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ディレイ -ファミコン全ソフトを集めた男- #07(全13話)

#07 聖鈴伝説リックル

 人生の中で、降りることのある駅はどれぐらいあるのだろうか。
 通勤通学で毎日のように足を運ぶ駅、旅先で気が向いてふらっと降り立つ駅、名前は知っていても寄る機会に恵まれない駅、なかには死ぬまで存在をかけらも知ることのない駅もあるに違いない。
 きっとそれぞれの駅に、自分が知らない名所や人々の営みがある。だけどその全てを知ることは不可能だ。一生はあまりに短すぎるから。
 自分がファミコンソフトを集めることも、もしかしたらそれと同じなのかもしれない。全1240本を集め終えたとして、死ぬまでにその全てのゲームを遊び尽くせるだろうか? せめて語れる程度になっているだろうか?
 それでも――今は1本でも多く集めて、遊んでいきたい。道半ばになって、まだ遊びたいのにと未練を残しながら逝く人生も、それはそれで悪くない気がするのだ。少なくとも何も行動を起こさなかったよりは。
 何よりも今は、こうして出かけて店を巡るたび見知らぬゲームに出会えることが、一歩一歩でも全ソフトコンプリートという目標に近づいている行程が心から楽しい。RPGで経験値を貯めてレベルアップを目指すように、前に進んでいる実感が確かにあるのだ。

 そんなとりとめもないことを、光希は駅の改札前で考えていた。
 降り立とうと思うどころか、つい先日まで名前すら知らなかった駅。来た理由はチェリィからの電話だった。

「今度会わせたい人がいるんやけど大阪来れる?」

 教えられた待ち合わせ場所が、この見知らぬ駅だったというわけだ。駅前には雑多に個人商店が並び、自転車に乗った中年男女が行き交っている。いかにも大阪の下町といった感じで、特に何があるという様子でもなかった。来る前に調べた限りでは、ファミコンが置いているおもちゃ屋やゲームショップがあるわけでもないようだ。
 チェリィは少し遅れるようで、かといって見知らぬ町を散策するだけの時間があるかどうかも判断がつかず、光希は結局駅の改札前で待ち時間を過ごすことになった。時間があると、普段は意識しない範囲まで思考は届いてしまうというものだ。

 やがてチェリィが駅へとやってきた。
 しかし当然ひとりではない。ないのだが……光希はその隣にいる人を、しばらくチェリィの同行者と認識できなかった。物理的に姿が見えないわけではない。あまりにもその場に似つかわしくない存在だったからだ。
 すらりと伸びた長身。服装こそTシャツに細めのパンツを合わせたラフなファッションだが、その飾らなさが逆にスタイルへの自信さえ感じさせる。ややウェーブがかった黒髪のショートボブに眼鏡が似合う――そこにいたのは、およそひなびた商店街には場違いとも思える、知的さと色香を備えた女性だった。小太りで背の低いチェリィと連れだと言われても、おそらくすれ違う誰ひとりとして納得しないだろう。

「いやー待たせてすまん。早速やけど紹介するわ。この人が会わせたいって言ってた真琴さん」

 なんでそんな動じずに紹介できるんだよ……と光希は心の中でチェリィに毒づかずにはいられなかった。中学、高校、大学と積極的に女性との接点を持たなかった光希にとって、この邂逅は不意打ち以外の何物でもない。
 第一声で何を話せばいい? いきなりゲームの話を聞いていいものなの?
 ファッションなんて何も考えず出てきたけど今日はおかしな恰好していない? まさか臭ったりしない? 
 会話のシミュレーションと、外見を気にする思い。両方が脳内を超高速で駆け巡る。だがこういった場面の経験に乏しい光希のどこを探してもスマートな答えなどなく、結局絞りだした言葉は「ど、どうも……」と消え入りそうな言葉のみだった。
 そんな光希の様子をいぶかしがる様子もなく、光希の目をしっかり見据えて真琴が言った。

「ふふ、そんなに緊張しなくていいよ。はじめまして、コウ君。君の活躍はネットでよく見させてもらっているよ。面白い文章を書く人がいると思ってね、聞けばチェリィ君が仲がいいって言うから紹介をお願いしたんだ」
「あ、ありがとうございます。チェリィとは知り合いなんですか?」
「実は私「おもしろ館」にはよく通っていてね。ファミコンソフトを何度も買ってるうちチェリィ君と話すようになったんだ。私も一応、ファミコンソフトを集めているんだよ」

 女性でファミコンコレクター? あまりに珍しすぎる存在に、ただでさえ追いついていない光希の情報処理能力はオーバーヒート寸前だった。
 ファミコンはブーム当時のメイン層が男の子だったため、同じように遊んでいた女の子自体が少ない。現在ネット上でファミコンを語らう人々もほぼ全てが男性だ。ただでさえ男子校のごとくむさ苦しい世界なのに、ましてわざわざ今ファミコンソフトを集めようとする女性など――。少なくとも、光希はそんな人がいる可能性自体考えたことすらなかった。

「いやいや一応なんてもんじゃないでしょ真琴さん。コウ、この人ホンマ凄いねんで。ファミコン全部箱説付きで集めてるねん。それで今の所有数は1000本行ってるんやで」
「は!?………………え!???」

 光希は今度こそ言葉を失った。
 所有数1000本超え?
 それも箱と説明書も揃った状態で?

 いぶかしがるには理由があった。所有数はお金さえあれば手当たり次第にソフトを買うことである程度伸ばせる。確かに1000本超えは凄いが決して非現実的な話ではない。しかし箱説付きとなると話は別だ。
 ファミコンは基本的に子供のおもちゃであり、ソフトは大事にされても付属品の箱や説明書はぞんざいに扱われるのが常だった。幼い頃買ってもらった玩具の思い出はあっても、間違いなく購入時にはあったはずの箱や説明書がどういう運命を辿ったかまで覚えている人などほぼ皆無だろう。つまり箱説まで残っているファミコンソフトは非常に珍しく、狙って揃えようとすれば収集難易度は跳ね上がる。古着やレコードなどのヴィンテージ品で言えば、デッドストック品か新品同様の“ミント”と呼ばれる良状態のみ買うと縛りをつけるようなものだ。ちなみに光希は遊べればいいと考えていたこともあり、箱説付きでファミコンソフトを揃えることなど早々に諦めていた。
 その無茶を、目の前にいる人はやってのけているのだという。そんなことが本当に可能なのだろうか――

「あり得ない、って顔をしているよ」
 ほのかな微笑を浮かべた真琴の声で、光希は現実に引き戻される。

「まぁいきなり信じろって言われても無理な話だろうね。でも私はねコウ君、君には信じてほしいんだ。だから今日、ここへ呼んだ」

 話が飲み込めない。真琴が多数のファミコンソフトを箱説付きで所有していることと、この場所に何の関連性があるというのだろうか。そんな光希の疑問に答えるように真琴は続ける。
「これから行く場所を見れば、すべて分かるよ」

 商店街は終点に差し掛かっている。真琴に続き、光希は行き先も分からないまま歩き続けた。おそらく目的地を知っているであろうチェリィはニヤニヤしながらその後ろをついてきている。光希が聞いても「いや俺が行き先言うわけにはいかんなー」とはぐらかすばかりだった。

 やがてたどり着いた商店街の外れ。そこにあったのはガラクタのような品々がうっそうと積み上げられた質屋だった。店の玄関らしき場所に立てかけられた無骨な板には“マルフク”と大書されている。おそらくこれが店名だろう。
 質屋は盲点だった、と光希は思う。近い業種のリサイクルショップは何度もゲームソフト探索で訪れているが、光希はこれまで質屋には入ったことがなかった。ブランド物のバッグや時計など高価商品を扱っているイメージがあり、ゲームソフトは置いていないだろうと先入観があったためだ。
 物があふれ人ひとり通るのがやっとの入口を、真琴は躊躇などまったく見せず奥へと進んでいく。店内は物こそ多いものの意外と整頓されていた。ことのほか広く、衣服に骨董品、日用雑貨に至るまでありとあらゆる物が陳列されている。
 店の奥まで行った真琴が立ち止まる。その前には両手で抱えられるほどのサイズのダンボール箱が積み重ねられていた。ベージュ色の箱側面に目が行き、光希は思わず声を上げそうになる。そこに見慣れたファミコンゲームのタイトルロゴが印刷されていたからだ。

「カートンダンボール!?」
 ゲームソフトが小売店に納入される際、ソフトはカートンダンボールと呼ばれる数十本入りの箱に入って届けられる。ファミコンの場合は普通サイズのソフトならカートンダンボール1箱に20本入りだ。そのカートンダンボールが無造作に置かれているということは、ここには新品同様のデッドストックが山と残っていることに他ならない。その数ゆうに数十タイトル。宝の山としか言いようのない光景だった。

“真琴さんは箱説付きでファミコンソフトを1000本以上集めている”
 光希はその言葉を今更ながらに信じた。いや、信じさせられた。こんなとんでもない穴場を知っている人なら十分あり得る話だ。

「すげぇ……! 真琴さん、どうやって見つけたんですかこんな場所」
「地道な探索の結果、としておこうか。どうだい? 少しは私のことを信じてくれる気になったかな」
「もちろんです! 行動で示されたって感じですよ」
「それは良かった。そうそう、まだここは他の人に荒らされてないはずだから、気になるソフトがあったら是非どうぞ。定価だけどね」
「え、じゃあここって僕とチェリィ以外には教えてないんですか?」
「いや、もうひとりだけ知ってる。まぁおいおい紹介するよ」

 この場所を知っているもうひとり。どんな人か気になるところではあったが、今の光希にはそれ以上に差し迫った難題があった。店に眠るソフトはすべて定価販売。しかし持ち合わせがあまりないのだ。買えて1本というところだろう。何を買うか厳選する必要がある。
 光希はまず、スポーツゲームとレースゲームを選択肢から外す。どちらも中古市場にあふれており、探せば箱や説明書のついたものも簡単に見つかるからだ。わざわざここで買う必要はない。同様の理由でマリオやドラクエなどのメジャー系もスルーの一手。ここで狙うべきはなるべくマイナーな作品、それも出荷本数が少なくなった1990年以降のソフトがベストだと判断する。
 探していくと条件に合うゲームがひとつあった。『聖鈴伝説リックル』というアクションゲームだ。発売は1992年。少し「ロックマン」シリーズに雰囲気が近い横スクロールアクションだが、最大の特徴はそれぞれ特技を持った人間の少年、ドラゴン、ゴーレム、ネズミの仲間4キャラを入れ替えながら難所を突破していく点。もはやファミコンが市場の中心ではなくなった時代に複雑めのシステムを取り入れたゲームであり、作り込まれた良作の予感がプンプンしていた。実際、ホームページだったか掲示板だったか見た場所ははっきりしないものの、猛烈に推している人をネット上で見かけた覚えが光希にはあった。マイナーではあるが、気になっていた作品のひとつだったのだ。

「おお『聖鈴伝説リックル』だね。私もプレイしてみたけど面白かったよ。さすが良いチョイスだ」

 真琴から声をかけられる。お褒めの言葉に、光希は自分の目利きを保証されたようでにやけそうな顔を必死にこらえた。

 見ればチェリィもソフトを購入済みのようだった。この場所を知っているような先程の素振りから、おそらく先に真琴に知らされてから何度か来ているのだろう。それでも来るたび購入してしまう、魔力のような底知れなさがこの“マルフク”にはあった。


「いや相変わらずホンマ凄いっすわここ! 穴場なんてレベルやないですよ、これはもう聖域ですよ!」

 チェリィは真琴にまくし立てる。大げさだとは思うが、光希も心の中で同意した。何より聖域という表現が的を射ていると感じたのだ。限られた者だけが知る宝が眠る地。それは誰にも教えたくない、とっておきの場所に思えた。


→第8話


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