【ネタバレ】「ジュラシックワールド/炎の王国」の上映が終わって泣いたアラサーがここにいるんですよ。
「ジュラシックパーク」は私が映画館で初めてみたアニメじゃない映画だ。
アニメ映画は地元の映画館でやっていて小学校高学年までずっと観に行っていたけれど、父に連れられちょっと遠くの映画館に「ジュラシックパーク」を観に行ったとき、私は小学校2年生だった。そう、1作目は1993年公開。
作り物だって分かっているけれども、恐竜というものにそこまで興味のなかった8歳の女の子は、恐竜に魅了された!あまりにもティラノサウルスだと、トリケラトプスとか騒いだからだろう。夏休みに父は上野の国立科学博物館に私を連れていってくれた。目の前で、実物の大きさの恐竜の骨を見て、「ジュラシックパーク」の登場人物(パークを作ったハモンドの孫のアレクシスというお姉ちゃんはちょうど私と同じくらいの年齢だった)と同じ気持ちになった。こんな大きい生き物が動いて、走ってたのかと驚いた。父は私に恐竜の柄が書かれた大きな折り紙を買ってくれて、私はその折り紙の中に入っていたティラノザウルスの折り方をがんばってみたもののできずに、結局母や祖母がなんとかがんばって折ってくれた。
図書館で恐竜が絶滅するまでの本を読んだり、図鑑を借りてきたりして考古学という学問に興味を持つようになり、その後「アステカ帝国の謎」とか「ナスカの地上絵はどう描かれたのか」「エジプトのピラミッドはどう作られたのか」などの歴史ミステリー系の小説を読むようになった。小学校高学年のときにテレビでみたインディジョーンズシリーズのおかげで、ヤングインディジョーンズシリーズという小説にまで手を出して、冒険大好き!な子供になったのだった。私の小学校時代の方向性を定めた作品といってもいい。
「ジュラシックパーク」のすばらしいところは、琥珀の中に一緒に閉じ込められていた蚊が吸った恐竜の血からDNAを取り、いろいろな工程を経て、恐竜を再生させたというストーリー。これに尽きる。ここにロマンがある。そして、映像技術そしてアニマトロニクスを駆使して、まさに言葉の通り、恐竜を再生させたスピルバーグの熱意だ。何度も「ジュラシックパーク」を見返しているけれど、何度観ても飽きない。ジープからブラキオサウルスが木の葉っぱを食べているのを観る、あのシーンは何度見ても胸が熱くなる。考古学者がどんなに夢見た光景だろう。またトリケラトプスを看取るシーンも、考古学者である2人に生命の誕生と死を短い間に感じさせることで、この恐竜再生がどれだけ愚かで、人間本位のプロジェクトかよくわかる。個人的には続編である2と3は観たけど、「ジュラシックワールド」シリーズほどの魅力はあると思えない。
ストーリーとしては今回の「ジュラシックワールド/炎の王国」は、「ジュラシックパーク」から「ロスト・ワールド/ジュラシックパーク2」に至るまでの流れに似ている。結局恐竜っていうのは島に生息させるしかなく、島で恐竜が暴れだしたらその島を置き去りにするしかないわけだ。そこに人間のわがままというか、傲慢さを感じずにはいられない。あんたら何度繰り返すのこの恐竜問題!と思ってしまう。「ロスト・ワールド/ジュラシックパーク2」では、島で恐竜は自然消滅したと思われていたが実は繁殖している。そして人は恐竜に魅了され捕獲する。そして恐竜はサンディエゴの町で大暴れするのだ。この流れは二作目まで同じだ。(恐竜が町に放たれる理由は違うけど)ちなみに、次の「ジュラシックワールド」(3作目)ではアメリカ本土。たぶんエンドロール後にプテラノドンがいたラスベガスからストーリーはスタートするだろう。
「ジュラシックワールド/炎の王国」では、ついに謎のクローン少女が登場することで、彼女が恐竜たちの代弁者のように、最後恐竜を解き放つ。これは今までにはなかった展開で驚いた。クレアが葛藤しながらも、科学者として倫理を考えた上で押さなかったボタンをあっけなく押す少女!びっくりしたけど、でも命ってそれぐらい生み出した責任は重いし、生まれたからには自由に生きる権利があるよなぁとしみじみした。クローン少女もあの屋敷の中に閉じ込められて、自分の思うように生きているわけではなかった。彼女は人間の形をした、恐竜の化身みたいなものなんだろうなと思った。
ジュラシックパークが好きだった8歳の私は今33歳になっているけれど、このジュラシックシリーズが33歳になっても続いていて、多くの人の心を掴んでいることが嬉しかった。私の席の隣に、幼稚園くらいの女の子と男の子がお母さんと見に来ていたんだけど、この子たちが33歳になったときにもジュラシックシリーズは続いていてほしいなと思ったら、自然と泣けて来てしまったw
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