ディレイ -ファミコン全ソフトを集めた男- #03(全13話)
#03 百の世界の物語
1998年。
光希は大学生になっていた。
推薦入試でさっさと進学を決めた友人達を尻目に猛勉強の日々。別に将来何になりたいとはっきりした目標があるわけではない。大学に進学して、そこそこの会社に就職して、いつかは結婚して子供も生まれて、取り立てて特徴はないけど人並みに幸せな人生を送る。そんな漠然とした未来のために今の勉強は踏まなければいけないステップだと考えていた。その甲斐もあり何とか浪人することなく関西の私大に合格したのだ。
受験勉強のかたわらファミコンソフト収集は続けていた。息抜きとばかりにゲームショップへ足を運び、見たことのないゲームを探す。手持ちソフトはいつの間にか300本を超え、そろそろ行ける範囲では知らないゲームを見つけることが難しくなっていた。
だが大丈夫、光希はそう思ってほくそ笑む。大学進学を機にひとり暮らしを始めることにしたのだ。受験合格と同時に教習所へ通って自動車免許も取った。これでひとり暮らし先では未踏の地のゲームショップ巡り、実家に帰ってきた時は自転車や電車で行けなかった立地の悪い店へも足を伸ばせる。
もちろん引っ越し先に、これまで集めたファミコンソフトは全部持ち込んでいる。このコレクションがこの先どこまで増えていってくれるのか。ずっと先にバラ色の未来は描けなくとも、目の前には趣味に充実した日々の予感が広がっていた。
ひとり暮らしは、快適だった。
どれだけ遅く起きていようとも、何なら朝から晩までゲーム漬けの1日を送ってもすべては自由。食事準備や洗濯や掃除はわずらわしく感じる部分もあったが、これまでやったことのない活動で新鮮に思えた。それに面倒なら適当に外食で済ませるなり、しばらく洗濯物を放置するなりしたっていいのだ。誰も何も言わないのだから。
喫茶店でアルバイトも始めた。いくら安く売られているファミコンソフトとはいえ、集めるにはそれなりの軍資金が必要になる。
決して要領がよくない光希にとって仕事を覚えることは一苦労だったが、慣れてしまえばルーチンワークでこなせるようになり、そこそこの金銭的余裕もできるようになった。
下宿先から初めてのゲームショップへ向かったある日のこと。光希は探していたソフトを見つけた。
『百の世界の物語』。
RPG然とした中世ファンタジー世界が舞台ながら、その内容は4人同時プレイまで可能なボードゲームに近い。光希が運命の出会いを果たした「ユーズド・ゲームズ」でも絶賛されていた1本であり、欲しかったもののずっと店頭に並んでいる姿すら確認できずにいたのだ。
発見に内心胸が高まりつつも、光希は平静を装い値段を見る。
ソフトのみで、4000円。
光希はそこから、ゲームショップの中で頭を悩ませる羽目になった。
価格の問題であって、価格の問題ではない。バイトをしている今の光希なら4000円くらいは十分に出せる額だ。しかし4000円もあれば最新ゲームだって中古なら余裕、ベスト版なら新品で買っておつりが来てしまう。
「こんな古いゲームに、新作同然のお金を払うのか?」
購入を妨げているのは、そんな当たり前の価値観。それでも欲しいという気持ちと、心の中で全面衝突が巻き起こっている。ここを乗り越えてしまったらもう戻れない、レトロゲームの道を突き進むしかなくなる。そう光希は感じずにはいられなかった。
長い、長い葛藤の末。
意を決して、光希は『百の世界の物語』をレジへと運ぶ。
当たり前の価値観? 知ったことか。今の自分にはどんな最新ハードの新作よりも『百の世界の物語』の方が魅力的に感じる。その選択に後悔なんてない。ファミコンを全部遊び尽くすと『東方見文録』に衝撃を受けたあの時から心を決めたのだから。
枷が外れた瞬間だった。
光希のアルバイト先の喫茶店には、様々な人が立ち寄る。
買い物帰りの女性客。コーヒー一杯で何時間も粘り参考書と格闘している学生。仕事をサボってるとしか思えない自営業の壮年男性。人と話すのはあまり得意ではない光希だが、行き交う客の人間模様を傍観者として立ち聴き、眺めることは楽しかった。
店員として振る舞いながらも人間観察を密かに行っていたある時、気になる客どうしの会話が聞こえた。
「つい最近パソコン買ったんだよ、Windows98。もう面白くて夜はずっと張り付きって感じでさぁ」
「へぇ、パソコンってそんなに何をするの?」
「ネットサーフィン。色んな情報が見られるんだよ。あとメールでだけ知り合った人とやり取りしたり……文通みたいな感じかな」
「情報かぁ。俺の好きな有名人の情報とかも見られたりする?」
「できるできる。今度パソコンやりにうちへ遊びに来いよ」
パソコンの存在は、もちろん光希も知っていた。何年か前にWindows95が発売された時には、お祭り騒ぎの様子がよくニュースで流れていたものだ。何がそこまで騒ぎ立てるものなのかは当時はさっぱり分からなかったが。
「お金にも時間にも余裕がある今なら、手を出すのも面白いかも……」
そう思い、光希はバイトが終わった足で本屋へ立ち寄った。いつもチェックするゲーム雑誌や攻略本の本棚を抜けて、パソコン雑誌を手に取る。
おすすめのホームページ。インターネット上で手に入るフリーウェア。かわいい動物がメールを他人に届けてくれるソフト『ポストペット』の紹介。安さを口々に謳うインターネットプロバイダの広告、パソコンゲームの体験版……。
情報の洪水だった。よく分からないけど、何だか楽しそうではある。できることが飛躍的に増えそうな気がした。
それからしばらく光希の生活はファミコンソフト購入を除いて蓄財第一になった。パソコンを買う、その目的のために。
なんとか軍資金を貯め込み、数か月後には光希の部屋にパソコンが届いた。
選んだマシンはIBM社のモデル。専用のモニタも、タワー型の本体も、マウスも、キーボードも、どれもが初めて触るものだ。四苦八苦しながらセッティングを半日かけて完了し、ネット接続のため電話線も繋げた。この日のためにプロバイダ契約もバッチリ済ませてある。
だが、それでは早速インターネットを――とはならない。パソコン雑誌を読み込み、日中に接続したのでは莫大な電話代を請求されかねないと光希は学んでいた。
狙うは深夜、23時から翌8時までどれだけ通話しても電話料金が一定となるサービス“テレホーダイ”の適用時間帯だ。
まんじりともせず、23時を待つ。
3、2、1……。時計の秒針を確認し、23時になったと同時に光希は接続を始めた。
ピーヒョロロー、ガガガ―、ガー、ガー……。
パソコンに内蔵されたモデムが独特の機械音を上げる。接続が成功した証だ。耳障りな音ではあるが、それは同時に新しい世界への扉が開いた音のようにも感じられた。
インターネット上には、ありとあらゆる情報が渦巻いていた。
好きなアーティストの公式ホームページにファンサイト。よく立ち寄る繁華街のオススメ飲食店紹介。活発な議論が巻き起こっている掲示板。アニメやゲームを題材とした創作小説。ちょっと危険は伴うがその気になれば18禁な画像も、法の網目をかいくぐるようなアングラな知識すらも手に入る。光希はすっかり夢中になり、23時から朝方までパソコンの前に張り付いていることすら珍しくなかった。
「これほど情報があるのなら、もしかしたらファミコン絡みのホームページとかもないかな……」
インターネットライフを満喫している最中、光希はふと閃いた。
とはいえ世間的にはもう過去のゲーム機として忘れ去られたファミコン。あるわけがない。ちょっとした悪戯心を発揮するかのように、光希は検索エンジンに“ファミコン”と入力する。
予想に反してそれは、あった。
しかもひとつやふたつじゃない。ページをスクロールしてさらに次の検索結果が別ページに準備されているほど、大量に関連ページがある。狐につままれたような感覚のまま、一番最初に出てきたリンクをクリックした。
そのホームページは、掲示板が中心だった。そこには詰まってしまったゲームの攻略法を聞く者も、好きなファミコンキャラクターを訪問者にアンケートしている者も、欲しいゲームの目撃情報を求める者もいる。めいめいがファミコンの話題を好き勝手に語り合い、盛況を極めていた。
「今でもファミコンが好きな人がこんなにいるのか!」
光希は思わずパソコンの前で叫んだ。現実世界で今になってファミコンを求めるような同志などいなかったし、そもそもいると想像したことさえない。しかし、今ネット上にはこうして同じ趣味を持つ人達が存在している。顔も名前も知らないけれど、確かに日本のどこか、電話線の向こうにそうした好事家がいるのだ。
心の底から嬉しかった。そして、この人達の輪に入りたいと心から願った。
それでもしばらくは、光希は掲示板に書き込む勇気が持てなかった。
「自分みたいな新参者がいきなり書き込んでもいいのか?」
「書き込んで無視されたらどうしよう……」
そんな考えがぐるぐると回り、タイミングを逸してばかりだったのだ。
チャンスはふいに訪れた。掲示板上で、光希がつい最近クリアしたばかりのゲームの攻略法を聞く人が現れたのだ。躊躇はあるが、困っている人を見過ごすのもまた寝覚めが悪い。
意を決して、攻略法をできるだけ丁寧に書き込んだ。ハンドルネームは迷ったが、本名を少しもじって“コウ”にした。
1日待つと、掲示板に返信があった。
――コウさん、ありがとうございます。おかげでクリアできました。
安堵した。それと同時に胸の高まりが抑えられなかった。自分は今、同じファミコン好きの誰かと間違いなく繋がっている。もっと色々なゲームのことを話したい。遊んだゲームの感想を語りたい。未知のゲームを教え合いたい。
初めての書き込みの後、コウこと光希が掲示板の常連となるまで時間はかからなかった。
掲示板では顔見知り――いや、お互いハンドルネームしか知らないので名前見知りというべきか――が何人もできた。ファミコンの話だけでなく、たわいのない雑談をすることも最近では珍しくない。そんなうち、光希は常連のひとりから思いがけない言葉をもらうのだった。
――コウさんは自分のホームページ、作らないんですか?
――やってみたいです。でも難しそうで。
――絶対面白いと思いますよ、コウさんが作ったら。僕は見に行きます。
――ありがとうございます。そう言われると勇気が出ます。ちょっとこれから作り方を学んでみますね。
ホームページは、言ってみればネット上での自分の城だ。好きなことを発信し、同じ趣味や嗜好を持つ人たちと交流を深められる。
改めて考えれば、いつまでも他人の掲示板に居座っているのは申し訳ない。それに発信したいことは山ほどある。まだ誰も語っていないあのゲームのことも、きっと誰よりディープに攻略したあのゲームの情報も。
「作ってみるか、ホームページ」
光希は期待と不安に胸を膨らませながら、決意を固めた。
→第4話
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