ディレイ -ファミコン全ソフトを集めた男- #09(全13話)
#09 クルクルランド
光希が自分のホームページに書き綴った岡山・広島のレトロゲーム探索記は、なかなかの評判だった。
「面白かったです!」
そんな感想が掲示板に書き込まれるたび、光希は面映ゆさを覚えながらお礼を返信する。こうも褒められることなんて今までの人生になかった。少しだけ文章力に自信を持ち、また新しく何かを書きたいと意欲が湧き上がる。最近遊んだゲームのこと。知られてないけど全力で推したいファミコンソフトのこと。探索先で見かけた風変わりな店のこと……ネタはいくらだってある。
書いて、誰かが反応してくれる。ホームページを開設したことで見つけた、そんな素朴な双方向性が光希にとってはたまらなく楽しかった。
探索記の評判も少しは影響したのか、この頃の光希たちはレトロゲーム界隈でちょっとは名の知られる存在になっていた。ファミコンを箱説付きでコンプリート寸前の真琴、その右腕の(ネット上では真琴と付き合っていることは伏せていた)コテツ、2人を慕う新進気鋭のコレクターの光希とチェリィとして。
実際、4人は暇さえあれば集まって遊んでいた。誰からともなく誘われる「探索行かない?」の言葉が集合の合図だ。ある時はレトロゲームを探しに山奥のおもちゃ屋まで、ある時はゲーセンへ、ある時は家に集まって気になるゲームを片っ端からプレイして……。気の合う仲間たちとゲームにまみれる時間。それは至福というほかなかった。
もちろん連絡も密に取っていた。ある時などは日も変わった深夜に連絡が来たこともあるほどだ。
ネットをたしなむ身にとってテレホーダイが始まる23時からはゴールデンタイムだが、さすがに深夜1時、2時となればアクティブな者は減っていく。その日、光希もそろそろ寝ようとパソコンの電源を落とし布団に潜り込んだ。
そこに不意に携帯電話が鳴る。発信者はチェリィだった。一体こんな時間に何だ……? といぶかしみながら光希は電話に出る。
「大変やコウ! 『サーカスライド』が定価で売られてる!」
「は? いやいや、さすがにこの深夜にわざわざ電話で冗談言うのは笑えないんだけど……」
「いやホンマなんやって! 今から言う名前で検索したら出てくるから!」
チェリィは聞いたこともないネットショップの名を告げる。
Amazon。
海外資本のネット本屋だろうか? しかしサイトは日本語で表示されており、クレジットカードが必要なようだが国内からも普通に買えるようだ。
『サーカスライド』はPCエンジンで発売されたゲームだが、その販売ルートが極めて特殊だった。ゲームショップには並ばず、書店のみで流通したのだ。そのため中古ゲーム市場にはまったくと言っていいほど姿を見せず、PCエンジンコレクターにとってはコンプリート最大の壁のひとつと言われている。ネットオークションでは数十万で取引されたとの噂もあり、PCエンジンは門外漢だった光希ですら知っているレア中のレアソフトだ。
それが定価の数千円で売っているなんて、そんな美味い話があるわけが……。
……あった。
本当に、定価販売で。
「どういうこと!? なんでこんな名も知らないショップに『サーカスライド』が!?」
「俺に聞かれても知らんがな! とにかく買えるみたいやで。俺クレカ持ってるから一緒に注文しとく?」
「頼む!」
「OK! 真琴さんとコテツさんにも確認して注文しとくわ!」
チェリィが光希たちに急いで伝えたように、レトロゲームコレクター間で『サーカスライド』の情報は凄まじい勢いで広まった。異変に気づいたレトロゲーム専門店が買取を停止した、あるコレクターはひとりで何十本も注文した、かつて数十万で買ったコレクターは虚しさを感じて引退を表明した……嘘とも真ともつかない噂までもがネット上を駆け巡り、まさに祭りが巻き起こっていたのだ。数十万円のソフトが数千円で手に入る千載一遇のチャンスなのだ。誰もが放っておくわけがない。この時期ゲームコレクターだった人間は、ほぼ全員が1本はAmazonから『サーカスライド』を買ったことだろう。
一時はサイト全体の通販ランキングで無名のPCエンジンソフトが突如2位に躍り出るまでの事態になった。だが、それほどまでに注文が入っているにも関わらず在庫切れにならない。なってもすぐに復活し、定価以上に値上がる気配すらない。一体このAmazonというサイトは『サーカスライド』を何百本抱え込んでいたのかとコレクターの誰もが疑問に思った。
やがてあふれ返った在庫は、レトロゲーム専門店にも多数流れていく。もはや『サーカスライド』は珍しいソフトでも何でもなくなり、定価前後で価格は落ち着いた。プレミアが崩壊した瞬間だ。
プレミア価格は絶対不変ではないとコレクターに知らしめた狂騒。誰ともなく“サーカスライド事件”と呼ばれたこの一件の中で光希が得た最大の収穫はソフトなどではない。いの一番に大事を知らせてくれる、信頼できる仲間に囲まれているのだと改めて気づけたことだった。
その信頼できる仲間のひとり。
真琴が、すべて箱説付きでのファミコン全ソフトコンプリートを達成した。
全ソフトのコンプリートを果たした者は過去にも居る。しかし箱、説明書、その他すべての付属品も揃った状態で達成したのは、少なくとも光希が知る限り真琴が初だった。
真琴のホームページの掲示板には達成を称える書き込みが渦を巻き、それは真琴の人脈の広さを証明しているかのようだった。多くの同好の士に慕われる、彼女だからこそ前人未到の偉業を達成できたに違いないと光希は多数の祝辞を見て思う。掲示板におめでとうの書き込みはしたものの、直接自分の口からも伝えたかった。
「わざわざお祝いだなんて、何だか照れるな」
光希とチェリィの対面にはコンプリートを達成したばかりの真琴が座っている。普段はクールな雰囲気を崩さない真琴だが、この日は少し照れているように見えたのは光希の気のせいだろうか。
直接お祝いがしたいと思い立った光希は、すぐにチェリィに連絡を取って真琴のお祝いを計画した。日頃ゲームを買いまくっている2人は金欠が常だが、今回ばかりは金を問題にせずしっかりとしたお祝いがしたい。そこで普段まず行かないような、廻らない寿司屋に予約を取ったのだ。
「俺とコウのおごりですんで好きなもん頼んでください!」
「コンプリート、本当におめでとうございます!」
3人で乾杯をする。ビールを一気に飲み干し、真琴が言った。
「ありがとう。次はコウ君、チェリィ君、君たちの番だね。2人とも残りはあとどのぐらいだったっけ?」
「俺は今850本超えたから残り400本ちょいです。コウもそんなもんやったよな?」
「ですね。さすがに最近あまり増えなくなってきました……」
そうだろうね、と真琴がうなずく。
光希は最近、レトロゲーム探索に行っても未所有のソフトをなかなか見つけられずにいた。おそらくチェリィも同じだろう。コンプリートを目指すコレクションは最初こそハイペースで行けるが、後半になればなるほど歩みは遅くなるものだ。先達である真琴ならきっと痛いほど経験してきた道だろうと思い、ついつい弱音を吐いてしまう。
「ほんの少し、手助けをするよ」
真琴がバッグの中から何かを取り出し、光希とチェリィにそれぞれ手渡した。受け取ったものをじっくり見て、2人は驚嘆の声を上げる。
「これ……ディスク版の『クルクルランド』じゃないですか!?」
「こっちは『データック幽☆遊☆白書』!? 真琴さん、こんなん流石にもらえへんですよ!」
2作ともコンプリートのとても高い壁となるタイトルだ。それこそ1本入手するだけでも恐ろしく難しいのに、真琴はあっさりと他人に譲ろうとしている。これがコンプリートを達成する者の凄みなのか。
「気にしないでいいよ、集めているうちダブったものだから」
それに、と真琴は続ける。
「私がここまで来られたのは、君たちの助けがあったからこそだから。例えばコウ君、『けいさんゲーム5・6年』のことは覚えているかい?」
言われて光希は思い出した。あれは大阪の下町を歩いてゲームを探していた時のことだ。古びたおもちゃ屋で『けいさんゲーム5・6年』の新品を見つけたことがあった。
「確かこれ、真琴さんが探していたな……」
「けいさんゲーム」は1年、2年、3年、4年、5・6年と計5作も発売された学習用ソフトだが、どういうわけか高学年用ゲームになればなるほど箱説付きの美品が市場には出てこないコレクター泣かせのアイテムだった。「あと5・6年さえあればシリーズ揃うんだがな」と以前に真琴が言っていたことを覚えていた光希は、真琴にすぐ連絡を取ったのだ。
「なんだって!? それは是非ともお願いするよ。本当にありがとう!」
いつも世話になっているのだ。助けになれたのならそれだけで嬉しい。そう思って取った当たり前の行動だった。こうして真琴に言われるまで忘れていたくらいに。
「私はね、本当に嬉しかったんだよ。わざわざ連絡をくれたことが。だからこれはあの時のお返しだと思ってくれればいい」
光希だけではない。きっとチェリィも似たようなことがあったのだろう。何の打算もなく、真琴が喜んでくれるならと取った行動が。
2人は真琴の気持ちを汲み、ありがたくレアソフトを受け取ることにした。
「そうそう、もうひとつ伝えたいことがあった。実は今度、週刊誌の取材を受けることになったんだ」
事も無げに放った真琴の言葉に、光希とチェリィは飲んでいたビールを吹き出しそうになった。取材? 全国の書店に並ぶような雑誌の!?
コンプリートを果たした後、週刊誌の編集者から「是非話を聞きたい」と真琴にコンタクトがあったそうだ。ファミコン全ソフトコンプリートとはそれほどまでの偉業なのだと改めて感じさせられる。今まさにこの瞬間目の前に居る人なのに、何だか真琴が遠い存在のように光希には感じられた。
数週間後、真琴が取材を受けた週刊誌が発売された。もちろん光希は朝イチから本屋に立ち寄って購入する。
“全ファミコンソフトを集めた美人コレクターに独占取材!”
あおり文からして飛ばしている。そこには数ページに渡り、集めたゲームに囲まれる真琴の写真やインタビューが掲載されていた。
光希は、コレクションで有名になりたいとは思ってはいない。ファミコン収集はどこまで行っても自己満足に過ぎない趣味なのだから。
それでも、行きついた趣味をひとつの形として残した真琴の姿には、羨ましさを感じた。自分の成果を、好きなものを広く認められたいと願うのもまた人間の心理なのだ。
時は21世紀になっているが、相変わらずファミコンは一般的には過去のゲーム機にしか過ぎなくて、再評価の機会なんてそうそう無い。ゲームのリメイクだって滅多にあるわけではない。ただのユーザーに過ぎない自分にはおこがましい考えだとは分かっていても、過去の遺物としてファミコンが消え行きそうな状況を変えたいと光希は思い続けていた。
いや、光希だけではない。真琴も、チェリィも、コテツも、そしてわざわざホームページを作ってファミコンへの愛を世界に発信している者たちも、誰もがそう願っているはずだ。好きなものが正当に評価されないことほど、哀しく残念なことはないのだから。
――いつか、ファミコン再評価の一助を担えたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。
そのために今の自分に何ができるかは分からない。だが、きっと集め続けることで何かが見えてくるはずだ。
雑誌記事の中、パワーグローブを片手に装着してポーズを決める真琴の姿は、光希にとって道を示してくれているように思えた。
→第10話