2020年6月中旬 卵巣への放射線治療の提案、4回目のランマーク
1.リュープリンが使えない?
先日のCTとMRIの結果、乳がん、左頚部リンパ節転移、脊椎の骨転移はかなり小さくなっていました。
腫瘍マーカーも正常値でした。
ただしマーカーはあくまで指標なので、腫瘍はあっても正常値になることも。ただ、はじめに高値だった人が治療をして下がっているかどうかの確認に使うそうです。
リュープリン(ホルモン注射)の期間について再確認しようとしたところ…
『リュープリンが使えないかもしれない。』
という衝撃の発言があったのち、代替案として医者が提案したのが
放射線治療でした。
(当時コロナ渦の初期の影響でリュープリンが欠品していました。)
卵巣へ放射線照射を行い、永久閉経させる。
放射回数は10回。
そして同時にホルモン療法として、タモキシフェンを効果が続く限り内服しましょう、と。
タモキシフェンの副作用に子宮内膜がんの発生があるのですが、これに関して質問すると子宮内膜がんを発生することはまれなので、乳がん治療効果を優先したほうがいいと言われました。
説明に納得し、タモキシフェンは受診の翌日から内服することに。
2.永久閉経
永久閉経と言われた時はとてもショックでした。
命より、大切なものはないって
よく言いますよね。
確かにそうかもしれない。
私も第三者だったらそう言うかもしれない。
でも当事者になると、永久閉経はとても躊躇いました。
せめて自分が40代だったらまた違うかもしれません。
当時の私は31歳でした。
第2子はもう諦めてはいたんです。
でもやっぱり心のどこかで
かすかな希望を持っていて。
永久閉経したらかすかな希望も絶たれてしまうと
葛藤がありました。
先生は抗がん剤治療に比べたらホルモン療法は副作用も少ないから大丈夫だよ、と言いました。
先生は男性だからわからないかもしれない。
私の場合は抗がん剤治療よりも辛いかもしれない。
だから受診日までホルモン療法を受けることも躊躇いがありました。
そこに突如舞い降りた放射線治療という選択。
タモキシフェンの内服だけでは生理を完全に止めるには効果が弱いので、放射線治療をするなら早い方がいいと。
ただ抗がん剤治療を行って卵巣機能は低下している状態なので、1ヶ月後くらいに受診して放射線治療を行うか決めてもいいと言われました。
私は抗がん剤治療中に生理が1度来ました。生理があったのが4月で5・6月は生理なし。
30代くらいの年代だと抗がん剤治療終了から半年以内に生理再開することも多いと。
とりあえず少し考える時間が欲しかったので、その場では放射線治療を行う選択肢は選ばず、タモキシフェンの内服のみを選びました。
そして、医者に
「娘が成人(約20年)するまで生きたいです」
と、伝えました。
医者は
「ステージ4でもホルモン療法が効いて、5~10年元気に生きられる人もいる。ただ、徐々に弱ってくる人が多い」と。
治療をしなければ余命半年~1年と言われた
命ですから、5~10年生きられればラッキーと
思いつつも、内心は様々な思いが葛藤していました。
3.看護師との話
医者の話を聞いている時は、頭でわかっていても心がついていかなくて涙が出ました。
診察が終わって少し落ち着いてから、処置室へ行ってランマークを打ってもらおうとしたところ…
カルテを見た看護師から
「ホルモン療法に不安があるみたいですが、大丈夫ですか?」と言われ、張り詰めていたものが途切れてまた涙しました。でも看護師さんに経緯を改めて話すことで自分の中で葛藤していたものを整理することができました。
整理されていく中で
放射線治療を受けよう
と意思が固まってきました。
そうなると困るのが、日程調整。
放射線治療は原則連続して行わないといけないため、仕事や娘の預け先を調整しなければいけません。
当時勤めていた病院の院内保育は
私が勤務している時間しか
娘を預かってくれませんでした。
そんなことも看護師さんに話していたら
「放射線療法看護認定看護師さんと話してみますか?」と提案してくださいました。
認定看護師さんと話せるならぜひ!とお願いして、ランマーク投与後に認定看護師さんと話す時間を作っていただきました。
実際に放射線治療室を見せてもらって技師さんと話したり、放射線治療のスケジュールを話してもらったりと、放射線治療に対するイメージができてとてもありがたかったです。
そんなこんなで乳腺外科へ戻って、先生と話して
「放射線治療をやることにしました」
と宣言しました。
放射線治療科の予約を7月中旬に入れて、照射は8月からの予定を組むことに。
選択は簡単ではありませんでした。
でも今思い返してみるとベストな選択だったと
思います。
読んでいただきありがとうございます! シェア、スキ、コメント等していただけると 何よりの励みになります★