここ2〜3年は修正期間だった。

美術手帖に乗っているような世界が全てではない。あれはお金持ちが対象のマーケットだから、私たち平民はほとんど縁がない。そんなところへ参入したとしても長く続かないだろう、だから近年はちょっと気力消失気味だった。

自分を過大評価していたかもしれない。自分は才能があって特別で...なんて自分でも気づかないくらい尊大に思ってきた。才能はないとは思わないけど、才能ある人は上には上がいる。では何を大切にすべきなのかというと、やっぱり私の思いだ。

作家は職業にするには型を決めて量産しなくてはならないという掟はあるけど、そういう職人的な仕事は私に合わない。ステレオコースの、企画ギャラリー取り扱い→国際舞台というコースは降りて、自分の思いを届けたい人に届けるというオウンビジネスモデルを作っていこうと思う。

そしてそのビジネスを心から誇りに思えるような作家になろう。

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