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「うまくできなくて恥ずかしい」から卒業できたら楽になるのに【参考著書:いくつになっても恥をかける人になる】

「うまくいかなくて恥ずかしい」という感覚が自分の中にある、いつも、何事に対しても、ずーんと、そこに存在していて、自己嫌悪にさいなまれている。

あらためて文字にすると重い感覚だと思うが、誰だってそんなもんだと思っていた。でもそうじゃないらしい、たまに「全然そんなこときになりましぇーーん」という鉄メンタルの持ち主に遭遇する。とても羨ましい。とてもじゃないがマネできない。でも「恥」っていったい何なんだろうと思う。

そこで今日の参考図書
いくつになっても恥をかける人になる/中川諒 (著)

なんて素敵な!!命題。そうそう!私は気軽に恥をかけるようになりたいのだ。

本書では、自分で描く「理想の自分」が呪いになっていると指摘する。
本当にそう!!「自分はこうでなくてはいけない」という呪縛が強い自覚がある。この呪いさえなければ、オンライン会議中にうまく発言できず人知れずなく必要もないのに!

6つの恥ずかしい

まず、本書では「恥ずかしい」を分類している。

恥を分類とは新しい概念。何事もよくわからないものは分解してみるとシンプルになる。

自分基準の恥 vs 周り基準の恥

「恥」の基準で2分類する。

  • 自分の基準に達成しない「恥」

  • 一般的な常識から外れている「恥」

自分が思い描く自分に達していない恥と、一般的なあるべき姿に達していない(と自分が評価した)恥。

経験のステップによって3フェーズ

そしてそれぞれ、経験値順に3フェーズに分けている

  1. 新しいこと始めたばかりの「初期の恥」

  2. 頑張ってるがゆえにもがいている「研鑽期の恥」

  3. 習熟して周りより出来てるはずって思う「熟練期の恥」

先に挙げた自分の基準に達していない「恥」と、一般的な常識から外れている「恥」、それぞれに対して経験値順に3フェーズに分けている。

上手くできなくて恥ずかしい、こんなこともできなくて恥ずかしい、尊敬に値する行動ができなくて恥ずかしい…といった具合だろうか。

恥=「あるべき」の呪い

本書には「あるべき」の呪いがチャンスを狭めていると指摘している。

「あるべき」に縛られていると、「あるべきでないもの」を許容できなくたってしまう。(中略)自分の「あるべき」を疑おう。これからわたしたちは、ひとつの職能だけでキャリアを形成していくのは難しいだろう。
(中略)「あるべき」像が強くなればなるほど、新しいことにチャレンジできなくなってしまう。

いくつになっても恥をかける人になる/中川諒 (著)

例えば、私は期首のチーム目標を経営方針に沿って定めるもののが「あるべき」だと考えていた。すべての教科書にも、書籍にもそう書いてある。しかし、経営方針を総務である自チームのKGIに落とし込むのが、すっごい難しい。

自分の力量不足でチームの目標が定まらないなんて、正直リーダー失格だ。世の中に総務チームは多数存在するので、こんなことで悩んでいる自分が大変恥ずかしい。

そこで匿名をいいことに、このnote上で「KGI決めれません テヘペロ」と悩んでいることを吐露したところ、「チームみんなで決めるのもありでは?」というコメントをいただいた。そうか…私は「あるべき」にとらわれていて、選択肢を狭めていたのか。

匿名で脱ぎ捨てられる恥ずかしさ。

顔や立ち位置がわかる現実の世界で捨て去るにはどうしたらいいのだろう。

続きはまた次回。今日はここまで

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