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業務委託美容師を2年続けて、やっと次のビジョンへ動き出す

皆さんご無沙汰しております、マッチャンです。今日はこれからの事と今までの事を少しお話します。苦労話はほどほどに書いていきますのでまずまずの味付けにしております(本当はもっと茨の道でした)

まず最初に過去の経歴をざっくり説明

急に美容師になったよ、私

 大手低料金美容室に高校中退で入社、働きながら通信で美容師免許を取る

まず最初に私の過去の経歴をざっとお話したいと思います。話は高校時代まで遡ります。


私は工業高校出身で建築科の学生でした。しかし当時は全く建築に興味がなく、勉強もせずダラダラと毎日を過ごしていました。そして当然の如く留年して学校を辞めることになります。浅はかですよね、、、

高校を中退した私は中卒でも雇ってくれる大手チェーン店の美容室に入社しました。
その会社は免許がなくても働きながら美容学校に通えるという理由で10代の美容学生兼アシスタントはたくさんいました。ただみんな3年後に免許を取得と同時にやめていきました。

なぜかって??

なぜならお客さんがおばあちゃんしかいないからです。

白髪染めにチリチリのパーマを朝から晩まで作り続ける。

たしかに需要はあります。

ですが10代〜20代の若者にとってはそんな美容師嫌です。なので先輩もみんな辞めていきました

そんなこんなで私も3年の月日が経ちましたが色々あり1年ほどズルズルと働いていました。そしてやっとやめる理由が見つかります。理容師になる!これほど真っ当なやめる理由はないなと我ながら感心しました( ´∀`)


そもそも大手チェーン店のおばあちゃん美容室で見習いからスタイリストまで10年もいたらここでしか働けない美容師になってしまう、そんなの想像するだけでゾッとしていましたし、私は男ですからヨボヨボの爺さんになっても美容師をやっていくだろうという想像は全くできませんでした


それにお客さんも頭の禿げた爺さんにオシャレにしてもらいたいとも思いませんし、元々私の家系は禿げ家系ですからハゲを想定して生きるなら理容師の方が断然正解だということに気付きました!!!


ハゲたら嫌という理由から理容師に転職


再び同じ会社の理容部門に移動して通信で働きながら理容師免許を取得

理容師に転職してカルチャーショックを受けましたね

もう全く別物。サッカーと野球くらい違う。美容師やってたらか理容師もできると思ってる人は理容師舐めすぎです。

とにかく細かい。求める部分が美容と違うからそれを理解するまでにだいぶ時間がかかりました。美容師って枠が出来上がった状態で理容師になるのは価値観や考え方を一新しなければいけないのでそれがネックになってつまずきます


 東京へお引越しと業務委託という働き方


一通り理容の技術を覚えて28歳、当時働いていた京都にある大手全国チェーン店で未来が見えず独立かワーホリか考えていたときに見つけた東京の理容室の求人に応募してみたらなんと採用が決定して東京に。

そのお店は業務委託というシステムで1日席を貸してくれて売り上げの%を報酬としてもらうというシステムでした。ただ平日のお客さんが少なかった為、平日は別の何かいい方法はないかと考えていた時に同じ業務委託の美容室を見つけます。

面白い話ですが美容室と理容室って平日と休日の売り上げ全然違うんです(╹◡╹)

美容師は平日も休日もそこまで大きく違わないんですけど、理容室って平日と休日だと倍くらい売り上げ違うんですよね。だから土日の2日間で4日とか5日分の売り上げになったりするんですよね、、、
だから平日美容師、週末理容師やってたんですけどね(°▽°)


まだ美容師に未練タラタラだった私は「今ならまだ再び美容師に戻れる」と思い、平日美容師、休日理容師という働き方をします


 プライベートで色々あって元の会社に再就職(大手チェーン店)

順調でした。しかしその生活も長くは続きませんでした。1年後には再び大手チェーン店に入社することになります


その後色々あって渋谷の美容師に


その後また色々あって渋谷でエクステとカラー専門のサロンに就職、この時ヘアメイクの撮影など初めてしました。同時にヘアセット、メイクの学校アフロートスクールにも入学。

渋谷のサロンは過酷でした。

なぜなら私はおばあちゃん美容室おじさん理容室でしか働いたことが無いわけですから、当時の年齢31歳。見た目は若いですが若いお客さんの接客や技術なんて知りませんし、文字通り1からのスタートでした。アシスタントの20代前半の子達にもオーナーにも、そのお店を紹介してくれた仲の良かったスタッフにもボロクソに言われてました、、、
仕方ない事ですけど本当に過酷でした、、、
できない自分、遠回りをしてきた自分に腹が立ちました(゚∀゚)

ここでは今までの10年はなんの役にも立たないと改めて思いました


美容師や理容師やってきたならの人付き合いは上手いんじゃないの?接客上手なんじゃないの?と思われるかもしれませんが大手チェーン店ではお客さんと接客して話す時間なんて全くありませんからそれすらも渋谷では初めてでした_:(´ཀ`」 ∠):

それでも2年間で技術と接客を磨き、休みの日はアフロートスクールで勉強して売り上げもそこそこになりました(^○^)


これまた色々あってそのサロンを辞めて現在のneece に入社、業務委託委託として2年が経った


渋谷のエクステのサロンは内容はすごくよかったです。しかし人間関係は最後まで変わりませんでした。売り上げが上がれば変わると思っていたことも何も変わりませんでした。このままでは良くないと思い、また昔の同僚に連絡して休みの日に別の業務委託のサロンで働き始めます。そこが今のサロンneece hair gallery です。


Neece に入社して〜35歳現在。
元々neece に入社した時から持っていたビジョン


サロンワークと撮影とヘアセットとメイクを並行した働き方ができないかな?と思っていました。

折角アフロートスクールで学んだものを持ってるだけはとても意味がないので毎月の1ヶ月の中でアウトプット、インプットできる働き方を作りたいと考えていました


ただいきなり初めからはそれはできませんでした


なぜそれができなかったか

最初はお金がありませんでしたし、東京にきて働いたサロンは渋谷の2年だけでしたから(顧客が圧倒的に少ない)。その為出来るだけ長い時間働くことで顧客をつける事でそこをpayすることを考えました。他の方法は思いつきませんでした。

ただ私の場合は指名料で¥1000もらっています。そこを¥0にすれば指名が増えるからそうすればもっと早いやん!という方がいますがそれだと指名が増えすぎた場合


1. 辞めづらくなる
2. 10時〜22時→10時〜19時にした時にまたまたお客さんに迷惑がかかる
3. ドタキャンや予約変更などする安い顧客がつく
4. 価格がプチプラの為、質の悪い顧客で予約が埋まる可能性がある
などなど

それにあまり短期で結果を出すことは考えていませんでしたし、2〜3年ぐらいかけて指名数50いけばいいかな程度の考えでした。

うちのお店だと最大指名数150くらいまでですが、達成可能な人は指名料¥0の場合かなと思いますし、最悪指名料¥500でも出来る人はいるでしょうがかなりきついと思います。


それと2〜3年かけて、美容師の技術向上、接客の見直し、売り上げ安定、労働環境の構築なども考えていましたしね


10時〜22時で働くことを辞めたかったが1〜2年ではできなかった理由もあります。そのお店を紹介してくれたスタッフに恩がありましたから。

そのスタッフは夜(20〜22時)に働くスタッフを特別扱いする傾向がありました。なのでなかなか時短で働くというスタイルに変えるのが難しかったですね
 


そして色々あって2年経ち、現在は時短で働くことが可能になり、指名も40〜50で安定してきているので19時までの営業にして、夜はキャバクラのヘアセットに行ける時は行こうかなと。そして各週でアフロートスクールの講師もやっています。


2年経ってやっとneece に入った時の目標としていた働き方ができるようになりました


これからのこと



これからのビジョンは大工と美容師と学校の先生とキャバのセットをやりたいなと思っています

また大工を1から始めるのはとても怖いけど、、、でもチャンスって誰にでもいつでも訪れるものじゃないから今やらないと後悔するってあると思うんですよね。


チャンスは誰にでも常に回ってくるもんじゃねぇ。だからこそ、つかんだ糸の先は絶対に離すな。byあひるの空  酒巻呼人


それに昔から大工さんとかそういう物作りの人に憧れがありましたし(o^^o)


そしてさらに大工がある程度慣れたら自分のお店を作りたいと思います(自らは働かないですが笑)


お客さんの為、スタッフの為にどちらも幸せになるような会社を経営したいなーなんて思ってます


夢を語るのは自由なので、今日はこの辺で

みなさんも心豊かに楽しんでいきましょ♪

ではまたー!!

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