なりたい
〈あ、もう無理かも…〉
〈頑張れないかも…〉
〈何もかも捨てて消えてしまおうかな〉
と思う瞬間が、
歳を重ねるたびに増えてきた気がする。
実際のところ、もう何年もストレスによる過食に悩み、最近にいたっては、夜になると蕁麻疹や咳が出るようになった。
どうせなら、色とりどりの金平糖とか出てくれればいいのに…そしたら温かい紅茶に入れて夜に1人でティーパーティーを開催するのに…
なんてメルヘンなことを考えて、現実から目を逸らすなどしている。
そんな毎日ギリギリの私には、
決めていることがある。
絶対に、「死にたい」だけは言わない。
どれだけ強く思ったとしても…
大学生の頃、友達から送られてくる「もう死にたいね」のメッセージに対して、「分かる死にたいよね」と返していた。
それはまるで、「おはよう」に対する「おはよう」くらいに、「ありがとう」に対する「どういたしまして」くらいに軽く、当たり前の同意で、本気で死にたいなんて、きっと思っていないとどこかで安心していた。
その友達は、私にミモザが似合うと言ってくれた。「◯◯ちゃんは、ミモザって感じがする!今度写真撮らせてよ!」
私は、未来が当たり前にあると思っていたので、「痩せたらぜひお願いしたい!春とか!」と言ってそのお誘いを先延ばしにした。
ある時その友達が、裏垢で自殺を仄めかした。
すぐにラインで今いる場所を聞き、少し会えないかと送ると、一言だけ〈〇〇ちゃんごめんね〉と返ってきた。
その子のお家に行き、警察を呼び、
やれることが何にも無くなった私は、
ひとまず家に帰った。
家に帰って、朝になってから、その子の母親から亡くなったと連絡をもらった。
〈ごめんね〉がその子からの最後のメッセージになった。
私はその子に、
〈生きてたらきっと良いことあるよ!〉
〈まだ死んじゃダメだよ!〉
〈絶対いつか幸せになろうよ!〉と、ありきたりな綺麗事しか送れなかった。
生きてたらいつかきっと良いことはあるだろう…
でも、〈今〉が死ぬほど辛い人に、
そんなこと言って何になるのだろうか…
「死にたい」に同意していたのに〈死んじゃダメ〉なんてなぜ言えるのだろうか…
絶対なんてあるのだろうか…
いつかって、いつになるんだろうか…
幸せってなんだろうか…
もっと何か言えたんじゃないか…
もっと何か言うべきことがあったんじゃないか…
〈ごめんね〉なんて言わせてごめんと思った。
最後のトーク画面を何度スクロールしても、
時間はやっぱり戻らなかった。
返信も来なかった。
それから私は絶対に「死にたい」だけは言わなくなった。多分、その言葉を使うのが、怖いのだと思う。
戻らない時間を嘆いても意味がないことは分かっている。
言葉で誰かを救えるほど現実は甘くないことも分かっている。
それでも私は、言葉を上手に、正しく、温かく、届けられる人になりたい。
とってもおこがましいのだけれど、
どこかで誰かが明日も頑張ろうって思えるような、そんな存在になりたい。