女さんになれない。
旦那と付き合い、結婚して、約13年がたった。
いつ別れても仕方ないだろうと思いながらも、ここまで来た。
私は超絶鈍いので、浮気をされたとて気付かないと思う。もし、気づいたら、それも私の責任だから仕方ないで処理するだろう。
とにもかくにも、自身を女として蔑むことが頻繁にある。今に始まったことではなく、ずっとずっと昔から。
若いとき、恋愛が極度に苦手だった。
男性と話すことが不慣れというのもあったけど、『自分を女として否定されるのが怖い。』という気持ちがバカみたいに大きかった。
誰からも否定されたことないのに。
そう、接する機会がないからこそ、男性から傷つけられることなんて実際にはないわけだ。
トラウマがあるなら分かる。
でも、何もない。びっくりするほど何もない。
自分が自分を否定し、傷つけているだけなのに、それには全く気付かずだった。
脳内会議の理性は、すぐ暴走するから困る。
それでも周りの友達から影響を受け、彼氏を作りたいとは思っていた。
私の周りの女の子は、恋愛体質もしくはモテるタイプが多い。良いお手本にもなるし、みんな色んなアドバイスをくれた。
でも。
そのたびに劣等感や罪悪感が発生。
『そんなことしても誰も評価しないよ。』
『自分に期待する自分は恥でしかない。』
『彼氏出来たことない事実がある。それが全ての答えじゃないか。』
『相手が不快になったら可哀想だぞ。』
『相手が気持ち悪いと思わないと思うなよ。』
自分への攻撃が止まらねぇ。
ここまで来ると、恋愛したい・彼氏が欲しいが、二の次になっていく。いつもクヨクヨ怖じけづく自分がザコすぎて、人間としての否定にまで及んでしまう。辛い。辛すぎる。もう嫌だ。
結果、、、
女っ気のない人間が爆誕した。
皮肉にも、こんな風に振り切ったからこそ、男友達がめちゃくちゃ増えた。そして、話すことにも慣れた。『話しやすくて、つい何でも語りたくなる!』とまで言われるほどに。
ようは、男と喋ってる感覚なのだろう。
それでも、自分が進化したみたいで楽しいし、満足度は高かった。
そこで、女の子大好きチャラ男からは、
『トミーは不思議なやつだ。』と、いつも言われていた。きっと、彼の『女の子データ』にフィットしないからだろう。だからこそ、面白いと興味を持ってもらえることすら、心から嬉しかった。
『男とか女とかじゃなくトミーとして大事。』
こんなことを言われるならば、自分のなかの『女』なぞ不要でしかない。
この思考でも私は幸せじゃないか。
人間としての評価って、なかなか難しいのだから名誉だ。『女』から逃げてもいいよね?
無理に『女』しなくてもいいよね?
が、しかし彼氏は欲しい。
やはりフツフツと恋愛したい想いはあった。
周りのおかげで、それなりに出会いがあり、
何回もデートするものの、絶対的に付き合えない私。それが何億回も続き、私の伝統芸能となる。
無駄にデート経験値のみ上がる謎
何回誘われようが、デートスポットに行こうが、何も起こらないことに周りは疑問視する。
友達『デート中、どんな感じなん?』
トミー『普通に楽しく会話してる。』
友達『服装は?』
トミー『スカートとかワンピにヒール。』
友達『連絡は?』
トミー『毎日してる。』
友達『次はどこ行くの?』
トミー『○○かな。(デートスポット)』
友達『、、、わからねぇ、、、。』
トミー『好かれてないんだろうねw』
そんな着地をすると、いつも友達から詰められる。
友達『相手に触れたりする?』
そう聞かれて、ようやく気付く。
私はデート中、全く相手に触れないのだ。
肩を『ねぇねぇ』と叩くことすらしない。
元々のATフィールドが分厚いのはあるけれど、
一番先に考えることがある。
私なんかが触れるの申し訳ない。
その思考が自然と行動に出てしまう。
例えば、二人で並んで歩くなか、たまたま手の甲が当たる。普通に『ごめんなさい』と思ってしまう。中学生より酷い。
だから、少し間隔を開けて歩くのだ。
相手が1歩近づけば、1歩後退りしてたように思う。
そういう思考を友達に驚かれ、
『デートするくらいなら嫌悪感あるはずない!』と説得される。
服の裾でも引っ張って『ねぇねぇ』くらいはやってみろと言われた。
『イケそうな気がする!』隙が皆無だと。
天津木村ならガッカリだ。
山崎ケイならお説教だろう。
思わせぶるくらいしたがいいとアドバイスされた。でも。
誰も私に期待なぞしねぇよ!!!
やはり、この思考が突っ走ってしまう。
どれだけデートしようが、思い上がることが出来ない。自惚れる自分を想像すると、心底気持ち悪く、腹立たしくなるのだ。
そんなこんな、永遠にまともな恋愛が出来ないでいた。その結果が、自分批判する都合の良いネタとなりボコボコに打ちのめされる。
性格に難がありすぎるだろ。
とは言え、旦那と出会うまでに、どうにか数人とお付き合いまでには至った。奇跡だと思う。
しかし、どれも自分への否定がより強くなるだけで、上手くいかずに終わる。
とにもかくにも長続きしない。
恋愛は疲れる、、、。
独りががいい。もしくは、友達関係がいい。
すぐ、自分に怒り狂う自分が出てこないルートを選びたい。それが恋愛欲求より大きな欲求になった。こじらせ思考が加速する。
しかし、旦那はこんなイレギュラーな人間だからこそ興味深々になったそうだ。
あと、何より共感する部分が多かったらしい。
私ほどではないが、旦那もそれなりにネガティブ思考だ。何故だかひねくれている。
恵まれた環境で生きているのに、ダークサイド感が強い。『自信満々な人間が嫌い』と、よく言っているので、私を選んだのは納得だ。
出会ったころを思い出すと、旦那は私に触れることが無かった。
付き合ってから聞いたのだが『THE友達』としての振る舞いを超絶意識したそうだ。
いきなり距離を詰めたらダメになると読んで。
私はまんまと『友達』カウントとして、旦那を受け入れていた。しかし、それにしては居心地がよく、一緒にいると楽しいなと思い始める。
他の友達と何かが違い、会うたびにウキウキしてしまう。
あれ?これは恋愛感情なのでは?
こんなややこしく、
しまいこんだ欲求が出てくるとは
旦那、策士かよ。
今でこそ、そんな雰囲気はないが、旦那は当時恋愛体質だった。だからか、私の感情の変化には敏感だったのかもしれない。
私が何の隙を見せなくとも、言葉で気持ちをぶつけてくれた。きっと『今だっ!』と思う、何かを察したのだろう。
そして、旦那と付き合い始めてからは、何故だか自分への攻撃性がなくなった。
旦那自身が私を否定することがないからだ。
『あれ?そんな心配しなくてもいいのかな?』
負の事実、実績をもとに、自分で自分を攻撃していたわけで。旦那から受け止められ続けると、それが出来なくなる。
そして、ついに自分で自分を認め始めた。
あ、私は『女』でも良いんだ。
どうひっくり返しても、彼氏であった旦那から見たら、私は『女』であり『彼女』なわけで。
もはや、否定しようがなくなってしまった。
ひねくれ思考を、優しくほどいてくれた感覚だ。
とは言え、『女としての自信』があるわけではない。いつ別れを切り出されようが、浮気されようが、女の底辺だから仕方ないと思っていた。いや、未だに思っている。
それでも、どうにか幸せに生きているので、感謝でしかない。マジで。
考えれば、考えるほど、自分はややこしいなと思う。もっとシンプルにナチュラルに生きれないものかと。本能いずこ。
そもそも、自分のなかの女を蔑む理由として、母親から常にタブー感を出されたからだと思う。
母親の財力的なプライドとして、
身なりをオシャレにすることは許されていた。
母親自身が貧乏育ちだったので、コンプレックスからか、私がボロボロなのは嫌だったのだろう。いつも『可愛くしなさい。』と言われていた。だから、スカートやヒールやアクセサリーを身に付け、髪を伸ばすことも抵抗なく好きになれた。ようは、身なりだけは『女らしい』のだ。
がしかし、『男に接するのは許さない。』という空気は常にあった。
イヤらしい。
媚びるなんてありえない。
気持ち悪いからやめてね。
色キチガイになるな。
そんな言葉をひたすら浴びていた。
きっと兄達も同じだと思う。
兄達の恋愛事情を全く知らないので。
だから、少しでも『女』が出てくれば、罪悪感に襲われるようになる。
常識的に性を否定する自分
が、爆誕したのだ。
実際、男性から否定されたことはないのに、ここまで思考が固まる原因は、確実にこれだと思う。
旦那と過ごして長いけれど、この性質的に私が浮気することは皆無だ。
いくら、旦那から思考をほぐされたとて、やはり女としての自信家にはならない。
自信があるからこそ、浮気するのだろうし。
それはそれで、平和で良いのかな。
だから、離婚したら、ずっとボッチでいそうだ。
母親の圧を恨みはしないけれど、健全な性的価値観を持つには、ある程度の自由は必要だと思う。
ごく自然に自身の魅力を認め、それを存分に使いこなす。良い意味でプライドを持ち、大切にされて当たり前くらいに思う。
否定してくるクズがいても相手にしない。
自信家じゃなくとも、これくらいの勢いで生きれたら楽なんだろうな。
『ちょうどいいブス』『ヲタサーの姫』くらいにはなれて、楽しめたのかもしれない。
かすりもしなかった人生よ。
来世は、『勘違いしすぎの痛々しい女』と思われる人生をおくりたい。
お花畑脳を全力で極めるような。
求む!身の程知らず!