見出し画像

もう苦しめないで

喉に痰が絡んで、ゴロゴロと音がしているので、「少し吸引してとりますね。」と声をかけたら、

「今まで苦しいことばかりだった。もう苦しめないで。」

と返事があった。

この80代前半の女性は、うちの施設に来たばかり。肺癌の末期で在宅酸素を使用し、胸水が溜まっているので呼吸が浅く、少しの体動で呼吸苦を感じやすい状態。

ここに来る前は、別の有料老人ホームで生活していたのだが、本人は「狙われている」「毒を盛られている」という妄想から離れられず、家族も「あの施設は何もしてくれない」という思いが強く、末期の状態をおしてまで施設を探し、ここに転居して来た。

入居された時には既に、余命宣告された期間を超えていた。酸素を常に3リットル流していて、体を起こしたり食事をすると、酸素飽和度が80%台まで低下した。

鎮痛薬として、麻薬を一日2回内服し痛みはコントロールされている。常になんとなくぼんやりしている様な状態だった。

ここに来る前はもっと広い部屋に住んでいたのだろう。転居して来たばかりの室内には、ところ狭しとハンガーラックが3台も置いてある。衣類もたくさんあるのだろうが、まだ掛けられてもいない。

ハンガーラックの他にも衣装ケース、ワゴン、小テーブル、椅子、テレビボード、そこに吸引機や在宅酸素の本体もあり、室内はぎゅうぎゅう詰めだった。

食欲はとっくに無くなっていて、家族が持ち込んでくれた高カロリーゼリーを数口ずつ、一日かけて1個をやっと食べていた。

入院してた頃に、家族に対して余命宣告され、延命措置も適応ではないとインフォームドコンセントされていると病院からの記録にあったが、長男と長女は現実を受け止めていないことが面会時の発言から読み取れていた。
本人は病名は知っているものの、余命期間は聞かされていない。

もう痛いことや苦しいことはせずに、穏やかに過ごしてもらうのが正しいと思う。

ただ、痰が絡んで呼吸が苦しそうなのを見過ごすのはどうなのかと医療従事者のクセで立ち止まってしまう。

痰を取らない苦しさと、吸引される苦しさ。

吸引で一時的には呼吸が楽になっても、また直ぐに痰は絡んでくるだろう。でも痰で窒息して亡くなるのは、ここまで頑張って来たのに、死に方としてどうなんだろう。

そもそも正しい死に方なんてあるのか、窒息で死なせるのは、看護師として許容できないという葛藤に苦しみたくない私自身の問題なのか。

彼女は転居して来て、10日で逝去された。
あっという間だった。

入浴や足浴は何度か実施できた。食事は車椅子でダイニングまでお連れしたけど、ほとんど食べずに部屋にすぐに戻ることが多く、他の入居者と交流する余裕もなかった。

家族は毎日のように面会に訪れ、最期の時間を一緒に過ごすことはできた。でも最後まで本当に亡くなるとは思っていないようだった。

「食べられたら元気になりますよね。」
というような内容の話をよくされていた。少しずつ受け入れてもらう為のアプローチが必要だったが、間に合わなかった。

亡くなる日が近いと判断したら、家族がどのように理解しているか確認する。もし医師からの説明が必要そうなら、面談をセッティングする。

病院で余命宣告され、もう治療はないと説明されても受け入れられない家族もいる。特に今回は圧倒的に時間がなく、家族との信頼関係も作れずに、本人のこれまでの経過も詳しくは知らないから深い話は出来なかった。

このようなケースはレアではない。
病院で治療が終わる(あるいは止める)と退院させられてしまう。あと数日で亡くなる状態の方が、有料老人ホームに転居してくるのはよくあることだ。

有料老人ホームは看取られるための場所、つまりは死に場所を探してたどり着く場所でもある。
これでいいのか。
信頼関係も作れないまま、自分がどこにいるのかも分からないまま、人生の幕を下ろす。

死に場所を求めて彷徨う人が世の中にはたくさんいるという事実を知って欲しい。

いいなと思ったら応援しよう!