海苔
ラーメン屋でラーメンを食べていると、ふと卓上調味料のニンニクを入れてしまう。
家系ラーメンではこのニンニクを入れたいという衝動は確実に起こる。
そんな時、私はスープにおろしニンニクを直接溶かすのではなく、まずは海苔をスープに浮かせ、その海苔の上におろしニンニクを乗せ、麺を箸で持ったら海苔の上のニンニクにつけて麺をすする。
いわば海苔はイカダだ。海苔のイカダでニンニクがスープに溺れないようにするのだ。ニンニクをスープに溶かさずに直接麺につけて食べると、ニンニクをより直接ガツンと感じられるし、何よりスープの味が変わりにくい。
ラーメン屋のスープというのは緻密な計算や経験に基づいてできている。豚骨のどこの部位を使うかとか、豚骨の血抜きをするかしないかとか、鶏ガラも入れるかとか、香味野菜をどう入れるかとか、色々ある。
私はそんなその店のベースのスープの味を1番大事にしたくて、その上でニンニクを食べたいという衝動と両立させるためにこのイカダという方法を折衷案として取っている。
話は少し逸れるが、味変で酢を入れるとかもそんなに好きではない。それは酢を入れると不味いからではない。酢を入れたら元のスープに絶対戻れない。それが私にとっては重大な問題なのだ。だからこの味変には勇気を伴う。そして、もし味変するなら絶対スープを飲み干すということも心がけている。なんだか味変して残したスープがあると、その店を否定している気になってしまう。
これは小さなうるせえことだが私にとっては譲れないこだわりなのだ。
かき揚げは浸す派か浸さない派か
そんなラーメンの話は一旦さておいて、かき揚げうどんを食べるときに、かき揚げをつゆに浸すか浸さないかというのも日々我々に襲いかかる問題である。
これもそれぞれの人でこだわりがありそうだ。かき揚げをつゆに浸すと出汁がしみて柔らかくなっていいという人もいれば、パリパリのかき揚げが好きだという人もいる。
私はなるべく浸したくない派である。せっかくの出汁に油が浮いてしまうし、かき揚げがふにゃふにゃになるのは望ましくない。だがその一方でせっかくうどんに乗ってきたのだから、うどんと一緒に食べるメリットもあるべきだとも思ってしまう。ただかき揚げを乾いた皿で食べて、かけうどんを食べるというのではなく、「かき揚げうどん」というものを食べるのだから、うどんにもかき揚げにもパワーアップしていて欲しいのだ。ということでまたその折衷案として、沈まない程度に浸ったかき揚げを食べるようにしている。アツアツパリパリのうちに食べるとはいえ、下の方はちょっとつゆに浸ってもらってその絶妙なうちに食べる。だからいつもかき揚げうどんのかき揚げは序盤で食べ切ってしまう。
ラーメン二郎で天地返しをしない
丼にもっさりと野菜が盛られているラーメン二郎。
ラーメン二郎をあまり知らない人にとってはピンとこないかもしれないが、「天地返し」という技みたいなのがこの二郎の界隈には存在する。
もっさりと盛られた野菜の下にゴテゴテの太麺があるのが二郎なのだが、うまいこと下層の麺を持ち上げて野菜の上に持っていき、野菜を麺の下に沈めていく技である。
これにより、先にカロリーの高い麺を食べ、後にカロリーの低い野菜を食べられるので胃の容量をある程度守れるのと、麺が伸びることを嫌う人にとっては早く麺から食べておきたいので、天地返しはそんな人にとって良き技であるのだ。
だが、私はこれをしない。
理由は1つ。野菜の水分でスープが薄くなるのが嫌だからだ。天地返しをすると野菜が長い時間丼に残り、野菜の水分がスープに溶けてスープが薄くなる(ような気がする)のだ。
だから私は二郎ではとにかく野菜を早めにかきこんで麺を食べるようにしている。
いざ出航だ!
ここまでやたらとそんな元々の味へのこだわり、つまり「原作」へのこだわりを語ってきた。
私にとって味変は2次創作である。かき揚げの油がうどんの出汁の風味を変えたり、二郎のもやしの水分がスープを薄くすることも、多少仕方ないとはいえ原作をそのまま楽しめない感じがある。ましてや味変は2次創作とも言える。
そんな原作厨が、大好きなニンニクの2次創作を食べたいと思ったときに、そこに海苔があった。ラーメンにおける海苔というのは過小評価されているが、メンマやチャーシュー以上の貢献度があるように思う。
最初にラーメンに海苔を入れ出したのは誰だか分からないが、味変の緩衝地帯として他のどのトッピングよりもよくやっている。
強調性があってものごとを円滑に進める仲立ちとなる人を「潤滑油」で例えるときがあるが、これは正直擦られすぎてもはや逆にダサくなっている。
これも「海苔」と表現すれば十分である。それだけでニンニクの独自の風味の強さと、店主こだわりの頑固スープとの緩衝材として働くことが伝わる。それに、鉄火巻のように長い物には巻かれておけるという雰囲気も出せる。
ラーメンに何気なく入っている海苔があまりにも優秀であるという話は、現実の社会や組織にも通ずるものがあるのかもしれない。
皆さんもまわりの海苔を大事にしてほしい。
海苔、いつもありがとう。