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「高齢者施設における法話のススメ」を提案した
以前、会社に提案した「高齢者施設における法話のススメ」。
却下されましたが、ここで成仏させてください(笑)
提案理由
入居者の中には、身体的に慢性疾患を負うだけでなく、その生活において、孤独、無気力、退屈という状態に置かれている方がいます。これらの高齢者の状況の根底には意味喪失や実存的虚無があり、
「もう生きていてもしょうがない」
「何の役にも立たなくなった」
など自分が生きるに値しない者ではないかとの存在価値に対する懐疑があると考えられます。
これらはスピリチュアルペイン(霊的な痛み、魂の痛み)と呼ばれ、身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛みと合わせてトータルペイン (全人的苦痛)のうちの一つです。
社会福祉実践の目標が「生きがい」や「自己実現」の支援であるといわれる今日、高齢者のこのような生きる意味の喪失という内的な苦悩にどのように向き合えばいいのか思索しました。
スピリチュアルケアについて
スピリチュアルケアとは「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素の健全性を守ること。
スピリチュアルケアを行うためには、全人的な基盤、すなわち哲学的および宗教的基盤の上に立った十分な教育を受けている必要があります。
方法
施設内で、僧侶による定期的な法話の会を開催する(職員も拝聴して内容を共有することが望ましい) 。
法話の内容について、あらかじめ目的やキーワードを話し合う 。ex) 死をタブー視しない、悲しみとの向き合い方、等
期待する結果
「スピリチュアルペイン」から
「スピリチュアルニーズ」への転換
▪️生きていても仕方ない
→生きがいを見つけたい
▪️もう何の役にも立たなくなった
→価値ある存在と認められたい
▪️全部だめになった
→話を聞いて欲しい
▪️死後への不安
→展望を持ちたい、よりどころが欲しい
補足(法話とは)
法話は「説教」または「説法」とも呼ばれます。
法話は「悪いことをしたときに叱られることをイメージする方もいるかもしれませんが、説教という言葉には本来「良い教えを説いていく」という意味があります。
落語や漫談などを聞きに行ったりテレビやラジオで聞いたりするのが好きという方もいることでしょう。
落語や漫談も元をたどれば仏教の説教から生まれた文化です。法話は落語とはまた違いますが、ときには声を出して笑えるような、またジンと沁み入るようなお話を聞けるという共通点があります。
分かりやすいお話を聞けるのが法話の魅力
仏教のお話というと「難しいのでは?」「堅苦しそう」と感じる方もいるかもしれません。しかし、法話はあくまで分かりやすく仏教の教えを伝えるもの。
お坊さんの法話の切り口は、日々のできごとや世間のニュース、人気の小説や物語などさまざまです。 聞く側が興味を持って最後まで熱心に耳を傾けられるよう、工夫をしながらお話をしてもらえるので心配はいりません。
法話は生きるためのヒントになることも
生きることや老いること、病に冒されること、そして死について考えることなど、人はさまざまな悩みを抱えています。
中には、さまざまな悩みに押しつぶされそうになり、とてもつらい思いをしている人もいることでしょう。
こういった方にとって、仏様の教えを伝えてくれる法話は、生きるためのヒントになるかもしれません。
もちろん法話は、深刻な状況にある人や人生の節目にいる人だけが聞くものではありません。 法話を聞くことで新しい気づきを得られるということも多いので、ぜひ法話を聞いてみましょう。
残念ながら却下されましたが、まだ諦めていません(笑)
必要性を深めて説得出来るように、またチャレンジします。