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光の方に伸びた後と重力

夏にカメラを手に入れて、写真を撮る前に、自分が何に向かってシャッターを切るか、知っていきたい。と言う思いもあった。

写真を撮りはじめて気がつくと

植物のつるや、セイタカアワダチソウが倒れた後に、グンと鋭角に立ち上がっている様や、
ねごと倒れた植物が踏ん張って生きている様をとっていることが多いことに気がついた

何をとっているのかというと、太陽に向かって、光の方に向かって伸びた後と、その重力。

壱岐島での何気ない日々、

普遍的に

海岸線と空

視界の9割があおい
柵のない草の広がる様子や、
牧歌的なロケーション

発展や課題解決。その結果整理整頓されて、整備されていく風景のこと。


何もないといわれる風景がいつまでもありますように。



東京から移住して、たったの6年程だけれど、発展や新しい風景に尽力してきた、暮らし、仕事をしながらその結果失われていくであろうことには目線を向けることができていなかったと、ふと思うことがある。


わたしが残したいものは、誰かにとっては不要なものであったり、誰かが必要で、新しく起こしたいと思うものは、自分にとっては不要であったりする。
その手触りや体感が、自分を深く磨いてくれたように思う。
良きことはカタツムリの速度で進む。そのとうりだ。



ものごとが成熟に至るまでは、一定の時間が必要で、本質的に長きにわたって紡がれて行くことは、ゆっくりと着実に進んでいく覚悟や徒労に終わっても良いという気概が必要なのかもしれない。
何年ここにいるだろうと想像も覚悟もなく、今だけを燃やしていきた。
思いっきり、遊ばせてもらった気がする。夢中になって。夢中になれたんだなと。
触れるもの全てキラキラと降り積って、自分の中に軽やかな時間の堆積に。
軽やかに自分の重さになっている。


壱岐島の美しいところは、空の広さと水平線が交わるところが暮らしの中で日常的にみられることだ。星をのめるかと思うほど、月の輪郭をなぞれるほど夜空も美しい。
美味しい食べ物があるし、人もやさしい。
美しい夢を持つ人たちに出会えた。静かにしなやかに、命を燃やす人たちに。
何もないと言われるからこそ、自分が目を凝らし、みたいものに集中できたのかもしれない。


青い海と青い空の広がる暮らしの中に。自分の中に何があるのか見つめるのに最的な島。

離れるわけではないけれど、ふと、写真を見返して思ったので。


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