まちあわせ
''努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだにぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じ合うことだ。''
星の王子さまの作者で知られる、サン=テグジュペリの著作、”人間の土地”その序文の一説である。
わたしが自分の人生を編む上で、このことは大切にしているし、どうせなら美しく生きたいと願う軸になっている。
美しさに執着、というか、そこに目を凝らし続ける人が好きだ。
古墳で待ち合わせした彼女もそのひとりで、
はじまりはチリトリ自由食堂のカウンターレジ越しに、立ち話をしただけだが、やけに心に残り続けた存在で彼女の聡明さとの対話で引き出される自分が面白かった。
彼女が活動する、淡路島に会いに行ったり
奈良で会ったり、トミーさんにとって台所とはなんですか?と聞かれたりした。
そして、関西に出る機会があったので、彼女に会えるか聞いてみた。
とりあえず明日香村に行くことと、古墳には行く予定だったので、予定を伝えると、古墳に一緒に行ってくれることになった。
『ちょうど古墳見たいと思ってたんですよねぇー」と彼女。
『そんなことあるん?』と愉快な気持ちになりながら、古墳で待ち合わせすることになった。
(実際には橿原神宮で待ち合わせに。関西から戻って、壱岐でウルフルケイスケさんにお会いする機会があり、なぜか古墳の話になり、古墳で待ち合わせのくだりの話をしたら、ケイスケさんも古墳がお好きだそうで、古墳で待ち合わせで一曲できそうだね!と笑顔で返してくださったのも愉快だった)
キトラ古墳と石舞台古墳をめぐる。
意外と訪れている人が多い。家族連れや、カップルたち。
古墳て、デートスポットになりうるんですね!と嬉しそうな彼女。
古墳の素朴でどこか品のある、風景に彼岸花の真赤を横目に見ながら歩く。
どうやら彼女は、『人智を超えた何か』に触れる機会が好きなようだ。
わたしも。
理解しがたいもの、不思議なものについて考えることが好きだ。
日頃から言葉を意識している人からしかこぼれ出さない言葉や会話を聞くのは本当に愉しい。
石舞台古墳古墳について、中に入った。
なかは、影っている、
石の間に、差し込む太陽の光がつくり出すかたちを見て、
『これだ!』と彼女は言った。
『これです、トミーさん』
その時、その時間、瞬間にしか現れていないであろう光。
彼女は何かを掴んだらしい。
彼女にしか掴めない何かを。
そのひとなりの美しいは、奇妙でかわいい。
そしてその掴もうとする姿勢や態度自体が美しいのだ。
私たちは生きて何かを掴むのかも知れないしそうでないのかもしれない。
私は、短歌を今後の表現のひとつとして必要としていて、自分に引き寄せたいので、万葉感、万葉の風でも浴びに行くか~みたいな動機で明日香村を、古墳を訪れてみたのです。
自分の人生を、自分の居場所を自分自身でつくる、つくらなければという切実さにせまられて、
手探りで試みていく。
私自身もその一人であるし、そのような人たちが大好きだ。
ただ自分を完成させたいと切実に願う、ただ一つのともしびに過ぎないとしても、だからこそ。
生きることがとてつもなく輝いているとおもう。
''あのともしびの一つ一つは、見わたすかぎり一面の闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では、読者したり、思索したり、打明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。それぞれの糧を求めて、それらのともしびは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っていた''
わたしたちは、互いにちょっぴりいくじがなく、
あとすこし、もう一歩の、勇気で
自分の完成により近づくというタイミングでまちあわせをした。