人間関係にはいつも、YESとNOが混在している。
家にいてずっと制作活動をしていると、誰かの意見をもらいたくなるので、時々、夫にそれをお願いする。
夫はクリエイティブ業界の人だが、アートにはそれほど詳しくはない。的外れな意見が返ってくると私は怒ってしまう。もっと分かってよ、という気になってしまうから。
そうなると夫も傷つくらしく「もう俺に意見を求めるなよ」と臍を曲げ、しばらく絵の話(or創作の愚痴)は聞いてもらえない。
私はしばらく喉元から胸の辺りまで糞詰まりみたいに苦しくなって、夫の事情、言い分を理解しようと努めた後、また前みたいに、自分の作品を持っていく。それからは、「この絵どう?」「いいんじゃない?」みたいな軽やかなラリーで済ませるようになった。
ちょっと不完全燃焼でも、80%の満足が得られればいい。あとの20%は、自分の努力で障壁を乗り越える肥やしにする。そんな感じで私たちはやってきた。
もしかしたら、その20%も相手のために使う時が来るかもしれないし、やっぱりこのまんまで行くかもしれないけど、今お互いに自らの人生をデベロップしている最中なのでこれでよしとしている。
しかしながら、本当の私は人のことで色いろ気に病むタイプだ。
小さな心配ごとにも付き合ってくれると安心する。共依存になると苦しくなるので、程々で線引きしているが、自分の気質はなかなか変えられない。人のことで乱れる自分を好きでなくても、そうなんだからしょうがない。
人間って完璧ではないよなあ。なんだも完璧にしようとすると精神を病むよなあ。もういい加減、それを理解しなくてはならない。
パズルのピースみたいに完全合致する人間関係なんてない。皆それぞれコンディションがあり、表でYESと言っていても裏ではNOを呟いていることもある(その逆もある)。明快なYESとNOでスパスパ捌いていける人、また、いつでもYESなんていう人もいない。では何で人と人が繋がっているかと言うと、「思いやり」だ。少なくとも、私の場合はそうだ。相手が困っている時は気遣い、頑張っている時は励まし、こちらの気持ちも受けとってもらう。思いやりのラリーができる人とは長く関係を築いていける。
完全合致する関係だったら、成長していけないのではないか。どこかで羽角行かず、はみ出すから、別のだれかと繋がって世界を広げていける。助けあって成長していける。そういうことを肯定できる社会になっていければいいなあと思う。
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