出力してまた入力する
今日も病みたくなる気持ちを抑えて、抑えきれずに溢れてたけど、ぼろぼろと零しながらも一日が終わった。
仕事、別に何の興味もない業種で、特別な理由もなく選んだけれど、楽しくないし分かんないし行きたくないしもう嫌だ、と思いつつも、ただ行って1日業務に従事したというそれだけで、今日もなんとか自分を保って生きている。
仕事なんてそんなものなのだろうし、大抵の人はそんな気持ちで何とかやり過ごしているのだろう。
ホルモンというよく分からないものに脳を支配された私は、今日も気持ちを沈めたり息継ぎさせたりしながらなんとか生きながらえている。こんな精神状態で何十年も心臓を止めずに生きているなんて本当に凄い事だと思う。
私以外の人には私の気持ちや私の今までなど分からないから、私も私の気持ちを100%表現できる訳ではないから、他の誰にも分からないとは思うけれど、こんな気持ちでよく毎日死なずに生きていられると自分で感心するし、よくそんな精神状態で仕事してるな、と思う。
いつだってやる事や言う事を書き出さないと整理できないし、文字にしないと自分の言いたい事もまとまらない。文字にしたってまとまらないけど。
脳内では文字を浮かべられないのだ。
脳内では常に音か景色、というか場面というか、画像と音は再生できても、文字にする、というのはアウトプットしないとできない。考えている事を脳内で文章化するというか、文字にすることが難しい。
考えている事を書きながらアウトプットする事は出来るけれど、アウトプットしないまま頭の中で書くことはできない。頭の中では喋るしかない。それは声であって文字ではない。文章ではある。頭の中でしゃべっている事を私はこうして文字にしている。
これは事前に考えていた事を書いているというより、今思いついたままを書いているので、見返しながら考えて書き直さないとちゃんとした文章にならないのだ。そのためにはアウトプットが必要である。脳内では忘れてしまうし書き直すなんてことはできないので。今出てくるままの言葉を文字としてアウトプットすることで、私は今の気持ちや考えを文字という情報としてまたインプットし、そうする事でようやく整理できるのだ。
なんか言いたいことが全然ちゃんと言えていない気がする。思いつきで書いているからだけれど。
つまり私は見聞きしたものをインプットして、考えたことを声や文字にしてアウトプットして、またそれを見聞きしてインプットする事でしか考えを整理できないという非常に厄介な性質なのだ。
だから独り言が多いのか、
やる事や思った事を言葉や文字にするのは整理する為でもあるし、発散するためでもあるし、そうしないとすぐにまた違う事を考えたり思ったりして今の考えや思いが流れていってしまって、なかなか次同じような考えや気持ちに辿り着くのが難しく残しておかねば忘れるからだ。
道理で毎度日記が長くなる訳である。喋っている事をそのまま文にしているからだ。私はよく喋る。
まだ水曜日なの信じられない。
風呂に入って寝よう。
2022.01.18
住む前に撮った写真。デルタで昼休憩してぇな
とりあえず日記180