誰がAIDMAと言ったのか ③E. St. E. Lewisを検証する
③E. St. E. Lewisを検証する
■E. St. E. Lewisの経歴
Elias St. Elmo Lewisは1872年生まれ。後に、全米広告経営者協会の初代会長となり、「広告の殿堂(Advertising Hall of Fame)にも選ばれるのだが、経歴は実に多彩である。
1893年、ペンシルベニア大学の「University Courier」の編集長を勤め、その後、芸術関係の出版物の編集者を担当する。
1896年には、広告代理店を創業(E. St. Elmo Lewis, Inc.)し、「Ask Lewis about it」は、ことわざのような名声を得た。
1901年には、「Peirce School of Advertising」の運営に携わる一方、自らの広告代理店の役職は辞任し、さらに保有株式も売却する(会社は1906年解散)。
1902年からは「National Cash Register Company」で働くも、1903年には「The Book-Keeper」誌のアシスタント・ゼネラル・マネージャー兼編集長にも就任している(同誌の過去の冊子には、Lewisの会社の広告が数多く掲載されている)。
1905年からは、計算機製造会社である「Burroughs Adding Machine Company」の広告マネージャーとして働く。この間の1910年、全米広告経営者協会(National Association of Advertising Managers)の初代会長に選ばれている。
S. R. Hallは同社が発行した「A Better Day’s Work at a Less Cost of Time, Work, and Worry to the Man at the Desk」を見て、その広告表現に影響されたと思われる。「計算機を買ってください」という単純な広告ではなく、「計算機によって、あなたの生活がどのように変わるのか」というメッセージを冊子にすることを評価したのではないか。ちなみにこの冊子は、電子化されており、Amazonで買うことができる(990円)。
▽”A Better Day’s Work”書影
同社では1926年まで働き、その後、デトロイトの「National Services, Inc.」で、消費者と貿易取引のカウンセラーとなる。1931年時点には、フィラデルフィアにある出版社の副社長兼編集ディレクターという肩書きになっているが、1932年には同地に新しく設立された「Advisory Management Corporation」のマーケティング部門チーフスタッフとなる。これ以降は不明だが、1948年3月に亡くなっている。
ここまでがWikipediaからわかるLewisの経歴である。自ら設立した会社を売却し、現場に生きているところは、どこかHallに通じるところがある。
また、これらの経歴からは浮かび上がってこないが、アメリカの心理学の祖といわれるWilliam Jamesに心酔していることが感じられ、著書にも数多くその言を引用している。Hall同様、広告の分野を、科学的に研究する必要があると、その範としてのW. Jamesだったようだ。
■LewisはいつAIDAと言ったのか
LewisがAIDAと言った記録として、今残っているものはない。英語版Wikipediaには、次のように書かれている。
その箇所は、”The Psychology of Selling and Advertising”の冒頭9頁にある。
同書のCHAPTER XXII THEORIES OF SELLING(販売の理論)にも、Lewisの名は登場する。同章では、Lewis以来のあらゆるAIDA関係者が取り上げられている。
この2箇所が、「LewisがAIDAと言った」という説の根拠である。
P9の方に、「フィラデルフィアで行っていた広告講座(a course he was giving in advertising in Philadelphia)」とあるので、その議事録があれば確かめられるのだが、現状では探索しきれなかった。
■Lewisの著書を確認する
現在ネットから確認できるLewisの著書は2冊である。”Financial Advertising”と”Getting the Most Out of Business”である。
”Financial Advertising”は、アメリカが金融パニックに見舞われたために、当初より1年延期された1908年に出版されている。当初600頁ほどだったはずだが、1000頁に届かんとする大著となった。
そのタイトルどおり、金融業界に対する広告の指南書であり、実例が豊富に取り上げられている。
AIDAに相当することが書かれているのは、第3章~第6章である。
Attention、Interestはよいが、3番目にくるのがDesireではなく、Convince(納得させる)であることに注意が必要である。本書には、「Desire」という単語は81箇所登場するが、Attention、Interestとセットで登場することはない。つまり、本書内でLewisは「AID(AIDA)」とは言っていないのである。
もう1つの著書、”Getting the Most Out of Business”は、1915年の出版でサブタイトルに「Observations of the Application of the Scientific Method to Business Practice(ビジネス慣行への科学的手法の適用に関する考察)」がついていることからわかるように、今の時代でいう「若者向けビジネス指南書」である。広告に関する言及はない。
しかし、この本はとてもよく売れたようで、1915年1月の初版から、同年6月に第2版、同10月に第3版、その後版を重ね、1917年6月には第7版となっている。当時のビジネス書ベストセラーであったことは間違いないのではないか。
Lewisの著書に「AID(AIDA)」という文言は、現在調べられる2冊にはない。では、Lewisの思考過程はどのようなものだったのか、確認してみたい。
■Lewisの思考過程
英語版Wikipedia「E. St. Elmo Lewis」のページには、「Advertising principles」の項に、Lewisの広告に関する理論の変化が表になっているが、そこに示されているものでは、1899年の”The Western Druggist, 21”が最も古く、しかもAttentionもInterestも登場していない。
ただ、その表のすぐ下に、1897年8月、” The Inland Printer”というアメリカの印刷とグラフィックデザインに関する業界誌にペンネームで寄稿し、そこでAttentionの重要性を語っているとある。しかし、この号は、探索できなかった。
これに続く、同年12月、” Fame - A Journal for Advertisers”という冊子には、次のように書いている。
▽Lewis最古のAttentionの記述、画像は同誌のP449をキャプチャ
現在調べられる範囲では、Lewisが「Attentionの重要性」を記述した最古のものといえそうだ。
ここからは推測であるが、Lewisは1898年前後には、「Attention、Interest、Desire」の重要性を認識していたが、「Desire(欲求)」という言葉よりも、「Convince(納得)」の方が重要なのではないかと、思考を進化させたのではないか。
■誰がAIDAと言っているのか
LewisもHallも、まだビジネス社会が未成熟だっった1900年頃、科学的、理論的な思考を取り入れることで、広告や販売というビジネスの健全化を図っていたことは確実といってよい。
ただ両者とも、現在日本から検索・閲覧が可能な著作物に、「AIDA(AID、AIDMA)」と明確に言及しているものはない。では、結局のところ、誰がAIDAと言っているのか。
当時の「AIDA」について、唯一詳細に書かれているのは、E. K. Strong Jr.が1925年に著した” The psychology of selling and advertising” である。日本の書籍、ネットに、「AIDA(「AIDMA」は、Strongによる)と誤って記載されているのは、それを誤解したものだろう。
次回、Strongの著作を考察することで、AIDA(AIDMA)問題のいよいよ本丸に突入したい。
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