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赦しの長期的な側面と短期的な側面

「自我の思考体系の逆転」としての赦し

まず、赦しの実践をする前段階の理解として、
赦しには、長期的な側面と短期的な側面があるということ。

その中身、違いについて「思考の逆転」P50〜59より、まとめました。


●長期的な側面
奇跡講座の定めたゴール地点を目指して、赦しを使って歩む大まかなプロセスのことです。

赦しとは、
現在、私たちのアイディンディティーは、自分の苦しみの本当の原因をすっかり忘れているところである世界(自分と他者)にいます。そこから、自我がたどった道のりを逆に遡っていき訂正していくプロセスが『自我の思考体系の逆転』です。

プロセス
①「自己概念Bである」という自己認識から、少しずつ、自己概念BとCを作り出した心の中の自己概念Aであったという自覚が出てくる。

②そこにある闇を見て、自分を癒していくプロセスを過ごし、
そして「決断の主体」が自分のアイディンティティーであった自覚が完全に戻っていくる。

③ 決断の主体で「真理の否定を否定する」こと=「分離は起こったを否定し、分離は一度も起きていない」を完全に受け入れていく。
意志を持って、自分のやった「分離」(やったと思った「分離」)は起きなかった。自分が完全に間違っていたということを受け入れていく場所です。
それが「実相世界」です。

実相世界とは、世界を見ながら、神の子のとしての自覚が戻っている状態です。奇跡講座では、ここまでを目指していて、これがゴールです。
贖罪が受け入れられるとも言います。

ちなみに、ここから先、世界がなくなるところは、奇跡講座では「神が迎えに来る」と言われています。

奇跡講座のゴールは、「実相世界」です。
それは、私たちのアイディンティティー(自己概念)ゆっくりと思い出していくプロセスである。

◇ここは現在の私には理解できませんが、ゴールとして頭に入れておくといいところとしては、

マニュアルでは、「世界を救うために必要なのは、ただひとりの神の教師である」ということが述べられています。

進んでいくにつれ、この道はかなり違ったものとなっていく。また、旅を続けるにつれて目前に現れてくる壮大な景観や、広々と開けていく眺望のすべてについて、あらかじめ知ることはできない。(M-19.2:5-6)

というところは、今の自分と思っているところで体験している感覚からは、想像できないということも念頭においておくと良いかもしれません。

●短期的な側面
「普通の日常生活の中でおこなっていく赦し」の話ですが、長期的な側面であるゴールを念頭において理解していってください。

◇短期的は、長期的なプロセスとどこが違うのか?
心の中に戻り〈決断の主体〉として〈正しい心〉を選ぶこと(赦し)はどちらも同じです。
短期的なプロセスは、「最後の贖罪が受け入れられるまでは、私たちは正しい心と間違った心の間を行ったり来たりする。」ということです。

短期的なプロセスは、赦しをコツコツ繰り返すことである。
それによって達成されることは、
「無意識だった決断を次第に思い出していくこと」です。=→長期的なプロセス

◇重要ポイント!
私たちの問題は「自分で自我を選んでおいて、そのことをすっかり忘れてしまった」という点です。忘れたことを自覚していくことも大切なポイントです。

抑圧したので、投影が起こっていて、忘れたままでいられるということ。
抑圧した中身を見ていことが必要です。

その中身を見ていくために、必要な理解として、

自分のした決断を忘却により分らないようにしているのは、
「二重の盾である」というところ。
「二重の盾」とは、「罪悪感」と「特別な関係」です。
それを突破していくプロセスが「赦し」です。

また、これらのことは、知的に理解することは大変重要です。
ですが、注意しなければならないことは、わかったつもりになってしまうというところです。それの何が問題かというと、自我がそれを利用します。
「私はもう、わかっている」といった思いは、「赦しをしなくていい」や「理屈だけで赦しをする」といったことになる可能性があり、そうなると、逆に自我のやったことの隠蔽になっていきます。
ですから、まず自分が確かにそれらを信じているということを自覚していくプロセスを意識して丁寧に取り入れていくことで、赦しをしやすくなっていきます。

赦しの要約としては、
「原因が識別され、その後、手放されて、入れ替えられる」となります。


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