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【短編小説】盲目の介錯人 後編

 そして、その日は突然訪れた。
 うたとわかの命日。まるで、神がその日を狙ったかのように、奴は唐突に喜介の前に現れた。
 押し込み強盗の常習ということだったが、すぐにそれだとわかった。不思議なものだ。この五年間、気配だけを見てきたが、気配を見ずともすぐに気づいた。
 いや、殺気という気配が「見えた」のだ。奴も、介錯人が誰であるかがわかっている。
 心の水面が激しく揺れる。
 そして思った。
 奴が殺気を醸し出すのはおかしい、逆だろうと思った時、奴は笑った。高らかに笑った。間違いない、あの時の声だ。逃げていく時の笑い声。
 あの時のことが思い出され、同時に感情の波が押し寄せ、思わず叫び出しそうになる。体が震えていた。
「切腹人!」
 添介錯人が注意する。その声で衝動は若干鎮まったが、体は、微かだが震え続けていた。
 怒りのせいか。武者震いか。
 奴の笑い声は止んだが、今度は反抗的な声で、最後の食事は要らないと言う。そして、
「生きていやがったか……目くらになって介錯人か。死んで家族の元へ行けばよかったものを」と挑発してくる。
 再び添介錯人が注意。だが、奴の口は動く。
「死ねねえのか? 死ぬのが怖いのか? ふん、死ぬも地獄、生きるも地獄か。まあ、自業自得だけどな」
 言葉と共に、最後は唾を吐き出したようだ。
 自業自得……どういうことだ。喜介は考えた。だが、考えても答など出るわけもない。それに、冷静に頭を働かすことのできない状態に喜介はいた。
 今すぐにでも斬りたい。切り刻んでやりたい。みねうちで叩きのめしたい。嬲り殺しにしてやりたい。
 うたとわかの仇を討ちたい。
 復讐を遂げたい。
 気づけば肩で息をしていた。添介錯人が心配して声をかけてくる。喜介は、大丈夫だとばかりに手を挙げた。だが、その手は震えている。全身がまだ微かに震えていた。
 奴がまた笑い始めた。
 喜介は一度深呼吸をすると、名乗り、奴の背後にまわった。
「名乗らなくても知っている」
 奴が言う。
 喜介は、奴の首筋から肩甲骨の間にかけて指を這わせる。
「気持ち悪いな、触るなよ、目くら!」
 奴が体を揺する。あの時のことを思い出したのか、声に苛立ちと戸惑いの色が混じる。
 間違いない。いや、もうすでに疑いようがなかったが、あくまで最後の確認だ。
「手が震えているぞ。失敗するなよ、座頭!」
 奴の声が微かに震えていた。盲目の喜介にだけわかる変化。
 それにより、喜介は少し冷静になれた。
「怖いのか?」
 静かに問う。
「へっ! 怖くなんかねえ。てめえが失敗しないように祈ってやっているんだ。介錯に失敗したら、切腹なんだろう?」
 確かにそうだ。介錯人は、一太刀で斬り損ねるなどの失敗をし、切腹人を苦しめた場合、死罪となる。
「なぜ殺した?」
「ふん、どうだっていい」
「なぜ、殺したんだ!」
 より強く問う。
 添介錯人が言葉を発しそうな気配が見えた。喜介は剣を持たない方の左手を挙げ、彼を制した。どうしても訊き出さなければならない。
「なぜだ?」
 奴は答えない。
 喜介は静かに待った。すると、最期にすべてを話す気になったのか、あるいは、少しでも死ぬのを先に延ばしたいと考えたのか、とにかく奴は口を開いた。
「復讐だ」
「復讐?」
「そうだ。親の仇だ」
「親の……仇?」
「儂は、てめえの父親が殺した盗賊の頭領の息子なんだ」
 あの時のことか……父が、たった一人で十人の盗賊に立ち向かい、全員を斬り殺し、そして、父もまた命を落とした、あの時のことか……。
「親をなくしたせいで、どれだけ苦労してきたことか。儂の大切な者を奪いやがって……」
「……」
「本当は、てめえの父親に復讐してえところだったが、その時に死んじまったからな。だから、てめえに復讐したんだ」
「……」
「大切な者を失う気持ちってのはどんなもんだ?」
「……」
「ざまあねえな。妻と子を殺され、てめえは介錯人か。情けねえ。よくそんな仕事をしていられるな。侍の誇りも何もねえのか」
 奴の言葉など、少しも気にならなかった。それより、今さらながら気づいていた。喜介に愛する家族がいたように、盗賊にも、同じように家族がいたということを。
 喜介の心の水面が揺れた。だが、さっきまでとは明らかに異なる揺れだった。
 迷っている。
 奴が現れたら、どうしてやろうかと、何度も何度も、それこそ夢の中でさえ何度も考えた。そして、出る答はいつも同じだった。
 一太刀で終わらせるわけにはいかない。
 もちろん、介錯の失敗は、死を意味する。構わなかった。それでもいいと思った。復讐を成し遂げられるのなら、死んでもいい。いや、むしろ死にたかった。
 死ねば二人に会える。だが、奴から、復讐のためにうたやわかを殺し、喜介を盲目にしたと聞いて、心がざわめき立った。
 それを言うのなら……喜介だって、大切な父を、奴の父親が率いる盗賊に殺されているし、大切なうたとわかを殺され、その復讐のために今まで生きてきたといっても過言ではない。
 しかし今、喜介は哀しかった。そう、復讐は哀しい……復讐は復讐を呼び、繰り返され、永遠に終わることがない。復讐は復讐を生むが、実は何も生み出さないのだ。
「おい、聞いているのか、介錯人!」
 奴が吠える。やはり、その声は少し震えていた。
 反対に、喜介の体の震えはきれいに消えていた。
「怖いのか?」
 問う。
「なんだと!」
「怖くないなら、早く短刀を手にしろ」
「て、てめえ……」
「怖いんだろう。でも、おまえが今まで無慈悲に殺してきた人たちは、もっと怖かっただろうな」
「……」
「心配するな。気づかぬうちにあの世へ送ってやる。おまえが痛みを感じることはまずない」
「……」
「私は失敗しない」
 それでも、奴は短刀に手を伸ばさない。奴が震えながら、しかし、喜介の方を睨みつけている気配がよく見えた。
「そんなに睨むな。おまえは復讐を遂げたわけだろう。私から妻子を奪い、光さえも奪い去った。思い残すことは何もないはずだ」
「お、おまえ……見えているのか……」
「気配がな。気配が見えておる」
「……」
「心配するな。私が今からすることは、おまえの復讐に対する復讐返しではない。仕事だ。今まで数百人を介錯してきたが、おまえも彼らと同じで、私にとっては何ら特別な存在ではない。ただの切腹人だ」
「……」
「繰り返すが、痛みなど感じる暇もなく、あの世に送ってやる」
 それでもまだ睨み続けている。
「介錯人、そろそろ」
 添介錯人が声をかけてくる。
 切腹人がいつまでも短刀に手を伸ばさない場合、有無を言わさず斬る決まりになっている。
 喜介は小さく頷いた。と、その気配を感じたのか、次の瞬間、奴が短刀を手にし、喜介に向かってくる気配が見えた。奴の叫び声も聞こえてきた。
 想定の範囲内だった。
 喜介は冷静に、右後方へと飛び、そして、何の躊躇もなく、奴の首を刎ねた。
 首は飛ぶことなく、静かに前方に落ちた。一拍遅れて、奴が前へ倒れる。まるで、自分の首を抱えるような体勢になる気配が見えた。
「み、見事……」
 添介錯人が思わず声をあげている。
「いつもどおりです。いつもどおりの仕事です」
 喜介はそう言い、刃を拭うと、いつものように検視役の見立てを待たずに、刑場に背中を向けた。
 その瞬間、瞼の裏に、久しぶりに二人が現れてくれた。うたとわか。二人とも笑顔だった。
「!」
 ようやくわかった。
 二人は、喜介が復讐のためだけに生きていることがつらかったのだ。哀しかったのだ。だから、喜介の前に現れてくれなかったのだ。
 だが今、穏やかな笑顔を見せている二人は、安心しているようだ。
 涙が自然に溢れてきた。
 復讐という名の下に、命を落とすこととなった残酷な運命を憎むことなく、身を持って復讐の哀しさを知っている二人は、喜介が復讐に固執することを良しとしなかった。
 もしかしたら、自分たちが姿を見せないことで、喜介が復讐を忘れてくれるのではないかと考え、出てきてくれなかったのかもしれない。
「ごめん……ごめん……」
 涙を拭う。 
 復讐を遂げたら死のうと思っていた。いや、そもそも死罪だ。だが、喜介は、哀しい復讐者ではなく、介錯人の道を選んだ。
「生きようか」
 呟いていた。
「生きていこうか」
 二人も頷いてくれている。
 二人と会話を続けながら歩く。気づけば、長屋まで来ていた。
 喜介の晴れやかな顔を見た長屋の住人たちが気づいたようだ。奴を介錯したことを。
「喜介殿、もう介錯人はやめるんですかい?」
 誰かの問いに、
「続けます」
 と、喜介は即答していた。
 そう、復讐のために始めた介錯人の仕事だが、結果的に、この仕事が生きるための力をくれた。この仕事を始めなければ、廃人になるか、復讐の鬼となって、命を粗末にしていたかもしれない。
 今、喜介は介錯人という仕事に誇りを持っていた。
 ただ……介錯は虚しい。そしてせつない。そもそも、介錯人など必要のない世の中になれば、それが一番いいのだ。
 そんな日が来るまで、喜介は介錯人を続けることにした。
「続けるよ、介錯人」
 虚しさと、せつなさを抱えながら、再び喜介は呟いた。
 うたとわかに向かって。
 
                               (了)

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