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「人のためにあるものづくり」を実感したスクラムフェス仙台と分身ロボットカフェ DAWN ver.β

サイボウズ株式会社 開発本部 組織支援部 PeopleExperience チーム Developer Concourse Unit の西原 ( @tomio2480 ) です.

8/23(金),8/24(土) に開催されたスクラムフェス仙台2024にて,サイボウズのスポンサーセッションとブース展示をおこなってきました.スポンサーセッションで使用したスライドは以下のとおりです.

スライドの中にも出てきていますが,以下のブログリレー企画の記事を見ていただくと,サイボウズのスクラムマスター職能についての理解が深まるかと思いますので,ぜひご覧ください.もっといろいろ知りたい方は @ama_ch さんに連絡するとよいです.

さて,この記事ではスクラムフェス仙台のキーノートである,特務機関NERV(@UN_NERV) の石森さんのお話しと,スクラムフェス仙台の翌日に東京日本橋で立ち寄った「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」の感想を書きます.別々の用事で聞いた話,体験した話を一つの記事にする理由は,どちらの感想も同じく「人のためのものづくり」を実感したからです.


スクラムフェス仙台で背筋が伸びた

石森さんが別のイベントで話されている動画がいくつかありますので,こちらをリンクしておきます.これを見れば,自分の感想を読む必要はありません.お話しそのものの重みが違います.

この動画は短い動画で,

次の動画は長いです.

スクラムフェス仙台当日に話された内容は,RESEARCH Conference 2024 で話された内容の方が近いです.仙台でもたくさんお話しくださり,ありがたい限りです.

また,動画以外にも本もあるようです.まだ読めてはいませんが,手元に取り寄せることにしました.

信じた"情報"の力無さ

お話しのなかで,リアス・アーク美術館に訪問して,背中を押されたとおっしゃっていた場面がありました.ここでの常設展示では "情報" の功罪の実態に触れ,また東日本大震災から生き延びたみなさんの実際,残念ながら亡くなってしまわれた方や壊れてしまった街の実際が語られている解説板も設置されているとのことでした.

そこで語られるひとつの引用が,以下に示す特務機関NERVの Web ページを開くと表示されます.まだ動画や本を見られていない方も,すでに見た方もぜひ開いて一読されることをお勧めします.

"情報" が命を奪わないためにできること

特に災害情報については速報性が重要です.しかし,現代において速報に分類される情報のほとんどは電力や電波等のインフラがなければ届くことはありません.しかも,最終的には人の手が及ばなければ影響を与えることはできないため,情報が届けば命が助かるわけでもないと話されました.

特務機関NERVでは最終的には人が自ら判断を行うとして,その選択肢を奪わない適切な情報提供を行うことが重要であると考えた設計がなされているとのことです.たとえば災害時における避難所までのルートを案内することも技術的には可能だけれども,これは避難における判断であるため,NERVで提供すべき情報にはあたらないとのことです.

しかしその代わり,自治体や気象庁が発表したデータをより速く,より正確に届けることで,情報を受け取った方が判断材料として活用されることを期待して,正確に読み取れるよう努力されているとのことです.

たとえばアクセシビリティの担保といった全体設計から,千曲川と信濃川のような同一河川等の地域による呼び名の差の実装,誤報による速報のキャンセルなど細かなところまで正確に発信しているとのことです.

"情報" が力の後押しになるために

人を助けるのは人,このときに活躍してくださるのは救助隊のみなさんがイメージされやすいかと思います.しかし,実際に助かった人たちへの聞き取り調査では,家族や近隣住民などの手によるものが多数を占めています.

もちろん過酷極まりない現場は救助隊のみなさんの力なくして救われないのですが,すぐ近くに人がいる現場は,自助・共助による救命が可能ということです.文字どおり,全員で助け合わなければ,多くの方が犠牲になってしまいます.

もし,その助け合いのうち一人にでも情報が届けば,より正確な判断の助けになるかもしれません.もし,救助隊のみなさんに一秒でも速く情報が届けば,被害が拡大する前に救助に向かえるかもしれません.

"情報" が直接,命を救うことができなくても,"情報" が人のよりよい判断を引き出して命を救うことができるかもしれない,特務機関NERVはそういった覚悟からつくられている,人のためのものづくりだと感じました.

「情報」ということばが生まれて 148 年

せっかくなのでここにも書いておきたいことがあります.別口で日本語「情報」の生まれを聞いていて,今回のキーノートの主軸にある情報の話とリンクして,勝手に感慨深くなっていました.

自分の活動をふりかえりながら交流

この後の懇親会では,旭川での TechRAMEN 2024 Conference をの話を皮切りに,地域の IT コミュニティの話をしました.自分の体験として色濃い部分をスライドにしたものをリンクして割愛しますが,簡単にいうと,情報技術の教育環境におけるデジタルディバイドの実感と解消の取り組みです.田舎活動については 41 枚目のスライドからはじまります.

情報技術を学びたい,その先の進路を実現したい,大人もこどもも同じく,こう考える方々のために,日本各地ですぐにアクセス可能な技術コミュニティを維持すべきだと,自分は 2011 年くらいから主張し続けています.

今は北海道に拠点を置きつつ,全国各地の IT 勉強会に足を運んで,各地で技術コミュニティを維持するみなさんの熱意を聞いて回っています.もちろんお客さん的な立場ではありますが,各地に行ってできることがあれば力になりたいので,せめて発表資料を持っていくくらいのことはしています.

スクフェス仙台のときも,可能であれば他の勉強会をはしごするように心がけていますが,今回はうまくいきませんでした.昨年は,はじめてのIT勉強会に寄ってからスクフェス仙台に行きました.

勉強会の存在は課題解決のはじまりでしかない

「 "情報" が人の命を救うことはないが,"情報" が届けば救える命が増えるかもしれない」のと同じ構造で「勉強会の存在が人の学びを進めるわけではないが,勉強会があれば学べる人が増えるかもしれない」のです.

"情報" なんて本当の災害時には意味ない…… なんてことはないのと同じで,"勉強会" なんてあるだけじゃ誰も強くならないし意味ない…… なんてことはないのです.

これらの構造に思いを馳せているうちに,目に見える活動だけで評価する限り,本来実現したい,本来届けたい価値はわからないということなのかなということに気がつきました.

実際,特務機関NERVもユーザーからの声を聞く以上に,本当に真剣に "情報" を届けることに向き合って,何を実装するかを考えているとのことです.パッと使った人が思いつくくらいの時間の何万倍も課題に向き合っているからこそできる判断だなと思いました.

自分も自信を持って自身の信念に向かって活動しなければ,今まで自分を信じて応援してくださった方に失礼だなとか,小さなところでこだわりや設計がブレると真に届けたい価値が届かないな,とか,自分の人生を反省する良い機会になりました.

そもそも素晴らしいお話しを聞けたのに,そのお話しから得られる示唆も力強く,自分の心を支えるものになったこと,この機会をくださった石森さんとスクフェス仙台のみなさまに感謝したいです.

分身ロボットカフェで天を仰いだ

@pranaria9 と @palfe620115 が沖縄から東京に出てきていて,お話ししたいとのことだったので,スクフェス仙台の翌日,日本橋にあるサイボウズの東京オフィスで落ち合うことにしていました.ちなみに,旭川と仙台の移動は羽田経由が一番いい(ぼく調べ)ので,東京はただの通り道でして,今回は極めて都合がよかったです.

本当なら東京オフィスを可能な限り見学した上で,作業もしつつお話しをできればよかったのですが,大きなイベントで広い範囲を貸し切られており,うまい具合に見学させてあげられませんでした.予定をちゃんと見ていなかった……

そこで罪滅ぼしの意味も込めて,日本橋近辺にあるカフェかどこかに行こうと提案をして,自分が兼ねてより行きたかった「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」にいくことにしました.

来店する際は,単なるカフェ利用よりもロボット応対をしてもらえるプランを選ぶとよいです.カフェとは違い 1,500 円の席料がかかりますが,この体験を得られることを考えれば,実質無料です.

身体不自由と情報技術の関係

かなり前の出来事になりますが,以下の記事を読んで,記事から伝わってくる力強さに感銘を受け,これからどんなことが起こるのか見てみたくなりました.初めて OriHime を知ったのがこの記事だったかは定かではありませんが,概ねこの記事の公開日にほど近いときだったと思います.

学部 4 年のころ所属していた研究室が生体医工学研究室で,自分の卒論のテーマは「先行随伴性姿勢調節によるパーキンソン病の評価」でしたが,主に ALS 患者の QoL 向上の実装を取り扱っている研究室でした.研究室の先生が持っていた研究テーマである,3D アバターを運動イメージによる脳波で操作する研究の被験者もやらせてもらい,身体不自由だとしても,仮想的な肉体を思い通りにコントロールする実験も体験させてもらっていました.

所属研究室では脳波や筋電を用いた研究を主としていましたが,スマートフォンや PC など手に入りやすいデバイスを用いて,寝たきりになってしまった患者のみなさんの QoL を改善するツールの開発もおこなっていました.

と,そんなこともあって,吉藤さんのおっしゃる課題感については少しばかり理解しているでつもりでした.

人と人を隔てる技術革新

自分の学部 4 年当時の 2013 年は,スマートフォンの普及も進み,まさに情報化社会へより深く歩みを進めている世相であり,スマートフォンが使用できる前提のものも増えていました.

先の特務機関NERVにも関係しますが,東日本大震災ののち,Twitter による SNS の力が遺憾無く発揮されたり,LINE がうまれたり,できることが増えていく一方で,スマートフォンを使用できない人は取り残されていく問題がありました.デジタルディバイドやアクセシビリティの問題がより深いものになっていく最中にあったのです.

これは今も大きな問題として君臨し続けており,2019 年の話にはなりますが,自分含めた 3 名が ISOC Japan Chapter 2019 Annual General Meeting にてソフトウェア,Web,インターネットに関するアクセシビリティについて発表を行なっています.2024 年の今でも解消されきっていない課題です.

人と人をつなぐ技術実装

頭では理解していたつもりでしたが,身体不自由の方々と直接関わったことがあるわけではなく,つまりエアプだったわけです.今回立ち寄った分身ロボットカフェではじめて直接コミュニケーションをとることができました.

写真や動画に現れる白いロボットの OriHime の出来栄えがピカイチなのは間違いなく,それに着目して語ることもできると感じました.音声,画面,ロボットの操作信号を載せているのに会話に影響しない通信ラグ,ブラウザ上で動作する OriHime の動作の細かさを支えるコントロールツールと画面共有やロボット切り替え等のツールがひとまとめになっているオリジナルツール,ライントレースとマーカー認識を主体とした大型ロボットにおける移動補助,愛着が湧いてくる意匠…… どれもすばらしいものでした.

しかし,これらはあくまでもロボットの向こうにいる方とコミュニケーションを取るためのツールであり,これらが表面にでしゃばってくることはありません.我々 3 人が電気系,情報系の勉強をしているから気にして訊いているだけで,そうでなければ来客対応慣れしたロボット操作者であるパイロットのみなさんのおもてなしのすばらしさに,そんな技術の話なんて気にならないと思います.

OriHime がいたからつながれた

今回,分身ロボットカフェでお相手してくださったみなさまは,我々と同じく東京ではなく全国各地に拠点を持ち,そこからお仕事をされていました.もし,OriHime がいなければぼくらは,みなさんとお話しする機会を得られなかったんじゃないかと思いました.

お話し自体も住んでいる各地の話だったり,G7 で OriHime が披露されたお話しだったり,東京オリンピックの聖火ランナーを務められたお話しであったり,お仕事の苦労のお話しだったり…… ここでないと聞けない話ばかりで楽しかったです.ここで働くみなさんでないと話せなかったでしょう.

もちろんコロナ禍を経て,Zoom や Teams などのツールは格段に進化を遂げましたが,それでも OriHime のパイロットとして,感情豊かに社会とつながる意味は十二分にあると感じました.

人が主役でないならば解決は遠い

特務機関NERVを考えるとあくまでも情報は人が判断するためにあるものであり,それを踏まえた上での品質を考えられていますし,OriHime を考えるとあくまでも技術は人が社会につながるためにあるものであり,それを踏まえた上での品質を考えられていました.

情報を取り扱っていると情報そのものの価値に,技術をやっていると技術そのものの価値に集中してしまうことも少なくありません.当然,情報が目まぐるしく巡り,技術が目覚ましく進化することにより,世界の先端が一歩前に進みます.そしてこれは,多くの人の努力により達成されています.

しかし,それらが実装する世の中に目を向け,誰かを置き去りにしていないか思いを馳せることこそ,重要な姿勢だと感じました.

人間として,工学を扱う者として,大切にすべき営みが何なのか,強く痛感した仙台と日本橋の旅でした.

【おまけ】自然と命令を求め隷属する

分身ロボットカフェで 3 人で話しているときに,ひとつの記事を思い出しました.以下がその記事です.ちょっと長いですが,今の世の中を頭の中に置いて読むと極めて興味深いことが書いてあります.

「巨人のドシン」の作者の飯田和敏さんのインタビュー動画も参考までにリンクしておきます.

2000 年前後,ゲーム脳ということばが流行するくらいゲームが広がった頃合いです.据え置き型ゲームだと NINTENDO 64 と PlayStation 2 が全盛で,記憶容量も順調に増大,記録媒体も CD から DVD へ主体が移る時期です.

大きな容量の中で表現できることが増え,プレイヤーもできることが増えているのに,プレイヤーはゲームからあれをしろ,これをしろと言われるのを待つのが当たり前になっていきました.

2024 年現在ではついに実績とかトロフィーなどと名前がつき,プラットフォーム側で管理されるのが当たり前になっています.これと同じような仕組みを「巨人のドシン解放戦線チビッコチッコ大集合」と「巨人のドシン1」の組み合わせで,2000 年に実装していたというのだから驚きです.

これこそまさにゲームから人に命令を下し,主役が人でなくなる瞬間です.今 64DD を手に入れてプレイするだけの胆力はありませんが,実績解除がどれだけ意味のないことかを知らしめるため仕組みも豊富で示唆に富むと言われたゲームを,体験で確かめてみたいものです.

ゲームに主役を奪わせない覚悟

先の記事でも出てきていますが,どうぶつの森についても触れておきます.みなさんご存知のとおり,それまでのゲームの主流である一本道の攻略とは無縁の,極めて自由度の高いゲームが現れました.それの制作秘話が公開されていますのでここでリンクしておきます.

読むとわかりますが,アイテムをめちゃくちゃ多くしてコンプリートするのを諦めさせたい気持ちすらあったと書かれています.ゲームの主体はそこではなくて,もっと別のところにあるという意思表示に見えます.

そして終始一貫して時間が同期できなくても,ゲームを通じてコミュニケーションをとりたい旨が話されています.64DD の記録容量を期待したものの,64 で実装せざるを得なくなった際にも,その要素は削られることなく主軸として生き残り,ゲームの根幹を成しています.

任天堂はゲームをコミュニケーションツールとして進化させ,ひとつひとつの機能でもプレイする人々,そしてその人たちの関係性にまで気を使って実装を進めていることがわかります.以下はその一例です.

これだけ世界を席巻するゲームを世に送り出している任天堂を見ても,やはり「人のためにあるものづくり」が世界を変えることは明らかです.今回ふれた,特務機関NERVと OriHime も「人のためにあるものづくり」で世界を変えているなと感じています.たとえものづくりでなくとも,人のためにあり続ける覚悟を持って,物事に向き合っていきたいものです.

【宣伝】 NoMaps 2024 で登壇します

NoMaps 2024 で登壇する内容について note 記事を書いています.ぜひそちらをご覧ください.会場は札幌になりますが,ぜひともお越しください.札幌で情報教育必修世代と私たちの関係の在り方を話しましょう.


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