日常は奇跡なのだ。
2020年に、チリトリ自由食堂の2階で写真展を開いてくれた。日常フォトグラファー、ゆうちゃん。
みなとやゲストハウスの常連さん。で出会った彼女。
海は、壱岐島の海、
こたつは、、
チリトリの母体である、『みなとやゲストハウス』の小上がりのこたつ。笑
みなとやゲストハウス、チリトリ自由食堂、そして芦辺浦、その日常を切り取った写真展。
由布ちゃんの写真を眺めていると、日常はなんて愛おしい瞬間に溢れているんだろうと思う。
たくさんの愛の中に暮らしている自分を発見する。
ある日、朝日に向かってシャッターを切るゆうちゃんを、見ていて気がついたことは、同じ風景でも、何をみようとするかでまるっきり世界は違って見えるということ。
そしてゆうちゃんは、自分にしか見えない瞬間に目を凝らしているんだ。ということ。
美しいものを見ようとする心を、愛おしい瞬間を切り取りたいというゆうちゃんの写真は、
美しい。
またある日、ゆうちゃんと陽が落ちた芦辺浦漁港を歩いていて、ゆうちゃんが、「わー綺麗。」と言ったので、何が?と聞き返して見た。
海の光の色が綺麗で。と、
陽が落ちきった空にはもう星が光っていて、海の色は鈍色。
わたしには全く綺麗には見えなかった。
なので、いつもどんな視点でシャッターを切っているの?と聞いてみた。
帰ってきた答えは、『光と、影、そのレイアウト。』
被写体の立像ではなく、そこに在る陰影を切り取り、めを凝らしているからこそ、発見できる美しさ。
似たような、どこかでみたような風景に感じていたとしても、同じ瞬間、光と影のバランス
なんかないんだなぁ。
時間は留まらず流れているから。
日常は奇跡に溢れているという事。
2度と同じ瞬間など、ない。と、いうこと。
無意識に自分の瞳に写している世界は、2度と戻らない刹那。
同じ瞬間などないという、その普遍に目を凝らし、シャッターを押し、
世界を切り取っている。
私には見えていなかった、その真実にこころがちいさくふるえた。
今という刹那の中に全てが在る。
だからこそ日常は、日々は愛おしいものに溢れている。
知っていたけど知らないふりをしていたような、そのことに気がついて、なんだか泣きたくなってしまった。
神様がいたらきっと。
そんなふうにみんな知っていて、みんなをわたしたちを愛しそうに眺めているんだろう。
photo by yu nakamura.
@yu_atari
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