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俺は文を書こうとすると頑張ってしまうタイプ

小さい頃、文を書くのが苦手だった。

小学生のときに運動会や学芸会のようなイベントがあると、必ず次の登校日に作文を書かされた。
その原稿用紙1枚、400字の作文ですら俺は書けなかった。

400字と言うのは今考えると少ないとすら思う。就活のESで言えば400文字くらいの自己PRとかエピソードとかをいくつも書いていたし、論文なら概要の部分くらいでしかないし、ワードに400字打っても下半分くらいスカスカになるくらいの文量だ。

そんなたった400文字を小学生のときの俺は果てしないものに感じていた。

本当に書けなかった。

書けなくて、1時間与えられた書く時間で書けずに居残りしたこともあった。クラスに書けない人は俺ともう1人くらいだっただろうか。皆さんの学校にも、1人2人いたのではなかろうか。作文が書けない人が。

なぜ書けなかったのか。
その理由を今振り返って挙げるとこんなものだろう。

・シンプルに書きたくない
・運動会や学芸会に感情的になっていないから得たものとか感じたことがそんなにない
・書き方が分からない
・書くのが恥ずかしい
・書けない自分がさらに情けなくて別のことを考えることに逃げてしまい作文どころではない
・自分のことを理解していない
・書いたことを受け入れてもらえるか不安

こんなことを抱えながらただ書けば終わる作文を俺は永久に書けなかった。そして毎回頑張って最後は何かを書いたはずなのだが、今は何を書いてきたかなんて当然覚えていない。

ちなみにこのNoteは今の時点で542文字書いている。
あの原稿用紙400文字を海のように広く感じていたのが嘘みたいである。

卒業文集との戦い

さて、小学生の頃の話だ。
作文を書くのが苦手な少年の俺は、小学6年生になり、卒業文集を書くことになる。この手の作文は当時の俺が最も苦手とするものだった。
まさに小学校側の事情で書かされる文であり、俺が自発的に書きたいものではない。
そのうえテーマは何でもいいらしい。
何でもいいは難しい。
特に当時の俺には最難関と言って良い。
料理ができなくてレシピもないのに、何でもいいから料理作ってね、材料はスーパーで適当に買ってねと言われているようなものだ。
当時の小学6年生のときの担任は例えるならサッカーでJリーグのベガルタ仙台や代表U-23の監督を務めた手倉森誠の系統のおじさんだった。

↓参考 手倉森誠(てぐらもり まこと)

手倉森誠に似たその担任に言われ、みんなせかせかと卒業文集を書き始めていた。

皆が着実に書き上げる中、やっぱり俺は書けなかった。作文の期限が過ぎても書けていなかった。
ただ、卒業文集は色々な手続きが学校側でもあるためいつまでも待ってくれる訳ではないので、日に日に強いプレッシャーを手倉森誠にかけられていた。
そこで俺は流石に書くテーマを決めた。

卒業文集を書くことになったときの直近の日常の数日であった1番自分の感情が動いたもの。
それはプロ野球の試合であった。

この当時、俺はプロ野球が大好きだった。
たまたまこの卒業文集を書く9月頃に野球を観に行っていた。
クリネックススタジアム宮城(現楽天生命パーク)で行われたナイター。
楽天対ロッテ。
当時楽天にいた中村紀洋がレフト前にタイムリーヒットを放ち劇的なサヨナラ勝ち。
スタンドの皆が立ち上がるほど鮮やかな打球。
スタジアムで見たはじめてのサヨナラ勝利だった。
プロ野球、そして野球の持つ面白さを実感した。
スポーツ観戦というのはなくても日常に何の支障もないが、そこにいることで目先の感情を大きく揺さぶることができるものである。スポーツはその瞬間だけのプレイの積み重ねだ。その瞬間をまさに目の前で見ることでその当事者になれた気がする。小学生の俺にはそこまで言語化できないにしろ、スポーツ観戦が持つ日常にはない何かを確かに感じた試合だったのだ。

卒業文集にはいかに野球が素晴らしいか、そしてその試合にいかに感動したのかを書いた。不思議と筆が進んだ。なぜならそこには俺の心があったからだ。
運動会や学芸会は所詮学校のルールの上で行うものであり、自発的な動機付けでは行われない。それに当時の俺は運動会や学芸会で目立つような役割をもらえる人物ではなかったから、モブofモブなわけで、俺1人が欠けようと何も変わらないような行事だった。
それに比べ、自発的な動機付けで好きな野球を書くことは楽しくて俺の心からの主張を言えた。言った!書けた!

...そのつもりだった。

締切を過ぎ、作文を書くのが苦手な俺が一生懸命に大好きなプロ野球について書いた文を持っていくと、担任の手倉森誠に否定された。
怒られるというより、呆れるような感じの態度だった。
手倉森誠は、これはさぁ、卒業文集の文じゃないよ、と吐き捨てた。

じゃあ何を書けばいいんだ。

何でもいいって言ったじゃないか。

どう書けばいいんだ。

絶望に打ちひしがれた。

そしてこのときこれではだめなんだと思って、俺はようやく他の人がもっと前に身につけるであろう「処世術」の作文のテクニックを身につけた。
とりあえず400文字を埋める作文。内容に納得できるかではなく、無難に学校に認められそうなことを書く作文。
確か小5ではじめた剣道について書いたはずだ。

結果的にそれを手倉森誠に提出してOKをもらえた。

今思えば、文章をもっとうまく書いていれば野球について書いてもOKをもらえたかもしれない。卒業文集と野球が好きなことの折衷案としての何かしらの文は書けた可能性もある。確かに俺の作文はあまりにも局所的なものだ。それは学校側の期待している答えではなかったわけだ。

それに書くとすれば小学生時代は転校によって環境が変わったり、その転校先で新しい文化を受け入れる体験もあったし、日常でもたくさんの変化や学びはたくさんあった。
だが、それらを文にする能力は当時の俺にはなかった。

学校で自分の主張すらできないことに心底絶望し、処世術の作文を書いた自分を軽蔑しながら俺は小学校を卒業した。なお、小6の3月に東日本大震災が起こり小学校の卒業は曖昧に終わった。

小学校時代の教師、何してんだよ

俺は作文を書けなかった。それも小学校6年生まで。俺が作文を書けない理由は前述の通り確かにいくつも存在した。最も俺はそれをちゃんと自覚できてはいなかったのだが。
ただ、そんな俺を教師の手倉森誠は放置していた。俺とは全く向き合わなかった。対話をしなかった。

すごく他責思考な感じだが、仮に俺が教師だとして、作文を書けない子供がいたら書けるように向き合いたいと思うよな、と考えるところがある。だからあのときの教師の対応は適切ではなかった気がするのだ。

もちろん俺の当時の態度や考え方にも原因は大いにあったと思う。

それでも、真っ向から一生懸命に書いた文を否定されて書き直しを命じられたときの瞬間は今思い出しても悔しくて、怒りを感じる。
代替案やアドバイスなどもなく、ただ突き放しただけの教師。
生徒を伸ばすなんて考えてもいないんだろうな。

なお、本物の手倉森誠は指導者として非常に高い評価を得ている。本物の手倉森誠ならまた違った小学校生活だっただろうか。

作文を書けなかった苦しい小学生時代

今はこうして感情をラベリングして表現できる。なんなら今の俺は感情表現も主張も強めな人間になっている。
ただ小学生のときは自分の感情を理解すること、表現することが苦手だった。嬉しい、悲しい、怒っている、そんな気持ちをいつも自分の中で思うばかりでそれをアピールできなかったし、半分くらい分かってもいなかった。
小学校では問題児みたいな感じのときもあったし、保護者面談はいつも鬱だった。
認められた経験も少なくて、認められ方も分からなかった。
それが作文を書けなかった俺の正体なのかなと思う。
作文というのは自分の気持ちに1つ1つ名前をつけていく作業だ。
語彙力も確かに必要なのだけれど、気持ちとの折り合いの要素がとても大事なのだ。

今の俺は頑張って文を書くタイプだ

さて、そんな俺は中学生以降だんだんと感情を表現できるようになっていって作文も書けるようになった。
校内誌で何回かクラス代表の作文に選ばれたこともある。
自分の感情をラベリングできるようになったのもそうだし、小学校のときに比べて向き合ってくれる教師もまだ多かったから作文のフィードバックをもらえる機会もあった。
小学校だと担任が全てだが、中学校以降には各教科の先生がいるからそれも大きかったのかもしれない。

そんな俺は文を頑張って書くタイプだと思う。

ブログを見てると、本当に普段しゃべるみたいにさらさらと書いている人がいる。俺はこれを頑張らない文と思っている。そして俺はこういう文が好きだ。その人が喋っているみたいで文章以上の情報が入ってくる気がする。
一方で、なんとなく説明文っぽい、小見出しとか接続詞とか特有の構文とかを使って読み手を意識した文をガチャガチャと書く人もいる。俺はこれを頑張る文だと思っている。俺は気づいたらこっちを書いていて、頑張らない文はあまり書けない。

それは結局のところ内面を他人に見せるのが苦手だということなのかもしれない。内面をそのままではなく、ちょっと加工して提供したくなってしまう感じの気持ちかもしれない。

今の俺は余計なくらい文を書けている。もしも小学生時代に作文を書けずに絶望している俺に会えるのなら、心配しなくても大丈夫だと肩をポンと叩きたい。
そして野球の話でもしながら作文を書くのに付き合ってあげよう。
あのときの担任手倉森誠を反面教師として、子供のできないことに向き合える大人になってあげよう。

いつか頑張らないさらさらな文章、見ててワクワクする面白い文章を書けたらいいなと思っている。
そのために、たまにこうして投稿をするのを続けようと思っている。

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