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シュタイナー学園の大人たちに見られる「悪の凡庸さ」(1)

「悪の凡庸さ」については、為末大さんの記事が分かり易く、かつ核心をついた記事になっていると思うので、是非こちらの記事を読んでみてください。

知ろうとしないことは、生存戦略として優れている
一方でそれは大きな悪の一部となっていながらそこに罪の意識を感じず、責任も負わないというやり方でもある

シュタイナー学園の大人たちは、悪人ではないと私は思っています。むしろ、大半の方々が「善人」といってよい人たちだろうと思っています。
しかし残念ながら、私が指摘した学園が抱える問題について、知ろう、考えようという態度を一切見せない学園の大人たちは、まさに「悪の凡庸さ」を体現していると言えます。

シュタイナー学園の大人たちが体現する「悪の凡庸さ」の具体例を挙げます。

私が学内で「教科書を使用していない状態は、法令違反だから改めるべきだ」という主張を伝えても、私が知る限り、理事、教職員はもちろん、保護者の中にも反応を見せるひとはいませんでした。
「事実を明らかにすべきだ」と言う人がいなかったのはもちろんですが、「違法ではないはずだ」とか、反論する人も全くいませんでした。

このように「知ろうとしない」態度は、厄介ごとに対してとにかく距離を置くという方針ですから、短期的、あるいは個々人としての生存戦略としては、有効な選択なんだろうと思います。

同時に、そういった選択は、組織や集団が抱える問題について、協力しないどころか、解決を阻む方向に協力していると言えます。
そしてもちろん、当事者でありながら、その問題についての責任を放棄していると言えます。

シュタイナー学園の大人たちがみんな
「知ろうとしない」「考えようとしない」
という態度を見せているからこそ、学園の理事や教職員たちは、自信をもって
「事実は隠ぺいしてしまえばいい」
「質問に回答しなくても誰にも責められない」
という方針で行動できる

これがシュタイナー学園の現実なんだろうな、と思っています。

そしてこの状態は、循環的に「悪の凡庸さ」を無限に再生産する仕組みとなっています。

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