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【短編小説】盲目の介錯人 前編
切腹人の首筋から肩甲骨の間まで指を這わせ、そっと押す。切腹人の姿勢を若干前屈みにするためだ。首を刎ねた後、自然と切腹人がうつ伏せの状態になるように……。
仰向けに倒れるのはみっともないこととされている。下手人とはいえ、最期の最期になってまで醜態を晒すことのないよう、喜介なりの気遣いだ。
目を閉じ、意識を集中させる。裸足の足の裏、特に親指に力を入れ、刀を上段に構える。
以前は……短刀で実際に腹を一文字、または十文字に切り裂くのが切腹の作法だった。だから、刃が肉を切り裂く音や、切腹人の呻き声、叫び声が介錯の始まりの合図でもあった。しかし、江戸中期の今、切腹人が実際に腹を掻っ捌くことはない。短刀が腹に触れた瞬間に介錯人が首を刎ねるのが切腹の作法となっていた。
目の見えない喜介は、当然のことながら、切腹人の動きが見えない。だからこそ、神経を研ぎ澄まし、心の目を大きく見開くのだ。いや、「気配を見る」のだ。
畳の上に左足だけを載せる。そのひんやりした感触に、心まで冷たくなる。そして、喜介にとって、それは好都合だった。何の恨みもない相手、素性も知らなければ顔もわからない切腹人。仕事とはいえ、今から首を刎ねるのだ。いくら相手が、極悪非道な下手人だったとしても、心を凍らせなければとてもじゃないがやっていられない。
もう五年になる。しかし、どれだけ繰り返しても、一向に慣れなかった。
静寂が広がる。
切腹人の前に座る二人の検視役のどちらかが唾を飲み込む音が聞こえてきた。
一拍遅れて刃が腹に触れる気配。
喜介は、まるで重力に従うかのように、滑らかに、しかし、力強く刀を振り下ろした。
肉や骨を断ち斬ったとは到底思えないほどの無音。いや、決して無音ではない。だが、その打ち込みの速さから、まるで風を切ったような音しか耳に入ってこない。
少し遅れて、首が畳の上に転がる音。そして、切腹人が前のめりに倒れるそれ。
検視役が駆け寄った時には、喜介はもう刑場に背中を向けている。喜介が介錯をする時、検視役など必要ないのだ。
首の皮一枚残して斬る、いわゆる抱き首。これは、切腹人をうつ伏せに倒れさせるための手法だ。首の皮を一枚残して首を切ることで、その首の重みで自然と体を前に倒れさせ、うつ伏せの状態で絶命させることができる。
しかし、喜介にはその必要はなかった。もちろん、首の皮一枚残して斬ることなど、喜介にとってはたやすいことだ。そして、一太刀で首をきれいに前へ落とすことも簡単なことだった。
未熟な武士が刎ねた首は、どこに飛んでいくかわからない。真上高く飛ぶこともあれば、左右に飛ぶこともある。
また、首の皮一枚どころか、骨を断ち斬ることもできず、切腹人を苦しませるだけ苦しませる介錯人もいる。
喜介の場合、そんな心配は無用だった。刀を振り下ろした後、一瞬遅れて切腹人のすぐ前に首が転がり落ち、続いて体が前のめりに倒れていく。その倒れた姿を見ていると、まるで首がくっついているようにも見える。計算され尽くしたかのような介錯。
介錯の前に、肩甲骨の間を少し押す行為も、仰向けに倒れさせないためのものではあるが、目の見えない喜介が、切腹人との間合いを図る意味合いもあった。
しかし、どちらも表向きの理由だ。真の理由は別にあった。
齢三十五。介錯人を務めて五年になる。剣の腕は衰えるどころか、ますます研ぎ澄まされていた。
最初から介錯人だったわけではない。そして、最初から盲目だったわけではない。
元々は、江戸城の番方だった。つまり、城や幕府要所の警護が主な仕事だ。とはいえ、戦がほとんどないこの時代、番方の出番はなく、仕事自体も週に三日ほど。だから、空いた時間、喜介は剣術道場の師範代として小遣い稼ぎをしていた。少しでも家計の足しになればと考えたのだ。
妻と娘の三人暮らし。上級武士ではなかったため、江戸城から少し離れた、割に市民が暮らす堀に近い場所に居を構えていた。いや、敢えてそうしたのだ。妻子に、特に娘に、人との関りや繋がりを学んでほしかったから。
幸せだった。武骨で粗野な自分にはもったいないほどの器量よしの妻、うた。そして、娘のわか。ずっとずっと三人で、楽しく、笑顔で、何があっても支え合って一緒に生きていけると信じていた。あの日、あの時までは……。
肩甲骨の間に触れた時に、切腹人の覚悟がわかる。
押してもびくともしない者は、極度の緊張の中にいる。或いは、覚悟を決められていない。反対に、素直に前屈みになる者は、覚悟を決め、無の境地にいる。
しかし、そんな者は稀で、圧倒的に前者が多い。そして、中には、取り乱し、発狂しながら暴れまわる者もいる。
つい最近もそんな下手人がいた。辻斬りを繰り返していた武士の男だった。江戸の世になり、戦が減ったため、自らの腕を試す機会が減ったというのがその理由だった。腕がなまり、刀の切れ味が鈍るのを怖れたらしい。
身勝手な行為だった。本当の理由は、ただ単にむしゃくしゃしたからだろうと喜介は考えていた。
男は静かに刑場へ入ってきた。言葉を発しないところを見ると、覚悟を決めているのかもしれない。覚悟を決めていない者や、あるいはそれが冤罪であった場合、最期の最期まで無実を訴えたり、命乞いをするからだ。
果たして男は、静かに二畳分の畳の上に座った。
切腹人には、最後の食事が振舞われる。湯漬けに香の物、塩、味噌の肴。そして、盃二杯の酒。それらが運ばれる気配を感じながら、喜介は立ち上がった。切腹人がそれらを食した後、介錯人である喜介は、彼の背後に向かわなければならないからだ。
だが、それらが運ばれた時、切腹人は鋭く言った。
「要らぬ」
別に珍しいことではない。いや、むしろよくあることだ。食したくないというより、死を前にし、喉を通らないのだろう。
それらが片付けられ、添介錯人が切腹に用いる短刀を、切腹人の斜め前にそっと置く様子が伝わってきた。
そして、喜介が、切腹人に対し、名乗ろうとしたその時だった。
「うぎゃあああああ」
まるで獣の咆哮を思わせる叫び声に、咄嗟に刀を抜いていた。短刀を掴んだ切腹人が、それを振りまわし、添介錯人を斬りつける「気配が見えた」からだ。
怒号が飛び交う。
喜介は一歩後ろへ飛び、間合いを図った。
光を失ってからも、喜介は剣術道場に通い続けた。さすがに師範代を外れてはいたが、一人の生徒として、木刀での打ち合いを続けた。なぜなら、幕府が、介錯人の仕事を喜介に命じたからだ。
最初は、まわりが遠慮して、手加減して打ち込んできた。それでも、光を失ったばかりの喜介には成すすべがなかった。滅多打ちにあった。道場主からは、何度もやめるよう言われた。しかし、喜介はやめなかった。木刀とはいえ、何度も何度も体を打たれると、傷はもちろん、熱を持ったり、内臓にも負担がかかる。それでも喜介はやめなかった。そのうち、みんな嫌がり、相手をしてくれる者がいなくなった。だが、喜介は門下生たちに頼み込み、打ち込みを続けた。
必要以上に手加減したり、あまり打ってこない者に対しては、言葉を荒げることもあった。かつての師範代に命じられると、逆らうわけにはいかない。中には、泣きながら打ち込んでくる者もあった。
一方的に打ち込まれていた喜介だったが、少しずつだが気配が見えるようになった。気配を感じるのではなく、見えるように……。気配を感じてからでは遅い。つまり、気配を見るとは、相手が次にどのような動きをするのかが読めるようになったということだ。
それまでの喜介は、耳だけに意識を集中させ、音を感じ取ろうとしていた。そして、それはそれで、ある一定の成果は得られた。聴覚が鋭く磨かれ、目が見えていた時には聞こえなかった音が聞こえるようになったからだ。
しかし、音だけでは何も見えなかった。
喜介は、視覚以外のすべての感覚を研ぎ澄まし、からだ全体で相手を感じ取ろうとした。そして、その方が楽だった。耳だけの一点集中は無理があったのだ。
それまでは、音を聞いてすぐに反応し、攻撃を仕掛けては返り討ちに遭っていた。つまり、音を聞いてから動き始めていては遅いのだ。それを改め、音だけでなく、気配を感じ取ろうと努めたのだ。
空気の動き、揺れ、質、匂い、気、もちろん音も。
喜介はじっと動かず、それらを感じながら、相手の攻撃を受け続けた。
今までと異なり、まったく攻撃せず、微動だにせずに打ち込まれ続ける喜介に、門下生たちは戸惑い、そして不気味なものを感じた。
喜介は、打たれながら学んでいた。思い返せば、幼少の頃と同じだった。喜介は、決して最初から強いわけではなかった。相手の攻撃が怖かった。だから、打ち込まれる前に自ら向かっていき、返り討ちに遭った。
師範からは、先に動くな、相手の攻撃をぎりぎりまで見ろと言われた。強くなりたかった喜介は、その教えを守った。ばか正直にぎりぎりまで相手の攻撃を見て、そして打たれた。怪我は絶えなかった。それでも喜介は微動だにせず、相手の攻撃を見続けた。やがて、怪我の代償として、喜介はどんな攻撃も見切れるようになったし、面白いように打ち込みが決まるようになった。
音だけを頼りに相手に向かっていった喜介はまさに幼少の頃の己の姿だった。怖かったのだ。音に頼りながらも、音を怖れていたのだ。だからこそ、無闇やたらに打ち込んでいった。目が見えない恐怖は、喜介を混乱させた。まさに、弱い犬ほどよく吠えるだ。
しかし、幼い頃と同様、微動だにせずに攻撃を受け続けることで、喜介の心の目は開いた。
気配を感じ、いや、気配を見ることで、相手がどんな攻撃をしてくるかがわかった。やがて喜介は自らの動きや呼気で、その気配を操ることができるようになった。
そうなったら、目が見えているも同然だった。そして、目が見えている喜介は江戸最強の剣豪と言っても過言ではなかった。喜介は、幕府の命令に従い、介錯人となった。
添介錯人の叫び声。
斬られた。脇腹のあたりだ。喜介は気配が見えていた。
この下手人は、喜介が盲目だということを知っている。次は喜介に向かってくる。
傷が深いのか、添介錯人は泣き叫びながら地べたを這いまわっている。二人の検視役の怒声が飛び交う。そのせいで、下手人の出す音が聞こえない。しかし、平気だった。喜介には気配が見えている。
相手は短刀を体の前で横に構えている。添介錯人の脇腹を横に裂いたように、喜介の腹も横に薙ぐつもりだろう。
喜介は刀を上段に構え、敢えて腹を無防備にした。
すかさず相手が足を踏み出してくる。
喜介には、相手の動きが手に取るようにわかった。いや、見えていた。
上段から左斜め下へ向け、一気に振り下ろす。手応えはなかった。かといって失敗したわけではない。あまりにきれいに成功した場合は、手応えがまったくないのだ。
静寂。
やがて、首が転がる音だけが聞こえてきた。
半歩下がる。
今まで喜介が立っていた場所に、首を失った下手人が倒れてくるのが「見えた」。
断末魔の叫びも、呻きすらもなく、下手人は旅立っていった。痛みすら感じなかったことだろう。
「添介錯人の手当を」
それだけ言い、喜介は刑場をあとにした。
武士の家に生を受けた喜介だったが、幼少の頃、父が戦で命を落とし、母もその後を追うように病死した。ひとりっ子だった喜介は、父方の祖父に引き取られ、育てられた。
祖父は厳しい人物だった。とっくに隠居していたが、矍鑠とし、今思い返しても、剣の腕は相当なものだった。その祖父から剣術の基礎を学んだ。一日十時間の稽古。幼い喜介には苦痛、いや、苦行以外の何物でもなかった。あまりの厳しさに、祖父を恨んだこともあった。何度も逃げ出そうと思った。しかし、喜介には行くところがなかったし、何より逃げ出すことが嫌だった。
微かな記憶、そして、母から何度も何度も語られた父の姿……それは、とても勇敢なものだった。
仕事からの帰り道、母と私が待つ家へ向かう父の足取りは軽かったことだろう。だが、その途上、ひと仕事終えた盗賊と出会ってしまった。一本筋が違えば、あるいは、ほんの少しタイミングがずれていれば。悲劇は起きなかっただろう。
敵は十人。多勢に無勢。しかし、父は逃げなかった。一本筋が違えばとか、タイミングがずれていればなどと考えることはなかっただろう。逆に、その偶然を喜んだかもしれない。なぜなら、自分と出会ったおかげで、盗賊をひとつ潰せると。不幸になる人が少しでも減ると。
果たして……父は全員を斬り、そして斬られた。
祖父は、父の亡骸を見て、たった一言呟いた。「誇りだ」と。
武士といえども人間だ。感情はある。たった一人で十人を相手にする。それも敵は盗賊だ。怖い。当たり前だ。逃げ出したい。助けを呼びたい。見て見ぬふりをしたい。あるいは、出会ってしまった運命を恨みたい。
父が本当のところはどんな感情だったのかは、本人にしかわからない。ただ、結果として逃げずに立ち向かっていった。
喜介は、だからこそ、どんなことからも逃げるのが嫌だった。
それに子供ながらに理解していたのだ。祖父は、喜介が憎くて、厳しく激しい稽古を課しているのではないと。
責任感からだと。たった一人の身内である自分がやらなければ誰がやるのだと。
その厳しい指導のおかげで、喜介の剣の腕はめきめき上達し、十歳の時に入門した剣術道場では、大人と対等に渡り合えた。
そして十五歳で元服すると、喜介は亡き父の家名と家禄を継ぎ、公職に就いたのだった。
切腹人の狼藉を収めたことに対して、喜介には寸志が贈られた。固辞するのも大人げないので、ありがたく頂戴することにしたが、喜介はそれを懐に入れることなく、米に換え、近所に配った。喜介が暮らす長屋は、貧乏長屋と呼ばれ、生活に困窮する庶民が多く暮らしていた。
喜介も、もちろん米は食べるが、食にこだわりはなかった。米に漬物だけの一日二回の食事。気が向けば、味噌汁なども作ることはある。
妻が生きていた頃は、芋などの野菜の煮物や焼き魚がついた。
家族三人での食事は最も楽しい時間だった。
それだけに、一人きりの食事の味気無さや寂しさが身に沁みる。
時々、近所の世話焼きたちがおかずをもってきてくれる。もちろん、ありがたく頂戴するが、基本的には米と漬物だけだ。
食にこだわりがないというより、食べなければ死んでしまうから食べているだけの話だ。いや、決して死ぬことが怖いのではない。そうではなく、まだ 死ぬわけにはいかないのだ。
喜介はさがしていたのだ。
うたとわかを殺し、喜介を盲目にした男を。