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はじめてみました

浅野いにおさんと鳥飼茜さんの日記連載を読んだ。なんだか私も日記みたいなものを残してみようと思ってnoteをはじめてみた。

長く書こうとすると長すぎてしまうから、なるべく簡潔に書く事を意識したい。大学でのレポートを見てみても、要点をまとめるのが苦手で、文字数だけを無駄に稼いだようなレポートを書いていたように思う。

まぁそんなことを踏まえながら、今日のことを振り返ってみようと思う。

朝は9時前に起床して、まだ寝れそうだったので三度寝くらいして結局10時に起床。友達の家に泊まっていたので軽く身支度を整えて11時過ぎの電車に乗って12時頃に帰宅。そこから授業を受けて、バスに乗って部活へ。終わって帰って20時。そんなこんなで今は22:30。

大学の部活は人数が多い。しかし同じパートの同期は自分を含めて4人。そのうち2人はこれまで私が関わってこなかったような女を前面に出して生きているような人だと思った。はっきり言うと苦手だった。自分の中の女性を出すのが苦手、というより嫌いだったし、だからこそそうだと感じる女の人はあまり得意じゃなかった。でも同期で、同じパートで、仲良くしていかねばならないと思ったし、お互い歩み寄る努力もした(とおもっている)から今では言いたい事もそこそこ言える関係性を築けている。

しかしながらやはり、彼女たちのことをどこかで苦手に感じている自分がいるのも事実である。どこが苦手なのだろうと、これを書きながら考えた。恐らく私は彼女たちの、自分は間違っていない、という確固たる自信みたいなものが苦手なのだと思う。彼女たちは基本的に、どうしても言い逃れ出来ない場合を除くと自分達が悪いとは思わないし、責任は人にあると考えている。

それは悪いことではないかもしれないし、もし自分がそういう思考回路をしていたらこんなに面倒なことを考えないで済んだだろうに、と思うくらいには羨ましがっていたりもする。自分とは違うものを受け付けたくないだけなのだろうか。という自己否定に陥ってしまうし話が長くなるから自虐はこの辺りでやめておきたいと思う。

そういう訳で(どういう訳だ)私は同期が少し苦手だったりするのだけど、今日の練習中私が要らないことを言ってしまったせいで、ただでさえややこしい同期Aとさらにややこしくなってしまった。私は、良くも悪くも嘘がつけないために、思ってしまったことを言ってしまうのが悪い癖だと思う。一度口に出してしまえば誤魔化す事もできず、結果的にAを不快にし、私自身も不快な気持ちになってしまった。

なぜだか今日はそれだけで精神的に参ってしまった。彼女に要らない事を言ってしまったことへの後悔や、微妙な躊躇のせいで思った事がうまく伝えられなかったこと、そのせいで私が悪いの?という態度をとられてしまい、そうじゃないけど…と何も言い返せない状況になってしまったこと。

こんなの私が卑屈になっているだけというのはわかっているつもりなのだけれど、どうしても私の方が不幸だと思ってしまう事をやめられない。不幸自慢なんてしたって、誰かと不幸を比べたって、どうにもならないことは何度も他人の言葉で教えられた。でもやっぱり思考回路は変わらなかった。

こんな面倒なことがこの先ずっと続くのだろうと思うと、気が滅入ってしまう。Aと離れてもきっとこの世界には相容れない人がいるし、そういう人とも関わっていかなければならない。それが社会というもの、生きていくということなのだろうと思っている。

こんな事を続けながら、こんな気持ちを繰り返しながら、自己嫌悪に陥っては人も自分も認めることを諦め、そんな人生を送っていくのかと思うと、参ったなぁ、と思ってしまう。

自分は自分でしか変えられないのだから、どうにかこうにか生きていくしかないのだけれど、生きるのがどうにも下手なのだということは十代も半分過ぎた頃にはなんとなく感じていた。

死ぬまで生きていけるかな、ふと、そう思った。

初日からネガティブなことばかり書いてしまったし、全然簡潔にも書けていない。書いていくうちに、書くのがうまくなる事を祈るばかりである。

そういえば帰り道、夕食はどうしようか、コンビニにしようかと考えていた所に、モスバーガーの幟が見えた為、クリームチーズテリヤキバーガーを頂くことにした。あまりチーズ感はなかった。残念。やはりモスはモスバーガーかとびきりシリーズに限る。