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後ろ向きになる夜には眠る他ない

誰も私が何をすべきなのか、どんな努力をすべきなのか教えてくれない
と、思っていた。嘆いていた。
でも今になって分かった。やっと分かった。
誰も、私がやるべきこともしたいことも分からないし、今までだって誰かにそんなこと教えてもらったことなどなかったではないか、と。
やっと分かったのだ。

自分で考える事を放棄していることだけは知っていたつもりだったが、知っているだけで分かっていなかった。

このままでは何も教えられない人間になってしまう。私は人に偉そうに教えることでなんとか人間としてのプライドを保とうとしているのに、自分で考えなければ何も教えられないではないか。

私は焦っているように感じるが、同時に何も考えていない。中途半端なことはわかっていたが、あまりにも自分の中途半端さがつらい。半分くらい真剣に考えているのに、もう残り半分ではすべての考えを放棄したいと思っている。それでは何もまともに考えられないしまとまらない。それなのにずっと何かしら考えていることになる。どうりで疲れる筈である。

考えているようで考えていないし、考えていないようで考えているから、何も休まらないし、何も解決しない。1番駄目じゃないか。

一体この20数年、私は何をしてきたのか、と問う日々である。

もはや何もしていないのではないだろうか、酒を覚えてからは酒を溺れる日々。私が生きている意味など…とすぐ考えるのは私の悪いところである。生きている意味など何一つないのだから、放棄するなら全て放棄して生きればよいのに。0か100かのくせに中途半端なのだ。
意味がわからない。自分で自分の意味がわからない。

まともな人間と一緒になることで自我を保つか、委ねられる人と一緒になることで素直な自分を受け入れるか、私はどちらを選べるのだろうか。どちらも選べないまま1人で生き死んでいくと思っていたが、最近1人ではあまりにも生きるのが困難であることを実感している。

しかしながら、今私が1人だからなんとか保てていることが、誰かを頼ることで、もしくは頼れるはずの人に頼れないなどという事態に陥ることで崩壊してしまうのではないか、崩壊して仕舞えばもう元には戻れないのではないか、という不安がある。

得る前から失う心配をするからいけないのだ。

消極的になる夜は寝るに限る。

2023.01.16