難しい単語
こんにちは、冬眠中のとみです。
TOEICを約10年振りに受けてみようと、やる気が出たら勉強をちょこちょこしています。
3週間ぐらい前、いやもっと前かも、、、に買った単語帳をやっと開きました。
単語帳でさえも、はじめからを読まないと気が済まない性格なので、真面目に読みました笑
すると、
「難単語は、日本語と英語を1対1で覚えれば良いものが多い」
と書いてありました。
なるほど。
確かに中学生で習った英単語って、辞書で調べると、
なんでそんな意味もあるの!?
ってぐらい、意味的に繋がりのないような言葉が①からずらっと載ってた気がします。
教科書の後ろ(教科書内での意味だけ載ったページ)には、覚えられる分だけ載ってるけど、辞書で調べた方が色んな意味を覚えられるから辞書で調べなさいなんて先生に言われましたけど、今考えても無理だろうって思います笑
だって、英語だけ勉強してる訳じゃなくて、社会の偉人の名前とか、数学の何言ってんだっていう証明の謎フレーズとか、覚えなきゃいけないものが多すぎましたよね!?
ちょっと、大人の(文部科学省?笑)中学生への無理な押し付けを思い出してイライラしちゃいました😇
話を戻して、難単語は持っている意味が少ないという話。
私は難単語になりたいです。
、、、?
難単語って、それにしか任せられない意味をもつことを仕事にしてますよね。
かっこよくないですか?
みんなに知られてる訳じゃないけど、その単語が生きるその世界の人達には不可決な存在ですよね。
いいなあ~。
最近、人気とか、有名とか、どれだけ多くの人がその魅力に気づいているかっていうことに意味を持たせる価値観に違和感を覚えています。
時代、場所が変わればガラッと変わる可能性が高いじゃないですか。
どれだけ多くの人に見てもらっても、その多くの人の目にとまるために自分を変えてしまうのは勿体ない。
自分にしか放てない輝きを失わずにいれば、その輝きに感動してくれる人が絶対にいる。
そういう人たちに刺さることがとても嬉しいことなんじゃないかなと。
私は正直今まで、中1で習う単語のような生き方が自分のためなんだと思ってきたように感じます。
そうじゃなくて、私はその世界でしか使われないかもしれないけど、それ以外には務められない物になりたかったのかも知れません。
誰でも本当は元々唯一無二なのかもしれないけど、それが寂しかったり、劣っていたり、外れていたりするように感じてしまうのは何故なんでしょう。
さあ、私はどこの世界の難単語になろうかなあ。