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あなたの看護・介護観を教えてください

看護学生の頃「自分の看護観を持ちなさい。」と指導されました。看護・介護に従事する方なら、一度は考えたことがありますよね。

看護観とは、
自分が患者にケアするときに体現したい看護を言語化したものです。つまり看護観とは、どんなことがあってもぶれない「自分が大切にしたい看護や、患者に対して実践したい看護を、自分の言葉で表現したもの」と捉えることができます。

看護観は、看護師個人によって異なり、またそのときの立場や状況によって変化するものでもあります。 さらに看護師として経験を積む過程で、看護観は深まりゆるぎないものになっていきます。

学生の頃、私は看護観について「患者さんと信頼関係を作ること」と答えていました。患者さんに信頼してもらわなければ、看護の実践に支障が出ると考えてそう答えたのだと思います。

総合病院に就職して1年目、私は神経内科病棟に配属されました。そこで私に看護師とはなんぞやという大義を教えてくれる医師と出会います。

その医師は50代の男性で神経内科の副部長。ちょっと強面の先生でした。細かいシチュエーションは覚えていないのですが、病棟のナースがたくさんいる前でこんな話をされました。

「看護師の仕事は、患者を守ることだ。病気からはもちろん、環境や家族や医者からも守って欲しい。」

医師なのに、おかしな事を言うなあと新人の私は腑に落ちませんでした。しかし経験を積んでいくうちに、その先生の言っていたことを実感していきます。

病気から守ること、それは予防やコントロールや教育。例えば糖尿病の療養指導や、内服の意識付け。または異常の早期発見など、観察力や判断力を磨くこと。

環境から守るとは、仕事や家庭での役割などの社会的な背景によるストレスや、治療の障害になるものを排除すること。例えば、主婦の家事負担を減らせるように、家族に病状を説明して協力を得るとか。

家族から守るとは、例えば病気の子供が生活上で注意しなければならない事があるのに、親のコンプライアンスが悪い状況を改善するとか。

そして、医者から守ると言うのは、医者の治療方針や患者さんへの対応が不適切ではないか、目を光らせること。もし不適切だと感じたら、勇気を持って確認や改善を提案すること、その為に自己研鑽を欠かさないこと、と経験を積む中で理解しました。

この「患者を守ること」という言葉は、それからずっと私の拠り所になっていました。看護観は?と聞かれたらこのように答えていたし、看護の方向性に悩んだ時は指針になってくれました。

ただ今になっては思うのは、「守る」というのは傲慢な考えに陥りやすいと言うこと。「守る」と「守られる」は対等な関係ではありません。
そして「私があなたを守るためにしていることは、(あなたには理解して貰えないかもしれないけど)これは正義です。」というエゴ。
私は何よりも正しさを優先していました。

施設のナースになって少しずつ考えが変わってきました。私の今の看護観は、

「尊厳を大切にすること」

施設は医療ではなく生活の場なので、病気を治すことよりも(高齢者の持病はほとんどが完治しない)、生活の質に重点が置かれています。

シンプルに言うと、大切にされていると感じてもらうこと、それをどう伝えるか。

それを実践できる環境にいることは有り難い。でも今も正しさとのギャップを埋めることに苦戦することはありますね。

こんなこともありましたし。

皆さんの看護・介護観をぜひお聞きしたいです。


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