振り返りと読み返し
授業の最後に「今日の授業の振り返りを書いてください」と生徒に指示をする。そうして書いた振り返りや感想を回収し、そして、コメントを入れながら、返却をする。返却された生徒は、そのコメントや評価を見て、ファイリングしたり、ノートに貼ったりする。
しかし、その後、生徒は読み返すことがあるのだろうか。むしろ、以前、自分がどんなことを考えて書いていたのかを読み返すことがあるのだろか。というより、私たちは生徒がそうして読み返す機会をつくっているのだろうか。
つまり、「振り返りを書く→提出→返却」というワンサイクルの中で、終わってしまうことが多いのかもしれない。
ところで、休日だったので、たまたま昔、自分が書いたものや本からメモしたものを眺めていた。こんなことを考えていたのかなどと懐かしく思った。と同時に、新たな発見があった。その時に感じなかったことや考えられなかったことが、新たに湧き出てくるのだ。
森有正は経験と体験の違いを次のように分けている。
経験の内容が、絶えず新しいものによってこわされて、新しいものとして成立し直していくのが経験です。経験ということは、根本的に、未来に向かって人間の存在が動いていく。一方、体験ということは、経験が、過去のある一つの特定の時点に凝固したようになってしまうことです。(森有正『生きることと考えること』講談社、1970、p.97)
何をやっても、頑なに変わらずに「そのまま」でいるのが体験であり、絶えず変化、変わっていくような「変容」があるのが経験といえる。とすると、振り返りを読み返すことは、ある学習活動を経験とする、良いきっかけになるのではないだろうか。
過去に書いたことから新たな気づきがあったように、振り返りを読み返すことによって、その時の自分には考えられなかったことに気付く。気付くことで、自分の変容を知ることになる。言い換えれば、振り返りを読み返さなければ、その変容に気付くことはない。
授業や行事など、学校にはたくさんの活動がある。その度に、感想や振り返りを生徒は書く。けれども、それを書きっぱなしにさせていないだろうか。
次から次へと様々なことがやってくるのが今の学校である。けれども、立ち止まって、じっくりとゆっくりと、自分の書いたことを読み返してみて、自分の変容に気付いて、新たなことを書いてみる。生徒や教師がそんなふうに一つ一つを経験とできるような時間が今の学校にあるのだろうか。なんだか、とりあえずやって、終わったら、「そのまま」、そしてまた次へ、と移ろいゆく。
深い学びというのは、移ろいやすい時間ではなく、じっくりと、ゆっくりとした時間の中に生まれていくような気がする。自分の変容という移ろいは、せわしなく移ろいやすい時間感覚ではなく、時として、ゆったりとした時間感覚の中で、繰り返し振り返ることによって、生み出され、経験となる。深い学びというのは、実は学校教育と教育行政にブーメランのように問い直しを突きつけるアイデアなのではないかと考える。
<参考文献>
森有正『生きることと考えること』講談社、1970