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なんとか生きてる

こんな誰が見るのか分からないところには書けない気持ちばかり浮かんでくる。

私はやっぱり罰を受けるべき存在で、生きてちゃいけなくて、生きる意味だとか価値だとかそんなものはない人間なのかしら、なんて思ってしまう。

とっても小さなことなのに。

そんな特別な存在ではないのよ、あなたは。だけども、すぐにそうやって考える。分からないけれど、小さなころから自分が罰を受ければ何とかなると考えていた。

そんなこと、何の解決にもならないことは分かっているけれど。

そう思わずにはいられないのだ。何もかも私が悪いと、私が生きていることがすべての元凶なのだと。お前は世界の中心なのかと言いたくなるほどに自分中心な考え方だけど、そう思ってしまうのだ。

だって私の苦しみはすべて私にしかわからなくて私のものだから。他の誰が死のうと私は苦しみからは逃れられないけど、他でもない私が死ぬことによって私はすべての苦しみから逃れられる。

そんなんだから成長しないんだけど。

生きてていいのかな、と思う。こんな人間に生きてる価値なんてない。というか人間とか動物とか植物とか、全ての生物に生きてる意味とか価値なんて平等にないのではないのかなんて思えてしまう。そこだけは平等だから。

私が死ぬのは勝手なんだから、自死は今のところ私の住む場所では法に触れるものではないのだから。いつだって皆生きる権利と同時に死ぬ権利がある。それと同時に、誰にも当人以外に生かすという権利も死なす権利もないことも知っている。

誰かが死ねばいいのになんて思ったことはない。死ぬなら私がいい。私が死ねばきっと、私にとっての全ての面倒くさい、や、いやだ、から逃れられると考えているから。

楽しいことなんてこの先あるのだろうか。あったとしてもそれだけじゃこの長い時間を生き長らえることは出来ないと私は知っている。だって私は数年前にとても生きていてよかったと思える出来事が起きているから。それなのに、それなのに贅沢にも私はこの期に及んで死にたいと抜かしている。

自分が死んだ方がいい以外の道が出てこない。私以外の誰に何と言われても私が私の生を望まなければ生きてる意味なんてない。逆を言えば、私が生きていたいなら、私以外の誰が私の死を願おうと意味などない。私が私に生きててほしい、と思えたら、それだけで生きていけるのに。それが出来ない。

あいつにもできるのに。

私はでもこんなにも死んだ方がいいと思っているくせに生きている。矛盾しかしてない。芯なんてない。もうどうすればいいんだ。ずっと思っている。どうすればいいんだ。私は。助けてくれ。誰でもいいわけじゃない。私しか私のことを助けられないのに。私は私を助けてなどくれないのだ。

誰か助けて、と誰も助けられないのに私は願う。

わたしはこんなにも死にたくても死なない。それがどんなに贅沢なことなのかも、言葉として認識していても、実感してなどいない。

それを自分で考えるたびに、生きてていいのだろうか、なんで私なんぞが生きているんだろうか、という気持ちになる。

幸せに生きてきた。愛されて育ってきた。友人にも家族にも恵まれた。それなりに賢かったし、運動も出来た。これ以上何を望むことがある。何を望むというのだ。私にはわからない。でもこれ以上生きていたいという気持ちがない。こんな世界で、こんな私で生きていたくなどない。

病み散らかしている。分かっている。こんなの読み返しておえってなるよ後でお前。分かってたって今私がこんな気持ちであることをどこかで吐き出して残しておかないといつか忘れるし、他人への憎悪であふれてしまうかもしれないから。

私は結局すべての責任が私へと向く人間なので、生と死としかない。

だめね、死にはしないけどしにたい日々よ。

頑張らないで、でも生きることだけなんとか頑張って。

2022.02.16

とりあえず日記186