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【掌編小説】ヒットマン

 相手には何の恨みもなかった。いや、俺が仕えるオヤジに牙を剥く相手なのだから、俺にとっては恨みのある相手だ。俺は自分にそう言い聞かせ、アパートと散髪屋の間の路地で息を殺していた。
 掌には汗、拳銃がやけに重い。今朝、兄貴分から拳銃を手渡された時、まず思ったのが、映画の二丁拳銃なんて嘘だということだ。あんなもの不可能だ。技術以前に物凄い力が必要だ。それほど重い。重さだけでなく反動に耐えうる力も必要だろう。その上、グリップが厚く、うまく握れない。おまけに緊張のせいで汗をかき、そのため滑り落としそうだ。汗をかくのは掌だけだった。真冬だ。路地だ。風が吹き抜けていく。寒い。緊張の脂汗。
 何か他のことを考え、緊張を鎮めようとした。だが、つい標的のことを考えてしまう。
 といっても、相手のことは何ひとつ教えられていなかった。写真で顔を確認し、喫茶店で一度動く標的を見ただけだった。名前も年齢も家族構成も何も知らない。それは、鉄砲玉である俺に、余計な先入観を与えたくないという組のやさしさなのか、俺ごときチンピラに教える必要などないという判断なのか、おそらく後者だろう。決して自分を卑下しているわけではなく、自分が親分でもそうしたと思うからだ。そして俺は、この仕事をきっかけにチンピラを卒業し、幹部への道を歩むつもりでいた。
 だからとにかく今は、標的を弾くことしか考えていなかった。相手がどんな人間でどういう過去を背負い、何を考え、誰と人生を歩んでいようが関係なかった。そう自分に言い聞かせた。
 それでもつい考えてしまう。自分のことがあるからだ。俺には銀行員の父親と教師の母親がいる。幼い頃から厳しく育てられ、勉強ばかりさせられた。それが反動となり、中学へ上がる頃になると親に反抗し、暴力を振るうようになった。親は俺を諦め、弟に期待を移した。
 俺は高校へは行かず、家を出た。そして街をうろつき、ゴロツキになり、二十歳の時、今の兄貴分に拾われ、準構成員となった。それから半年、この仕事を任せられた。兄貴分は言った。大抜擢だと。勤めを終えれば幹部だとも言ってくれた。自分を追い越して、若頭になるのも夢じゃないとも言った。羨ましい、代わってほしいくらいだ、とも。
 そんな言葉にのせられ、有頂天になり、引き受けたが、いざ実行となると、なぜかあれほど憎み、嫌った両親や、勉強もスポーツも俺よりでき、嫉妬心さえ覚え、両親と同じように嫌いだった弟のことが思い出されたのだ。もし、この仕事に失敗し、殺されたら家族は悲しむだろうか。反対に成功し、懲役に行くことになっても悲しむだろうか。自業自得だと笑うかもしれない。それとも、俺を叱ってくれるだろうか。もう五年以上会っていないが、俺のことを覚えてくれているだろうか。
 そんなことを考えていると、つい標的のことをあれこれ考えてしまうのだ。もし俺に殺されたら、悲しむ者はいるのだろうかとか、俺に仕返しをしようとする仲間はいるのだろうかとか、妻は、子供はいるのだろうかとか。標的を生んだ母親は健在なのだろうかとか。
 そんなことを考えると、戦意が喪失しそうになるのだった。
 しかしやめるわけにはいかない。もしやめると、組に追われることになる。そして必ず見つけられて殺され、半永久的に見つからない場所に埋められるか沈められるかするだろう。
 だが、もし成功しても、相手の組に狙われるのではないか。警察に出頭しても警察が積極的に守ってくれるとも思えない。
 しかし最も悲惨なのは、失敗することだ。失敗すれば両方の組から狙われるだけでなく、警察からも追われる。いや、その場で返り討ちにあい、殺されるかもしれない。
 そこまで考え、自分は何て浅はかなんだろうと思った。事態の深刻さを改めて知った。どうにも逃げようのない迷路に自ら入り込んだようだ。
 俺は自分を罵った。
 そして思った。
 ヒットマンから出世した者などいないと。鉄砲玉出身の組長や組幹部なんて聞いたことがない。
 組にとってどうでもいい存在だから鉄砲玉にさせられるのだ。まさに使い捨て。無事勤めを終えても帰る場所など用意されていない。いや、無事勤めを終えられるかどうかさえ疑問だ。刑務所の中で殺されることもあるかもしれない。敵に、味方に。
 そう、俺は、そのへんの闇バイトで雇われたガキや、あるいは不法滞在中の外国人と同レベルの使い捨てなのだ。いや、それ以下だった。変に組と繋がっているだけ、厄介な存在だった。
 俺の脳裏にどんどん悪い想像、妄想が広がっていった。
 どの道を行こうが、俺は殺される運命なのだと悟っていた。
 ガキの頃は、いつ死んでもいいと思っていた。いや、早く死にたいとさえ考えていた。だが、現実に死が目の前に横たわると、俺は死にたくないと願っていた。
 両親と弟の顔が脳裏に浮かぶ。無性に会いたくなった。同時に後悔していた。もっと甘えればよかったと。親の期待に応えようと背のびをし、その背伸びがまた親に新たな期待を生み、また背伸びをする。その繰り返しだった。もっと甘えればよかったのだ。
 それから、親兄弟がいるということはこの上なく幸せなことなのだと実感してもいた。それは、ヤクザという擬似家族を体験して感じていた。自分の居場所があると思い、飛び込んだこの世界だったが、どこにも居場所などなかった。擬似家族はあくまで擬似家族だった。俺の居場所は本当の家族の中にだけあった。それを今になって痛感していた。
 だが、もうどうしようもない。
 逃げるにしても実行するにしても、その先には死が待っているだけだ。
拳銃に涙が降りかかる。俺は泣いていた。ガキのようにメソメソ泣いていた。嗚咽が洩れていた。
 寂しかった。悲しかった。せつなかった。
 散髪屋の向かいの喫茶店から標的が出てきた。一人だった。無防備だった。この路地から撃っても当たる距離だった。
 だが俺は、泣きながら銃口を自分の頭に向けていた。再び家族の顔が脳裏に浮かぶ。
涙が溢れ、流れた。
「さよなら。ごめんな、みんな」
 俺は確実に死ぬため、頭に向けていた銃口を口に突っ込み、そして……引き金を引いた。

                              (了)

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