【超就職氷河期】タブーを犯しているのに一社しか受けない自分、攻めすぎだろ。
アメリカ留学から帰国したのが大学4年6月半ば。アメリカの大学院に進学したくて、家に籠ってずっと勉強を続けて8月。「アメリカの大学院で研究したい内容は、働かなければ見つからないのでは?」という当たり前のことに気づき、日本での就職活動を開始。時は超就職氷河期。公務員試験に不合格だった学生が、就職留年とかしていた時代。(当時は大学3年生の秋から就職活動をするのが一般的だった。)
はて、就職活動とは???ついこの間まで、アメリカのキャンパスや公園で勉強したり、図書館や自習室でただひたすら勉強していたから、日本での就職活動について知識は0だった。何も知らなかった私は、大学の就職相談室に行ってみた。「総合商社がいいのでは?」と言われたけれど、全くピンとこず。自分の希望する全く別業種の第一志望の会社、一社しか受けないことにした。(え、無謀)当時はアメリカから帰国したばかりで、「自分が採用されないわけがない」という妙な自信だけはあった。
さて、迎えた一次試験。周りはリクルートスーツに身を包む中、私はリクルートスーツを拒否。「全員同じスーツを着る」というルールに納得いかなかったからだ。「見た目で落とすような会社、こっちから願い下げだ」という謎の強気な勢いで、お気に入りのライトグレーのパンツスーツに茶色の革バッグを合わせて行った。そして、この時大きなタブーを犯していたらしい。合わせたシャツ、水色に薄いグレーのストライプ。(数年後TV番組かネットの記事か何かで、就職活動にストライプシャツはNGだと知った!)筆記試験だったから、あまり服装は目立たなかったのだと思う。一次試験は通過した。
さて、二次試験、三次試験と、どんどん面接官の人数が増え、面接官達の重役感も増してくる。と同時に、面接を受ける側の人は、面白いように減っていく。季節が夏から秋、冬へと変わっていった。「今ここで落とされたら、一次試験からやり直す時間あるのかなぁ」と四次試験辺りで思っていたら、次が最終試験でやっと採用が決まった。心底ほっとした。
就職試験で一番印象に残っていたのは、「あなたの大学生活を色で例えると何色ですか?その理由を教えてください。」という質問。練習でも一回も聞かれたことのなかった質問に、完全アドリブで答えた。今でも鮮明に覚えている。「虹色です。私の大学生活は、勉強して、留学して、友人とも切磋琢磨でき、最高の4年間でした。キラキラした虹色でした。」(本当はもっと長い)私はこの回答で採用を勝ち取ったのではないかなと考えている。1次試験の人数から推測するに、採用倍率は軽く100倍を超えていたようだった。
その後2年間働いたのだが、会社員で良かった。社会人のイロハを教えてもらえた。社会の厳しさを教えてもらえた。お金の流れを教えてもらえた。服装や見た目で人を評価しないことの重要さも、会社が教えてくれた。