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レディ・プレイヤー1

今日のタイトルなんだろう?と思った方もいるでしょう。こんばんは。

映画のタイトルです。舞台は20数年後の米国。

監督はあの、スティーブン・スピルバーグ。もちろん映画の評価は千差万別だと思うが、本当にまた未来が楽しみになった。

僕は実はSFや近未来が舞台の映画が大好きだ。今はすっかりご無沙汰しているけど、ビデオゲームも学生時分は大好きだった。だから、圧倒される映画だった。

実は以前からとても気になっていて、確か民放でもすでに放映されていたと思うが、今朝長男と長女と妻とで初めて観た。

特に是非観て欲しい人
・近未来や未来が好きな人
・映画好きな人
・ゲーム好きな人
・最先端のVRとかARに興味がある人
・アニメ好きな人
・デジタル世代のお子さんがいるご家庭

あらすじとかは避けて、僕は至るところで感動したし、子供の時や学生の時に夢中になって観ていた映画とかゲームをしていた自分を思い出したし、こんな未来のシナリオもありありだなと思った。

マイクロソフトが先月始めにメッシュという複合現実(MR)の世界で物理的に異なる場所にいる人たちがさまざまなデバイス上でコラボレーションしたり共有型ホログラフィック体験に参加したりすることが可能になるデバイスをお披露目した。

なかなかイメージしづらい人もいると思うので、是非↑の動画を観て欲しい。遠隔医療も可能だし、コロナ禍でZoomとかTeamsとかでビデオ会議をしている人もいると思うがこの世界だと家の隣にスピーカーが現れたり、空港の管制官が大きな地球儀のもとに日本とブラジルの管制官同士で話したり、ひとつの建築を巡って各国の建築家が協議したりできる。

そう今みんなは現実の世界にいる、リアリティという空間や世界で生活しているが、この映画の世界は仮想現実、人が創り上げた世界で普通に会話したり、歩いたり、飛んだり、跳ねたり、独創的な世界観で何でもできる。

そうポイントは今出来ないことがほぼ全て可能になる。

時間と距離の概念がここでは覆され、気にしなくてもよくなる。
きっと未来もそうなるのかもしれない。

僕は映画を観ながら途中たくさん考えることやイメージすることや、可能性を閃いた。なぜならこの世界では現実と真逆の事が実現可能だからだ。

現実世界ではディスグラフィアやディスクレシア(文字を手書きすることに困難がある人、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害)の人がいて、実はとんでもない才能の持ち主なのに書く字が判読できないや、汚いというだけで本来の能力が発揮できないでいる人が多い。

先日テスラのイーロン・マスク氏が新たに設立した会社、ニューラリンク(人間の脳とコンピューターのインターフェース開発に特化する新興企業)が脳にチップを埋めたサルが「Pong」を思念でプレイする動画を公開した。脳だけを使ってサルがビデオゲームをプレイしたと言った方がわかりやすいだろう。

これって現実世界で書くことに障害がある人や、話すことに障害がある人、極度にあがり症の人たちにとってとてもいい事ではないだろうか。思ったことを書くのではなくて音声にして、それをAIが書いて、伝える。

映画の世界でも同じような展開がある。仮想現実の世界では自分の容姿は何にでもなれる。そして、何を発してもいい。利き手をかざすだけで、自分の持ち物がホログラムでディスプレイされて何を使うのか選べたり、指パッチンすると服や髪型が変わる。現実世界で出来なかったことが可能になる。

時と共に人はヒトへと変化していくと思う。動作や所作が変化するような気がしてならない。書くという行動が段階的に減少していって、いずれサインをする時だけにとどまるのかもしれない。話すことと聞く(聴く)事はずっと続くだろう、でも技術と共に失われていく動作も想像できる。

現実から非現実の世界にずっと没頭する人も出てくる可能性は結構高いのではないだろうか。

少し脱線するが僕は人の未来について考えるようになった。

イスラエル人の天才歴史学者と言われているユヴァル・ノア・ハラリという人が書いた著書「ホモ・デウス」はご存知だろうか。未来の人間を推察した作品だ。ホモ=人、デウス=神だ。そう、人は未来では神になると言う結論から始まり、なぜそういうシナリオが待ち受けているのかについて書かれている。詳しい内容については以下の解説チャンネルを参照して欲しい。

未来は誰も確実な予想は出来ないが、ここ数年で目の当たりにしてきた事実はある程度少し先の未来もイメージできるようになるのではないだろうか。技術の進化は世の中の為であればいいが、人間の野生動物や家畜を扱ってきた歴史を振り返るとテクノロジーもメリットとデメリットがあるような気がする。

さて、少し話を映画に戻すとしよう。

生後半年で映画館に連れていった両親のかいあってか、僕は小学生からハリウッド映画が大好きだった。この映画には何かスピルバーグ自身のこれまでの夢とか気持ちとか思いが集約されている気がする。とてもユニークなのだが、物語の設定は明らかに未来なのだが、登場するキャラクターはほぼ全部が過去に存在したキャラクターなのである。映画監督、映像にもこだわりがありこれまでいくつかのキャラクターを確立させたスピルバーグ自身の回顧録でもあるような気がしてならない。

映画もその時の個人の気持ちと同じである時は全然いいと思わなかった映画や未来をテーマにした映画だと現実とあまりにも乖離していて全く興味がないと言う人も当時はいたと思う。でも不思議なのは少しおとなになったり、少し時間が経つと実はとても面白かったりする。

僕はこの映画に出てくるいろんなゲストキャラクターほぼ全て網羅出来た。それは、実はこれまで自由に映画を観る環境を創ってくれた両親のおかげなのかと思うと少し込み上げて来た時もあった。

だから、映画を観ていて少し驚いたのは僕は長男がきっと好きになる映画だと思ったが、長女が目をキラキラさせて夢中になっていた。

二人共、これからあっという間に学校に行くことも卒業する日がもうすぐそこにやってくるだろう。この映画を観て思ったのは、僕が子供たちにしないといけないのは年相応の時の過ごし方を見守ることだろう。

そこに制限はあってはならない、なぜなら未来でふと過去を振り返った時にどれだけ自由で自分がしたいことが出来て、友達と楽しい時を遊んだり、観たり、聞いたり、笑ったりする瞬間はその時でしかないし、未来になった時にその遊びは大きな思い出となり、きっと自分の子供たちにも同じことを思い、そうするだろう。僕が今出来ることは精一杯、そっと見守ることなのかもしれない。信じること、これが実はとても大切なのかもしれない。

それにしても本当に仮想現実の世界ってすごい。ヒーローになれる可能性もあるし、自分が想像する世界も創ることが可能だし、仮想現実の空間で新たな試みを実験してもいいんだと思う。

いろんな想像力やこれからの未来のヒントになる映画だった。実はもう喉元までシナリオをいいたくなっている自分もいるのだが、今日はここまでにしておこう。そう、皆さんにもいろんな気持ちや興味があると思うので、そっとしておきたい。今日もお読み頂きましてありがとうございます。

追伸
今日のフォトはhiyoco_hiyoさんの作品。今日もクリエーターさんに感謝。

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