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医者を恨む理由
ご夫婦で入居されたのが5年前、妻は3年前に亡くなった。
妻のMさんは要介護5でほぼ全介助。膠原病や糖尿病など数多くの病名がついている方だった。入居したばかりの頃は、歌ったりお喋りしたりと明るく、認知症の症状はあったけれど、夫やスタッフとコミュニケーションはとれる状態だった。
夫は妻の介護を全て自分でやりたいと考えていたが、Mさんの認知症は徐々に進行して体が動かせなくなり、全てのことに介助が必要で、会話も成立しなくなっていった。
夫は頑固で気難しく、妻への介護方法をめぐってスタッフとよく対立していた。今思えば、この頃から周囲に対して不信感を持っていたのかもしれない。
夫も年齢相当に理解力が低下していて、真夏の暑い日にもにMさんに毛布と布団をかけ、首にタオルを巻く。気付いたスタッフがタオルを外して布団を外しても、次に訪室すると元通りになっている。
冬に電気アンカで低温やけどさせてしまった事もあり、スタッフが訪室の度に足から離したり、コンセントを抜いたりして対応したが、すぐに元通りにしてしまう。やけどの危険や体温調整の必要性を説明しても受け入れてもらえなかった。
もちろんMさんを思っての行為だったが、リスクが高くスタッフは心配していた。特に食事介助は、飲み込む前に次を詰め込むので、窒息のリスクが懸念されていた。
そんな綱渡りの日々が続いていたが、Mさんは徐々に食事量が減り、介助しようとしても口を開けなくなった。
うちの施設では、高齢者が食事を取れなくなった場合、①〜③のパターンが多い。
①老衰と捉えて(医療は適応じゃないと判断して)、食べられる分だけを食べて自然な経過を見守っていく。いわゆる「お看取りの対応」。
②長期的な点滴や胃瘻の造設を希望する場合は、近医で受け入れてくれるところを探す。(胃瘻の場合は造設したら施設に戻ってくるが、中心静脈栄養などの高カロリー点滴は受け入れていない)
③脱水で苦しそうな場合は1日500ml程度の点滴をして、ゆっくりゆっくり最期に向かう。(浮腫まない程度の量で)
※もちろん息が苦しいとか、痛みがあれば対応する。
主治医の考え方にもよるが、今の往診医は「老衰は自然な経過で看取るのが正しい」という考え。
長男と夫に主治医から連絡が入り、今後の方針について話し合いの場が設けられた。
長男は「高齢だし、今までたくさんの病気を治療してきたので、もういいです。」というスタンスだった。夫は言いたい事がある様だったが、長男に宥められる形で承諾し「お看取りの対応」が決定した。
徐々に弱っていく妻を夫は受け入れられなかった。「食べられれば元気になる。」と思い込み、実際そのような発言が度々聞かれた。
スタッフは夫が受け入れられるように、折に触れて夫にMさんの状態が死に近づいていることを伝えた。
しかし、夫が受け入れられないままMさんは逝去された。
その後、夫は「妻は医者に殺された。」と言い始めた。自分の診察も拒否するようになり、主治医が声をかけるだけでも「帰れ!」と頑なな態度をとった。施設のレクリエーションや行事にも全く参加せず、食事以外はほぼ自室から出てこない。
あれから3年経ち、主治医は別の医師に代わったが、夫の態度は変わらない。
今でも妻の治療、延命について納得出来ないままで過ごしているのかもしれない。
もっと話し合えば良かったと思う。家族に任せず、夫が納得できるまで何度でも。夫はまだ苦しんでいるように見える。
夫を見ると申し訳ない気持ちになる。彼の心を癒す方法はあるのだろうか。